山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

札幌市西岡・焼山

【2018年3月11日(日)】焼山
東日本大震災7年の日である。
それはともかく、前夜、内地から帰ってきたばかりなので、この日は近場の白旗山(322m)に登るつもりでいたのだが、ちょうど宮様スキー大会と重なってしまい断念。
近くの焼山(262m)に登ることにした。
この山の存在は全く知らなかったが、2万5000分の1地形図の「清田」を眺めていたら、西岡水源池のすぐ東に、その名を見つけた。
あたりに「庭園路」(地形図上の記号名称)がたくさんあるので、登れる山と判断した。

自宅でゆっくり朝食を食べて、9時半過ぎに出発。
登山口(?)のある西岡公園(西岡水源池)の駐車場には10時すぎに到着した。
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西岡水源池は小学校の頃、遠足で来て以来なので、もう半世紀ぶりくらいになる。

西岡公園内の園路はしっかり踏み跡が付いているので、まだスノーシューは履かずに、10:10に出発。
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水源池から流れ出る川に沿って進む。
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その流れに春の息吹を感じるが、この日は気温も高めで、札幌にも本当に春が近づいていることを実感した。
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園内には大きな望遠レンズを付けたアマチュアカメラマンの姿が目立つ。
小さな春を見つけようとしているのか、バードウオッチングか。

八ツ橋を過ぎて
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堰堤の坂を登ると
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雪原となった水源池が姿を現した。
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西岡水源池は、1909年(明治42年)に大日本帝国陸軍第7師団歩兵第25連隊が月寒川をせき止め、軍用水道(月寒水道)として通水したのが始まりだそうである。
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道内の近代水道施設としては、函館(1889年)、岩見沢(1908年)に次いで3番目の取水施設だ。
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当初は、陸軍施設や月寒種畜牧場、月寒小学校などに給水していたが、1949年(昭和24年)から一般家庭への給水が始まった。
1971年の白川浄水場完成と翌年の豊平峡ダム完成に伴い、水道施設としての役割を終えた。
堰堤のすぐ近くに立つ、かわいい取水塔は内径1.5m、高さ6.6mの円柱状レンガ造り。陸軍技師・井上次郎の設計で、国の有形文化財に登録されている。
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取水口を橋で渡り
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ほんの少し階段を登ると、正面に不動明王が現れた。
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水源池の安全を守るために祀られたもので、昭和20年頃まで祭事が行われていたとのこと。
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安全登山を祈願して手を合わせたのだが、焼山の方向には延々とフェンスが張り巡らされている。
しかも、その向こうに「入山禁止」の大きな看板も見える。
なんと、これはどうしたことだろう。
ネットなどで「焼山」の山名板の写真も見たことがあるし、入れないはずはないのだが。

とにかく、山の一部が立入禁止なだけで、どこかから入口があるのだろうと考えて、フェンスに沿って南に向かって踏み跡を進む。DSC_2289_20180312060801bce.jpg

この道自体は「すみれコース」ということになっている。
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不動明王から7分ほど歩くと、フェンスが途切れたところがあった。
しかし、「この先は私有地となりますので、通行を禁止いたします」との張り紙がある。
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にもかかわらず、「この先」にはスノーシューの跡が山頂方向に延々と続いているのが見える。
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行政としては「禁止」と言わざるを得ないだけで、事実上開放されているものと判断して、ここから侵入することにした。

スノーシューのトレースの上を歩けば、つぼ足でも行けそうな気がしたが、折角持って来ているので、ここで履くことにした。
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飲み物を飲んだりして、8分後に出発。

雪はさすがに固めだ。
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最近雨が降ったし、気温も高いので、今までのようなふかふか感は全く味わえない。

トレースも固まっているので、側面に当たって歩きにくい。
すぐに踏まれていない雪面を歩き始めた。
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雪が締まっているので、ほとんど埋まらず、圧倒的にこちらの方が歩きやすかった。

ただ、トレースから離れると、ササや木々を避けなくてはならず、そういう意味ではちょっと面倒だった。
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一応、トレースからあまり離れないようにして歩いた。
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なだらかに70mほど登ると、ほとんど平坦になった。
実はしばらく便意を感じていたのだが、左から作業道のような道が合流してきたあたりで、とうとう我慢できなくなり、雪の起伏の陰でやってしまった。
ことを終えて、スノーシューを脱いだところまで戻ると、山頂方面から、1人下りてきた。
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もう少し遅かったら見つかっていたかもしれない。間に合ってよかった。
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気を取りなおして出発。道は随分回り道をする感じで、ずっと平坦だったが、直登する道と合流したあたりで、再びなだらかな登りとなった。
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そして、間もなく登頂。
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スノーシューを履いてから約50分の道のりだった。

立派な山名板があったが、眺望は当然ながらゼロ。
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ほかには風力計みたいな装置があるだけだった。
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道を無視して登ってきた人のスノーシュー跡が残っていた。
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とくに長居をする理由もなかったので、すぐに下山開始。
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下りは、西岡公園でフェンスにぶつかるのを覚悟で、直線道路の最短コースを選んだ。
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直線の作業道にはトレースが付いていたが、最初はそのすぐ右側のクロカンコースを赤テープに沿って歩いた。
やはり下りは楽だが、さすがに直線だけあって、ゆるい登り返しが何か所かあった。
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ここは栗林育英学術団体の私有地とのこと。
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栗林とは誰なのかと思って調べてみたら、八紘学園の創設者・栗林元二郎(1896~1977年)のことのようである。
室蘭の海運会社「栗林商会」の栗林家とは別だった。
下ってきてみると、栗林財団と八紘学園の連名の看板があった。
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それはともかく、どこでフェンスを越えればいいのか。
わりと近くにまた途切れたところがあるのかもしれないと思って、今度は北に向かってしばらく歩いてみたが、なかなかゲートらしきものがないので、雪がたくさん積もって越えやすくなっているところを選んで乗り越えた。

池畔の不動明王のところまで戻って、スノーシューを脱ぎ、駐車場へ向かう。
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途中、堰堤から「この奥に恵庭岳が見えます」という看板があったが、今回は見えなかった。
来た時とは違うルートで駐車場に戻った。
着いたら12:20。最初の予想通り、約2時間のスノーハイキングだった。

お昼にしなくっちゃ。
帰りに、澄川の人気ラーメン店「ひなた」で鶏ガラ塩をいただいた。
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あっさりした感じで、他に頼んだ自家製チャーシューのまかないめしも美味しかった。
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【行程】
西岡公園駐車場(10:10)~不動明王(10:17撮影等10:20)~焼山入口(10:27着脱10:35)~頂上(11:25撮影11:30)~焼山出口(12:02)~不動明王(12:09着脱12:13)~駐車場(12:20)
※所要時間:2時間10分(歩行時間1時間50分)
※登った山:1座(焼山)
※歩行距離:4.2km
※累積標高差:約160m
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都心の山(5)

【2016年4月14日(木)】都心の山
芝給水所の銘板を見ると、ここは信濃小諸藩主牧野遠江守康済の屋敷跡地だという。
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あれれ、江戸切絵図には植村駿河守とあったのだが。
自分が見ている切絵図は嘉永三年(1850年)のものだから、その後廃藩置県(1874年)までの間に、牧野家の屋敷となったのだろうか。
ちなみに、植村家は大和高取藩主。駿河守を名乗ったのは9代家長と13代家保だけで、家保が藩主になったのは嘉永六年だから、こちらも微妙に食い違っている。
まあ、あまり深入りはしないでおこう。

この地に給水所ができたのは明治29年(1896年)。明治31年12月に淀橋浄水場からの水をここから給水した。
東京の近代水道の始まりとなった施設で、当時はレンガ造りだったという。
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「芝給水池」の銘がある。
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こちらは現在の芝給水所の門。
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中には当時の遺構がいくつか野外展示されている。
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左が水道管で、右は馬蹄型通路の断面である。

給水所の向かいには、幸稲荷神社が鎮座する。応永元年(1394年)の創建と伝わる。
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勧請当時は、岸之村の地名をとって岸之稲荷と呼ばれていたが、氏子の願望がことごとく叶ったので、これ幸い哉と、寛永元年(1624年)に今の名称に改められたという。

瘡護神社も兼ねているらしい。
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両方の扁額が掲げられている。
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境内に茅野天満宮と松野天満宮。いずれも聞いたことがない。
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御祠石の影向石。
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これに水を注いで祈願すれば、熱病や夜泣きがピタリと治まるという。

社務所は昭和レトロな建物だった。
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では、丸山に向かおう。
いくつかの寺院の横を通過していく。
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後者は切絵図に「金地院」として登場する。
芝給水所

東京タワーは眺めるだけ。
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「日本電波塔株式会社」が管理していることを初めて知る。
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ハイボール好きです。
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もう一度見上げる。
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道路を渡って、芝公園に入る。
すぐに観音堂。
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ここが、かつての観音山だ。
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手水鉢は「千住驛 坂田七兵衛」の奉納。
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芝公園も新緑がまぶしい。
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秋は紅葉の名所になりそうだ。
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江戸開府400年、芝公園開園130年を記念し、日本専門新聞協会が設置した電波時計「複眼的報道の塔」。
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観音山からはもみじの滝が流れ落ちている。
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これは水をポンプアップしているのだろう。
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ここにも気になる高まりがあるが、山の名前はなさそうだ。
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大きな石の橋を渡る。
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さらに信号を渡って、増上寺の裏から侵入する。
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増上寺が経営する明徳幼稚園。
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こんなのを写していると怪しい人だと思われそうだ。
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でも園児を撮りたいのではなく、増上寺の「最高地点」を探しているだけだ。

どうやら最高地点は、あれのようだ。
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これは昭和8年に建立された大納骨堂だった。
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本尊は高村光雲作の仏様をもとにした地蔵菩薩だそうだ。

堂内には有縁無縁のお骨が納められている。
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増上寺の参拝は省略して、まっすぐ南下し、プリンス芝公園に出る。
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正面はザ・プリンスパークタワー東京。
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振り返ると東京タワー。
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ツツジがあでやか。
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森のチャペルを回り込むと、いよいよ丸山への登り。
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標高16mの台地の上に築かれた前方後円墳(芝丸山古墳)なので、かなり高い。
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頂上は平らな広場になっている。標高は正確には分からない。
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後円部は江戸時代にかなり削平されてしまったようだ。

その頂上に伊能忠敬を顕彰する石碑「伊能忠敬測地遺功表」が立つ。
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伊能忠敬の測量のスタート地点がここに程近い高輪の大木戸だったことから、東京地学協会がこの地を選んで建立したらしい。

これは何のモニュメントだろう。
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後円部を後にして前方部に移動する。
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前方部には猛虎の像。
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実は戦後、衆議院議長を務めた政治家大野伴睦(1890~1964年)の句碑。
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「鐘がなる春のあけぼのゝ増上寺」
調理師会の名誉会長も務めていたため、調理師法施行5周年を記念して昭和38年に建立されたものだという。

芝丸山古墳は5世紀の築造とされる。
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日本考古学の先覚者坪井正五郎(1863~1913年)が明治25年(1892年)、欧州への留学から帰国する船の上から陸地を眺めた際、この小山の高さに不自然なものを感じた。
明治31年(1898年)に発掘調査を行ったところ、埴輪の破片などが出土し、古墳と判明した。
埋葬施設は削平されていたため、発見できなかった。
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前方部。
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後円部。
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全長106mというから、都内ではかなり大きい方だ。
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墳丘には円山随身稲荷大明神が祀られていた。
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ちなみに東南斜面には縄文時代後期とみられる貝層が残っており、丸山貝塚と呼ばれている。
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これにて、本日の縦走は終了。
あとは、地下鉄芝公園駅へ下山するだけだ。
途中、インド系の外国人に呼び止められ、丸山を背景に写真を撮ってくれと頼まれた。
これが古墳だと知っていて訪ねてきたのだろうか。
だとすればかなりのマニアだ。日本人ですら、ほとんど知られていないのに。

園内には、江戸時代に今の西新宿三丁目にあった「梅屋敷銀世界」の梅林がここに移植されたという。
当時、梅屋敷にあった石碑も移設されている。
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琉球の陳応昌の筆になるという。

「この木なんの木」のような木。
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庭園風の涸れ川を見学して
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芝公園駅に到着。
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ここにも外国人が多い。

考えてみれば、今日登った主要4つの山すべてに外国人の姿があった。
日本史を歩いて、外国人と出会う。
そんな意外な発見もある「山行」だった。

【行程】2016年4月14日
赤坂見附駅(11:25)~一点張(11:30昼食11:45)~日枝神社(11:52撮影12:03)~国会議事堂裏(12:19)~日比谷公園(12:37散策・撮影13:30)~南桜公園(13:41)~愛宕山(13:57撮影14:08)~放送博物館(14:10見学14:35)~西久保八幡神社(15:08撮影15:15)~芝給水所公園(15:25撮影15:32)~芝公園(15:40散策・撮影16:15)~芝公園駅(16:18)
※所要時間:4時間53分
※登った山:6座(星ノ山、ツツジ山、三笠山、愛宕山、観音山、丸山)
※歩行距離:10.0km
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都心の山(4)

【2016年4月14日(木)】都心の山
愛宕山のNHK放送博物館を出ると、ふもとに下りるエレベーターが右手にある。
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でも、これは使わず、やはり「出世の石段」を下る。

上から見ると、さすがにものすごい勾配だ。
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格好つけずに手すりにつかまりながら、ゆっくり下った。

寛永十一年(1634年)、三代将軍徳川家光が増上寺参拝の帰り、愛宕山に美しい梅の花が咲いているのを見つけた。
「誰か馬であの梅の枝を取って参れ」と命じたところ、多くの伴の者が逡巡する中、讃岐丸亀藩の家臣、曲垣(まがき)平九郎がみごと石段を駆け上がり、枝を取ってくることに成功。「日本一の馬術の名人」と賞賛されるようになったという逸話にちなむ。
講談「寛永の三馬術」でもよく知られている。
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その後、なんと明治、大正、昭和と各1人ずつ、この石段を馬で登ることに成功した人がいるらしい。
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1人目は仙台藩で馬術指南役を務め、廃藩後曲馬師をしていた石川清馬。
明治15年(1882年)に成功し、これにより石川家は徳川慶喜より葵の御紋の使用を許されたという。
2人目は参謀本部馬丁の岩木利夫。大正14年(1925年)、愛馬の引退記念に挑戦し、観衆が見守る中成功させた。
上りは1分ほどで駆け上がったが、下りは45分を要したのだとか。
この模様は、当時愛宕山にあった東京放送局(のちのNHK)によってラジオ中継された(日本初の生中継とされる)。
3人目は馬術のスタントマン渡辺隆馬。昭和57年(1982年)、日本テレビの特別番組『史実に挑戦』の企画としてチャレンジし、安全網や命綱、保護帽などの安全策を施した上で登頂。タイムは32秒だった。
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以上はウイキペディアの記載によったが、これだけだと下りにも成功したことがはっきり分かるのは、岩木しかいない。
時間を見ても分かる通り、下りの方が明らかに難しい。
馬もよく45分間も集中力を保ち続けられたものだ。

階段の横にはひっそりと「愛宕の地名存続達成記念」の標柱が立っていた。
「愛宕」の町名は複雑な変遷をたどっているが、昭和40年以降、住居表示の実施に伴い、芝愛宕町二丁目が西新橋に、芝愛宕下町四丁目が芝大門になるなど、「愛宕」のエリアがどんどんなくなっていき、住民は消滅の危機を感じたのだろう。
運動実って、昭和53年に芝愛宕町一丁目と芝西久保広町の一部が、愛宕一、二丁目として存続することになった。
標柱はこれを記念したものと思われる。
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一旦、大通りに出て、すぐ右折する。
左手に總持寺の出張所。總持寺の本社は横浜市鶴見区にある。
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その後ろに、さっきのエレベーターの上り口。
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正面は愛宕隧道。
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昭和5年(1930年)の竣工で、首都高や立体交差などを除く純粋な「山岳トンネル」としては23区で唯一のものだそうだ。
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長さは約77m、幅員9m。両側に各2.5mの歩道があるので、車道は4mのみ。
西方面への一方通行になっている。

西側に出て振り返る。
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ここにも山頂への登山口がある。
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西側は江戸時代以来の寺町の雰囲気がわずかに残る。
愛宕山に沿って、南に進むと、左手は新しい高層マンションが立ち並ぶが
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右手は天徳寺。
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折角なので立ち寄ってみた。
天文2年(1533年)の創建で、浄土宗江戸四ヶ寺の一つに数えられているという。

境内には石仏や五輪塔などがたくさん。
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この板碑は永仁六年(1298年)七月日の銘がある。鎌倉時代のもので、港区の有形文化財に指定されている。
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上部の梵字「キリーク」は阿弥陀仏を意味する。

このほか、立派なお墓も狭い敷地に林立していた。
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由緒ある家系ばかりだ。

これらは篆刻の巨匠、高芙蓉(1722~1784年)と河井荃廬(1871~1945年)の墓。
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そして本堂。
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仮本堂。
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門前には「西ノ窪観音」の石碑。ここは江戸三十三観音霊場の二十番札所でもある。
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寺を後にして、芝公園方面に向かう。
この界隈には古い建物が奇跡的に残っている。
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高層ビル群の谷間に、こんな空間が展開していて、驚いた。
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これなどは戦前のものではないか。空襲の焼け残りか。
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さらに進むと不気味な雰囲気の光明寺。
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専光寺。
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目的地は芝公園の丸山なのだが、それまでにいくつか丘があるようなので、寄り道していくことにした。
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桜田通り(国道1号)を歩道橋で渡る。
都心方面。
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横浜方面。
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国道の反対側にも古い家屋が残っている。
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このあたりのフェンスの中は森ビルが買い占めたもの。
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その中にこんな張り紙が。
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ノラ猫に迷惑をしている住民と世話をしているボランティアが対立しているようだ。
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この先に階段があるので登ってみる。ここも「山」なのか。
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少し登ってみると、ふもとにはフェンスが張り巡らされていた。
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この界隈も近い将来、高層ビルに変わってしまうのかもしれない。

登り切ると、こんな石碑が。ここは神社の北参道だったのだ。
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昭和2年(1927年)とは随分古い。

何神社だろうか。
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西久保八幡神社というらしい。
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平成23年に、御鎮座1000年というから、かなり古い。
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江戸切絵図「愛宕下之図」に「八幡社普門院」と記されているところと思われるが、山名の記載はなかった。
芝八幡社

となりの「城山」のように「八幡山」とでも名付けてくれていれば、よかったのだが。
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境内には稲荷社と妙な石碑が安置されていた。
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こちらの石碑は平成5年の建立。皇太子の御成婚を祝って拝殿、玉垣、手水鉢の修復したことを記念しているだが、随分古色を帯びている。
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女坂の玉垣は古いが、男坂は真新しい。
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これは平成5年ではなく、さらに新しい23年の修復のようだ。

鳥居の横に、江戸中期に成立した江戸の地誌「江戸砂子」の記述を写した石碑があった。
「熊谷橋」なる石橋の名の由来が書かれているようだ。
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かつて、ここから程近い神谷町の横切下水に熊谷橋という石橋がかかっていた。
なぜ、「熊谷」か。近くの屋敷内に鷲の社が祀られており、鷲は熊谷氏の氏神であることから、この界隈を熊谷とも呼ばれるようになったらしい。
その石橋の遺構がこの神社の鳥居の手前に保存されているとのことで、この石碑が建てられたわけ。

だが、保存されている石橋の遺構とは、この石畳のことだろうか。
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桜田通りまで下ってきて、飯倉交差点を望む。
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交差点を左折すると、東京タワーに向かう永井坂。
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このあたりがかつて芝永井町と呼ばれていたのが、その名の由来だという。

左手に聖アンデレ教会。
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その隣に、聖オルバン教会。
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1956年の創立で、チェコ系米国人の建築家アントニン・レイモンドの設計という。

真正面に東京タワーが見えるが、ちょっと寄り道。
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このあたりの最高地点にあたる港区芝給水所公園を目指す。
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江戸切絵図では植村駿河守の屋敷の跡地のようだが、こんなに高い場所であるにも関わらず、山の名前は書かれていなかった。
芝給水所

台地上は公園なので遊具がたくさん。
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サッカーのグランドもある。
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北東に愛宕グリーンヒルズのツインタワーを望む景勝の地だ。
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(つづく)
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都心の山(3)

【2016年4月14日(木)】都心の山
まだ日比谷公園から出られないでいる。
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大噴水は昭和36年(1961年)9月、日比谷公園における戦後復興の締めくくりとして設けられた。直径は30mもある。
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こちらは小音楽堂。
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小さすぎる東京タワー。
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カレーや洋食が評判の松本楼。
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ここには2回ほど来たことがある。

その間近に、唐突にはにわ。
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昭和40年(1965年)、東京都日比谷公園と宮崎県立平和台公園が姉妹公園として結ばれたのを記念して、宮崎の西都原古墳群で出土した埴輪のレプリカが寄贈された。

花壇には色とりどりのチューリップが満開。きれいだ。
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フランス料理の南部亭。ここにもいずれ来てみたい。
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これでようやく日比谷公園ともお別れ。
横断歩道を渡って、対岸から日比谷公会堂を望む。
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昭和4年(1929年)の竣工で佐藤功一の設計。
堂々たるネオ・ゴシック様式の建築だ。

地下鉄の内幸町駅を通過。
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その先に放送記念碑。
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NHKがここに1938年から73年まであったことを記念したものだ。

富国フォレスト・スクエア。
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このまま大通りを歩いていくのも面白みに欠けるので、裏道に入ってみた。
すると、南桜公園というところにぶつかった。
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江戸時代から大正時代にかけて、この界隈から南を望むと、「田村のお化け銀杏」と呼ばれる大銀杏があったそうだ。
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もともとそこは奥州一関藩田村家の上屋敷で、元禄十四年(1701年)三月十四日に、江戸城松之廊下で刃傷事件を起こした赤穂藩主浅野内匠頭が自害した場所でもある。

園内には紀元二千六百年記念の二宮尊徳像。
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「南桜」創立八十周年記念碑なるものもある。
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そして「みんな手をつないで」のモニュメント。
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何だろうと思っていたら、ここは南桜小学校の跡地だった。
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関東大震災の復興事業の一環として、昭和3年に鉄筋コンクリートの小学校校舎が竣工。
昭和20年の戦火は免れたが、都心空洞化と少子化により平成3年に統廃合されて閉校。

しばらく福祉会館などとして活用されてきたが、平成21年に解体された。
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環二通りを渡る。
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この昭和っぽいお店は、染物の明石屋。
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と思えば、頂上がファインダーに収まりきらないほど高い虎ノ門ヒルズ。
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恥ずかしながら初めて見た。

間もなく、愛宕山(愛宕神社)の参道。
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たいていは表玄関の出世の石段で登るのだろうが、そちらは下りで使うことにして、裏道から。

これが愛宕山の山体の一部。
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ふもとに、毘沙門天?の騎馬像。
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坂道の途中に由緒ありげな石仏がたたずむ。
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北麓では発掘調査が行われていた。
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江戸切絵図を見ると、あそこはわりと狭い区画の屋敷が並んでいるところだ。
旗本屋敷の跡だろうか。

坂道の左手には、損保ジャパン日本興亜が所有する料亭?の「愛宕荘」。
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門前には、「左 芹生(せりゅう)の里 右 鞍馬」の道しるべが立つ。
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なぜ、京都の道しるべがここにあるのだろう。作り物なのか、譲り受けたのか。

その上には、田崎真也ワインサロンなるものも。
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道はかなり登っていく。さすが23区最高峰だ。
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頂上右手にはNHK放送博物館。
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こちらは後で寄ろう。
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まずは愛宕神社に参拝しなくては。
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提灯の家紋は葵の御紋。
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顔はめの写真は、なかなか一人では難しい。
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平九郎手折れの梅樹(将軍梅)。
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神社の神門は真っ赤に塗られ、かなり新しい。
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愛宕神社は、徳川家康が江戸に幕府を開くにあたり、江戸の防火・防災の守り神として慶長八年(1603年)に創建された。

にもかかわらず、大老井伊直弼を襲う水戸浪士たちの集合場所になってしまったのは皮肉なことだった。
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万延元年(1860年)、浪士たちはご神前で祈念の後、桜田門外に向かい、目的を果たしたのであった(桜田門外の変)。

狂歌師長者園萩雄(1784~1873年)が選者となった狂歌合の石碑。
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冒頭に蜀山人(太田南畝)の名が見える。
狂歌合の日取りは「甲子年正月廿二日」とある。長者園の存命中で甲子年と言えば、1804年と1864年。前者だと若すぎるので、やはり1864年だろう。
上段に描かれているのは、戎天・大黒天・弁天だろうか。
下段には、社頭霞、愛宕山、甲子などをお題にした狂歌が碑面いっぱいに刻まれている。

その正面に弁財天。
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天然の山としては23区最高峰であることを示す標高25.7mの三角点は地下に埋設されている。
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ふたに穴があったので、指をひっかけて開けようとしてみたが、重くてびくともしなかった。

背後には、越谷市の立花房枝さんが奉納した銘石。
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弁財天は池に祀られている。
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コイがたくさん。奥にいる人は水を舟に入れているのだろうか。
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何のために?
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この石碑は何が書かれているのかさっぱり分からないが、ひどいことになっている。
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いったん、境内を抜けて、下界を見下ろす。こちらは女坂。
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ここは立ち入り禁止になっているが、かつては展望所かなんかだったのだろうか。
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再び境内に戻って、福寿稲荷神社。
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その隣に、太郎坊社と次郎坊社。
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社務所の売店の下には、人慣れした猫が一匹。
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かまっても嫌がりはいないが、愛想は全くない。

起倒流拳法碑。
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起倒流とは江戸時代初期に開かれた柔術の流派で、講道館柔道の基礎になった流派として知られているらしい。全然知らなかった。
石碑の建立は安永八年(1779年)。何が書かれているかは、しっかり読んでいないので分からない。

さて、最後にようやく参拝。
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招き石をなでて、放送博物館へ。
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放送博物館の外には歴史あるアンテナがいくつか展示されていた。
これは東京タワーの先端にあったスーパーターンアンテナの一部。
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平成23年7月24日のアナログ放送終了とともに52年半にわたる役割を終えた。

こちらは日本初のテレビ放送アンテナ。
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昭和25年3月から2年間テレビの実験放送に使用されたとのこと。

館内は歴代の朝ドラや大河ドラマなどNHKの人気番組が紹介されていたり、放送に関する歴史的な資料が展示されていたりで、かなり面白い。
平日なのに見学者も多かった。
時間がある時なら、もっとゆっくり楽しめるところだ。

貴重なのは終戦時に玉音放送を録音した玉音盤。
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動画としては、昭和29年2月21日に行われたプロレスタッグ世界選手権、シャープ兄弟対力道山・木村政彦組が興味深かった。
力道山の空手チョップに熱狂する観客たちの姿が印象的だった。

(つづく)
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都心の山(2)

【2016年4月14日(木)】都心の山
山王日枝神社から日比谷公園に向かって移動中。
国会議事堂の左側面の坂を下る。
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ここは茱萸(ぐみ)坂というようだ。
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かつてこの坂の両側のグミの木があったことに由来するとのこと。

財務省上の交差点に出た。
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左は国交省、その右奥は総務省。
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外務省と財務省の間の坂を下る。
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かつて海を見ることができたから潮見坂という。

今はもちろん見えない。
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霞が関二丁目の交差点。左前方は農林水産省。
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左後方は外務省。
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外務省前の桜並木はすっかり葉桜になっていた。
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右後方は財務省。
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そのまま国会通りを直進する。
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農林省はツツジが見頃。
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もう一度信号を渡ると、日比谷公園。何年ぶりかなあ。
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噴水のオブジェは淀井敏夫作(1986年)の「鴎」。
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門柱があったので、いったん外側に回ってみたが、「日比谷公園」の看板はかかっていなかった。
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これが公園の案内図。目指す三笠山は北端にある。
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かつて何度も通った都立日比谷図書館。
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園内はすっかり新緑に覆われていた。
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シャガも満開。
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三笠山の前にツツジ山に登る。標高差は1mくらい。
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肝心のツツジはまだほころび始めたばかり。
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頂上にはベンチがいくつか。
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傘を差してOLが休んでいた。
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ツツジ山を下ると、藤棚。こちらはそろそろ見頃だ。
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左奥は厚労省。

雲形池。
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なかなか美しい日本庭園になっている。
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鶴の噴水。
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橋を渡って
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反対側に回ってきた。
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まぶしいほどの新緑。
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明治8年(1875年)に架けられた京橋の欄干柱。
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大正11年(1922年)に架け替えられたので、ここに移設されたとのこと。

日比谷公園が明治36年(1903年)に開園した直後に開店したレストラン日比谷パレス(当時は結婚式場高柳亭)。
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フランス料理のお店で、メニューを見るとランチが1800円だった。

ヤマブキも真っ盛り。
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日比谷パレスの裏側に回る。
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ここから祝田通りに沿って北上すると、三笠山にたどり着く。
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築山が2つあり、南側の山には自由の鐘が設置されている。
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わずか9段の階段を登ると頂上。
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自由の鐘はそもそも1776年に米国が独立した際に鳴らされたものだ。
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戦後、米国の有志が日本にその複製を寄贈しようとした。
寄贈先を託された当時の連合軍総司令官リツジウエイ大将は「自由の擁護者たる新聞を通してこれを広く日本国民に贈ることが趣旨にかなう」と判断し、昭和27年4月に日本新聞協会に贈られた。
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その後、平成23年にこの鐘の修復が行われ、以来毎日正午に鐘が打ち鳴らされている。

もう一つの築山の方が背が高い。
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ここも頂上の標高ははっきりしないが、日比谷公園の前の道路が2.5mなので、5mほどだろうか。
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しかし、眺めはすこぶるいい。
新緑の向こうに丸の内の高層ビル街を望むことができた。
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頂上に山名板はなかったが、大名の刻印のある江戸城の石垣の破片が転がっていた。
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山名板はふもとに立っていた。
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説明にある通り、この山は日比谷公園造成の際に、雲形池を掘った残土を積み上げて築いたものだ。
当初は3つあったので三笠山と呼ばれたが、後にテニスコートなどの造成に伴い、1つが削平され、双耳峰になってしまった。
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これらの石は江戸城の石垣由来のものとは思えない。あえてどこかから運んできたのだろうか。
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ふもとに残されている開園当時の水飲み場。
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鋳鉄製で馬も飲めるようなデザインになっている。
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法務省と最高裁をバックに。
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北門は赤い門柱だが、こちらにも看板はなし。
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ガパオライスを800円で出しているヒビヤサロー(旧日比谷茶廊)。
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園内には松本楼のほかにもたくさんレストランがあることを今回初めて知った。
いずれ試しに来てみたい。

第一花壇のペリカン噴水。
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旧日比谷公園管理事務所は結婚式場になっていた。
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明治43年(1910年)に竣工したドイツのバンガロー風の建築で、都の有形文化財に指定されている。
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昭和51年に公園資料館として使用するため、若干改装されたとのこと。
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設計は東京市の技師福田重義。
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近くには木の化石が。
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松石と呼ばれている。昭和初期に福岡市の炭鉱で見つかったものだそうだ。

この先に伊達政宗終焉の地の案内板があった。
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この場所には、仙台藩祖伊達政宗から三代綱宗の時代まで、仙台藩の外神田上屋敷があった。
政宗は寛永十三年(1636年)五月、この上屋敷で最後の戦国大名の生き残りとして、70年の生涯を閉じた。
案内板は仙台市が設置したものだった。

江戸城日比谷見附の石垣。
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日比谷公園は日本初の洋式公園で、「公園の父」と呼ばれる林学博士の本多静六(1866~1952年)の設計による。
様々な設計案の中で、この石垣を残す本多の案が採用されたのだとか。
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手前は心字池。
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サギの横にいる亀は生きているのだろうか。
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雨が降ってなければ、このベンチで一息入れたいのだが、濡れているので通過。
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こちらはスカンジナビアの古代文字。
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1957年にスカンジナビアの人々が北極海経由の日本への空路を開拓したが、その開設10周年を記念して、古代北欧文字碑を模して建立したものだそうだ。

こちらは南太平洋ヤップ島(ミクロネシア)で使用されていた石の貨幣。
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大きいもので直径3mもあるらしい。
これは長径1.3mで大正14年当時、1000円くらいの価値で通用していたとのこと。
当時ヤップ島は日本の委任統治領で、ヤップ島支庁長からもたらされたようだ。

喫茶店の日比谷パークセンター。
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日比谷公園の象徴、大噴水。
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(つづく)
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