前回の編集作業中、写真を「これ以上アップロードできません」の表示が出てしまいました。
どうやったら、アップロードできるのか分からず、仕方ないので「山と鉄」は解散することにしました。
でも、これは前向きな解散です。(どこかで聞いたことあるような・・・)
近く、「山と鉄2」として、別アカウントでスタートします。
お楽しみに!
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昨年1月に右足首を骨折してから、まる1年。
骨を固定していたプレートを抜き去る手術を1月13日(水)に受けることになった。
入院期間は12~15日の3泊4日の予定。
週末は自宅療養して、翌週月曜日18日から普通に出勤できるとばかり思っていた。
だが・・
12日朝に入院のため所沢市内の西埼玉中央病院へ。

この日は個室でのんびり過ごし、夜9時から絶食に入る。
夜はよく眠れた。
翌朝は浣腸。私はこれが嫌いだ。
3~5分我慢するように言われたが、とても我慢できるものではない。
トイレで控えていていいですよと言われたのを救いに、便座にまたがったら、あっという間に出てしまった。たぶん1分も辛抱できなかった。
しばらくは出し切るまで腹痛との闘い。
15分ほど脂汗を流した。
手術は午後2時からと決まり、1時半すぎに歩いて手術室に向かう。
麻酔をかけられたら、あっと言う間に眠りに落ちてしまい、気づいたらもう病室に着いていた。
1か月前の術前検査のとき、局部麻酔と全身麻酔どちらにするか担当医に聞かれた。
自分としては、手術そのものを見たいので、局麻志望だったのだが、その場合、尿管カテーテルを入れることになるというので、迷わず全麻を選択した。
あれは抜くときが痛くていやなのだ。
看護士さんに時間を聞くと、4時半だという。
手術は1時間で終わると言われていたのに、やけに長かったんだなと思ったが、それより何より、切った部分が痛む。
痛み止めの座薬を入れてもらって、徐々に痛みは和らいだが、とにかくしばらくは何もせず横になったまま耐えていた。
ちなみにこれが抜去したプレート。

6時を過ぎて、痛みもほとんどなくなり、意識もはっきりしてきたので、取りあえず各方面に無事手術を終えたことをSNSやメールなどで報告した。
やれやれと思っていたら、執刀医が病室にやってきた。
「骨はしっかりつながっていて問題ないが、感染症の恐れがある」
「培養してみないと断定はできないが、壊死した組織がかなりあったので、感染の可能性は高い」とのこと。
手術時間が長かったのは、その壊死した組織を除去する手間がかかったからだったのだ。
感染症の恐れがある以上、抗生剤を点滴で投与するため、入院を継続しなければいけないという。
培養の結果が出るまでに通常1週間ほどかかるらしい。
つまり、早くても20日頃までは退院できない。
これは全く想定外であった。
術前検査で炎症反応はなかったのに感染していたとしたら、検査後のこの1か月の間に感染したということか、と質問。
医師は、どうもそれは考えにくいような口ぶり。悪い組織は皮膚がぷよぷよしていた部分にあったのだが、いつからぷよぷよしていたかと逆に聞いてきたので、「最初からですよ」と答えると、なんとなく口ごもってしまった。
院内感染か。それとも最初の手術のときに感染したのか。
手術ミスとは言えないのだろうが、確率何%かの貧乏くじを引いてしまった。
今回の執刀医によると、壊死した組織はプレートの上部にも広がっていたという。
それを聞いて思い当たる節がいくつもある。
術後のむくみが全然引かず、表面が痛くて登山靴が履けなかったのは、おそらく壊死した組織があったせいだ。
時々、何の脈絡もなくプレート上部が痛くなることもあったが、それも壊死くんのいたずらだったのだ。
それだけの組織を壊死されるほど活動していたバイ菌がいるのになぜ、炎症反応が出なかったのか不思議だが、先生は「活動を終えていたのかもしれない」といったニュアンスのことを言った。
つまり、私は自力(白血球くんとかの活躍?)でバイ菌を封じ込めていたのかもしれない。
いずれにしろ今回また手術をしたことにより、免疫力が落ちてバイ菌の活動が復活するかもしれない。
先生は骨髄炎や敗血症になったら大変だと脅し、入院を継続した方がいいと薦める。
もちろん医者の指示には従うが、陽性だったらさらに2か月の入院が必要になるとの言葉を聞いて、さすがに困ったことになったと思った。
個人的には陰性であることを祈りたいところだが、壊死の話と自分の感覚が一致していたので、間違いなく感染しているという自信があった。
この先2か月会社を休むのは、さすがにいろんな支障がある。
点滴は、7時、15時、23時と8時間おきに1日3回(各1時間ほど)なので、会社近くの病院に転院して、点滴の合間の8~15時の間に働くことにしようか、などと考えたりもした。
それはともかくとして、術後の出血がひどい。
切ったところが完全にふさがっていないので、貼り付けてある透明のシールの中にどんどんしみ出て来る。

これが17日(日)頃まで続いたので、やはり15日(金)に退院は無理だったかもしれない。
血を拭いた後はこんな状態である。

20日(水)頃と想定していた培養結果は早くも18日(月)に出た。
やはり陽性だった。黄色ブドウ球菌。皮膚に普通にいる常在菌の一つである。
しかし、点滴期間は最初に言っていた2か月ではなく、2週間。しかも、今後2週間ではなく手術日から2週間だという。
ということは、28日(木)には退院できる計算だ。
もちろん数値(CRP)が下がったらという前提なのだが。
19日(火)の血液検査の結果はまだ平常ではないが、かなり順調に下がっていた。
22日(金)の検査で平常値に戻ったので、25日(月)の退院が決まった。
予定より3日早い。ありがたい。
もうその頃にはすっかり傷口もふさがったのか血も全く出ず、歩行も普通にできる状態になっていた。

完全にふさがっていない頃の、ちくちくとした痛みもなくなっていたので、生活も普通にできそうだ。
気分に余裕も出てきたので、病院の窓から見える山々もしみじみを眺めることができた。

左端が富士山、右端の突起は大岳山である。
こちらは左端が大岳山、右端は武甲山。その間は奥多摩・秩父の山々である。

25日の朝、傷口を留めていたホチキスを1本1本はずしてもらった。
その都度、ちくっとした痛みはあったが何てことはなかった。
抗生剤は次の外来まで3週間は内服薬で続けることになっている。
この日は自宅までは40分ほど歩いて帰った。
とくに痛みが出たりといった違和感は生じなかった。
家で着替えて、その足で出勤。
仕事はいろんな人に引き継いであるので、翌日からゆっくり出勤してもいいのだが、なにせ出勤日数が足りない。
1月は正月明けの5~8日まで4日間出勤しただけ。
わが社は1月に11日間出勤しないと、ある手当てが半額にされてしまう。
これが非常に大きいので、退院日も出勤、この週の土日も出ることで何とか11日に達するので、ちょっと無理をすることにした。
壊死した組織を取り除いてくれたおかげで、その後も足の調子はすこぶるいい。
これなら今年は槍でも穂高でも登れそうだ。
自分の不注意で招いてしまった災難だが、随分高い授業料を払ったので今後は細心の注意を払って山を歩きたい。
具合がいいからと言って調子には乗らず、徐々に復帰していこう。
取りあえず2月いっぱいは、本格登山は禁止。
3月から再開の予定だ。