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山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

砥石山(3)

【2019年6月2日(日)】砥石山
砥石山(826m)から砥石沢コースを下っている。
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登山口までのコースタイム1時間半のところ、1時間弱で下ってしまった。
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しかし、福井えん堤バス停まではあと3kmもある。
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林道は石が浮いていて歩きにくい。
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日なたは暑くて、フキもくったりしている。
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黄色い花。名前は忘れた。
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登山口から1.1kmほど下ってきた。
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林道は日かげなのでありがたい。
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日なたはイタドリもくったり。
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また別の黄色い花。
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白い花。
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フキ祭り。
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やっと車が入れる道までたどり着いた。
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でも、ここに登山者の車はない。
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立派な道はあるが、一般車は入れないのだろう。
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T字路だったので、地図に従い、左へ進路をとる。
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車止めさん、さようなら。
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また別の黄色い花だ。名前が分からないとストレスがたまる。
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と言っても、調べるのも大変だ。
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以前は、「みんなの花図鑑」に投稿すれば、すぐに教えてもらえたのに。
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今はすごく使いにくくなってしまったのだ。
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従って、写真を撮るだけなのだ。
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生まれようとしています。
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生まれました!
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沢の脇の露頭がおもしろい。
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砥石沢である。
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無名の山。
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真上から。
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登山口から1.5kmほどで、ゲートのある場所に出た。
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しかし、この先の進路がよく分からない。
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「山と高原地図」では車道を直進することになっている。
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しかし、直進すると山田工業の採石場に入り込んでしまう。
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しばらく地形図とにらめっこ。
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遊歩道らしき別の道の表示もあるが、その道は途中で途切れているので、「山と高原地図」に従って採石場構内を突破することにした。
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幸い、今日は休日なので操業していない。
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ここはかなり細かい石を生産しているようだ。
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というか、生コンも製造しているのかしら。
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いずれにしても、ここは採石工場で安山岩を採取しているとのこと。
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操業を開始したのは昭和47年(1972年)からだ。
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しかし、構内を自由にハイカーに歩かせているとはとても思えない。
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やはり「山と高原地図」の表記は誤りではないか。
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平日はこの道をダンプカーがひっきりなしに走っているはずだ。
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どうにか構内を通り抜けて、常次沢川を渡る地点まで来た。
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川原の石もおそらくみな安山岩なのであろう。
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橋を渡るとT字路となった。
そこの看板には「北菱産業埠頭(株)福井砕石所」と上書きしてある。
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北菱産業埠頭という会社が、山田産業を併合したのか、工場を買い取ったのか。

いずれにしても、今歩いてきた道はやはり立入禁止になっており、地形図では途切れていた道がちゃんと成立していたことが、この案内図で判明した。
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これは、「山の高原地図」もちゃんと修正した方がいい。
毎年すべて確認するのは大変だろうが、善処を望む。
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さて、いい時間になってきた。時刻も正午を過ぎた。
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T字路から5分でゲートに到着。
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一般車両はここまでで、登山者はここから歩かなければならないわけだ。
実際、登山者のものと思われる車が4台停まっていた。
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看板の銘はまだ「山田産業」のままだった。
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ここからやっと舗装道路である。
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札幌周辺は良質の石が採れるのだろう。あちこちに採石場がある。
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なにやら観光施設が見えてきた。
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あんなに車があるということは、かなり繁盛しているようだ。
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バーベキューなのかジンギスカンなのか、賑やかな声も聞こえてくる。
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「ワンダーランド サッポロ」というレジャー施設で、冬はスノーモービルやスノーラフティング、夏はバギーやビアガーデンなどを営業しているらしい。
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1972年創業とのことなので、安定した経営ができているのだろう。
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さらに歩を進め、廃業した給油所を過ぎると
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福井えん堤バス停だ。
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時刻表をみると、ここが終点で、さらに奥へいくJRバスは運行されていないことが判明。
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やはり小林峠まで歩くしかなさそうだ。
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距離は5kmほどだが、標高差が160mほどある。ずっと登りだ。
それはいいのだが、交通量が多いのに歩道がないので、かなり怖い。
しばらく、我慢が続いた。

左手の山もかなり採石で削られていた。
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バス停のあるT字路を右折して、間もなく左股川を盤渓橋で渡る。
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ここは路側帯もないので、相当恐ろしかった。
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川原には釣りをしている人がいた。
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ここの採石場は昭和採石工業の現場であった。
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五天山のように階段状に削られている。
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沿道にあるものは、みな写真に収めていく。
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次の採石場は、野田工業(株)。ソリトン・コム(株)に買収されたのかしら。
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15分くらい我慢して、やっと右側に歩道が現れた。そちらへ移動する。
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これでやっとリラックスして歩くことができる。

このあたりはJRバスではなく、ばんけいバスが運行されているようだが、時間は全く合わず、やはりバスの利用は叶わなかった。
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今度は盤渓川を渡る。
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水源は盤渓山(604m)である。
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橋の名はさくら橋だった。
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(つづく)

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岩木山(6)

【2018年10月13日(土)】岩木山
岩木山(1625m)登山を終えて、本州最北端の大間に向かっている。
途中、眠くなったので、青森県東部、東北町にある「日本中心の碑歴史公園」なる観光スポットに車を停めた。
そこには、「日本中心の碑保存館」なる建物があり、その周りの園地にいくつもの石碑が立っていた。
順に見ていこう。
「日本中央」とてみちのくに碑を残す壺の石ぶみ何かを知らず(近藤芳美)
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みちのくの奥ゆかしくぞ思ほゆる壺の石ぶみそとのはま風(西行「夫木和歌抄」)
思ひこそ千島の奥を隔てねどえぞかよはさぬつぼの石文(顕昭「夫木和歌抄」)
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みちのくのいはで忍ぶはえぞ知らぬ書き尽してよつぼの石文(源頼朝「新古今和歌集」)
みちのくのつぼのいしぶみかき絶えて遙けき中となりにけるかな(阿仏尼)
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日本中央とあり大手鞠小手鞠(金子兜太)
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よしやいま石文なくも坪のさとますらたけおのしのばるるかな(大町桂月)
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桂月は1925年(大正14年)、当地を訪ねており、紀行文「堅雪の八幡岳」には、「今や跡方もなけれども、昔有名なり坪の石文ありたる処」と記している。
これらに出てくる「つぼのいしぶみ」とは古来、多くの歌に歌われた歌枕である
坂上田村麻呂が大きな石の表面に、矢の矢尻(弓はず)で文字を書いたとされている。

当地にある「日本中央の碑」こそ「つぼのいしぶみ」であるとするのが、東北町の主張なのである。
「つぼのいしぶみ」について初めて解説したのは、歌学者の顕昭(1130年頃~1210年頃)である。
その著書「袖中抄」に「みちのくの奥につものいしぶみ有り。日本のはてと云へり。但、田村将軍征夷の時、弓のはずにて、石の面に日本の中央のよしを書き付けたれば、石文と云ふと云へり。信家の侍従の申しは、石面ながさ四五丈計なるに文をゑり付けたり。其所をつぼと云也」と書かれているという。
この時代の「みちのくの奥」と言えば、現在の岩手県北部か青森県であろう、そこから「日本中央」と書かれた石が見つかったら、それは、これこそ「つぼのいしぶみ」と言いたくもなる。

実は、長く「つぼのいしぶみ」は行方不明(ただし、江戸時代にはあった由)で、和歌も「どこにあるのか分からない」というロマンを詠んだものが多い。
しかし、江戸時代の初め頃、今の宮城県多賀城市で、いわゆる多賀城碑が発見されるや、これが「つぼのいしぶみ」であると喧伝されるようになった。
松尾芭蕉も「おくのほそ道」の中で、この碑を「壺のいしぶみ」として紹介している。
しかし、碑文は京や蝦夷国界から多賀城までの距離を羅列したもので、「袖中抄」の内容とは全く異なる。
なのに、この碑が「つぼのいしぶみ」と結びつけられたのは、仙台藩の政治的な意図があったとも言われている。

一方の「日本中央の碑」である。
この碑については、1949年(昭和24年)6月、東北町の川村種吉が、千曳集落と石文(いしぶみ)集落の間の谷底に落ちていた巨石を大人数でひっくり返してみたところ、「日本中央」と彫られた文面が現れたという。
まさに「つぼのいしぶみ」発見の瞬間であった。
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しかし、坂上田村麻呂はこの地までは来ていない。
ただ、東北地方にはあらゆることを英雄の坂上田村麻呂に結び付ける傾向があり、その点はあまり問題にならない。
実際に都母(つも)に行ったとされる将軍に文屋綿麻呂がいる。
だとすれば、「日本中央の碑」の成立は811年(弘仁2年)頃ということになる。

だが、この碑には偽作説がある。
青森県の地方史家・葛西覧造は、彫られている文字が新しく、偽作の事実を知っている者がいる、などの根拠から近代の偽作であるとしている。
また、青森大学の学長を務めた盛田稔は、この石は無蓋貨車から下の沢に落とした物であることを、地元の地方史家から他言無用の約束で聞いたことがあるとして偽作とみている。

正確な鑑定はなされていないのが現状らしいが、偽作の可能性は十分あると思う。
まず、とても古代の人が彫ったと思えるような「筆跡」ではない。
矢の矢じりで書いたから、ああいう稚拙な文字になったとも言えるのかもしれないが、それはあくまで伝説であって、本当に石に文字を刻むなら、もっと本気でやっただろう。
文字が妙に左右対称なのも素人くさい。
「袖中抄」の記述をそのまま近代人が再現したとしか思えない。
真正面から取り組む研究者がいてくれるといいが、町としては否定されては困るから、そう簡単に鑑定を依頼したり、研究を許したりもできないだろう。
研究者の方も、否定する結果になって、町に恨まれても面倒だから、うかつに手を出せまい。
永遠に謎のままかもしれない。

ところで、「日本中央」の意味である。
偽作であろうがなかろうが、「袖中抄」まで疑う必要はない。
東北の奥地のどこかに「日本中央」と書かれた石碑がかつてあったことは間違いないのだろう。
この場合の「日本」とは、現在の「日本国」の「日本」ではなく、大和の中央政府の支配が及ばない地域のことをいう。当時は「日本(ひのもと)」と読んだ。
ちなみに、鎌倉時代から戦国時代末まで、陸奥国・出羽国の北部に勢力を張った津軽安東氏は「日ノ本将軍」と呼ばれていた。
つまり、当時「日本」と言えば「東北地方北部」のことを指した。
その中の「中央」だということなのだろう。
しかし、なぜ「中央」の碑を立てたかったのかは不明だ。
当時、地理的に「中央」であることを尊ぶ文化があったのだろうか。
考えれば考えるほど謎が深まるし、やけにおもしろい。
地元の「石文」という地名は随分古いものらしい。
だとすれば、この地に本物の「つぼのいしぶみ」が埋まっていてもおかしくはない。

この石碑は町の有形文化財に指定されているが、本物であれば国宝級である。
それが、青森県指定にもなっていないところをみると、やはり評価が定まっていないからなのだろう。
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保存館に掲示されているこの年表によると、菅江真澄や古川古松軒が1788年(天明8年)に石文村で「つぼのいしぶみ」を訪ねたそうだ。
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古川の「東遊雑記」には、絵まで描かれている。
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1792年(寛政4年)に長久保赤水が「東奥紀行」に描いた図はこちら。
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いずれも上が尖っているように描かれている。
この程度のデフォルメは江戸時代の絵にはありがちなので、これが否定する理由にはならない。それにしても違い過ぎる気もするが。

こちらは関係ないが、1849年(嘉永2年)の日本地図。
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近くにある白旗館遺跡で出土した平安時代の土師器や須恵器など。
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そして「日本中央の碑」を紹介した雑誌の数々。
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地元では毎年、「日の本中央まつり」が開かれているらしい。
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私にはどうしてもいたずら書きレベルにしか見えない。
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あれこれ見学している間に、眠気も覚めたので、仮眠を取らずに出発。
しかし、横浜町に入ったあたりからまた眠くなってきた。
さすがに、道の駅よこはまに立ち寄って仮眠をとることにした。
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下北半島に「横浜」があるなんて、びっくりする人もいるかもしれない。
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でも、私は3回目の訪問だ。

とにかく、シートを倒して、しばし休息。
15分くらい眠れただろうか。
元気が出たので、折角だから外に出てみた。
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結構な賑わいで、ほやのみそ焼きなどは行列ができていた。
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ホタテの串焼きもあったので買いたかったが、晩飯のために我慢した。

途中、左手に見えた釜臥山(878m)。
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大畑を過ぎて、津軽海峡沿岸に出ると、対岸に北海道のシルエットがくっきり見えた。
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今宵の宿、「大間町海峡保養センター」には17時過ぎに到着。
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チェックインして、早速お風呂へ。温泉なので、この宿を選んだのだ。
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ナトリウム-カルシウム・塩化物泉で源泉の温度は48.5℃。
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phは7なので完全な中性だ。
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とても、広い浴場で、人もそれほど多くなく、のんびりと浸かることができた。
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いったんお部屋に戻って
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18時半には食堂へ。私のほかに泊り客は7~8組くらいいたかもしれない。
メインディッシュはもちろん大間のマグロ。
これで1人前。3500円。
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左上から時計まわりに、赤身、中とろ、大とろ、大とののあぶりだ。
私はもともと脂がのっていなくてもいい方なので、中とろで十分だった。
でも、大とろはとろけるような食感だった。

通常の夕食はこちら。
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寄せ鍋にお造り、天ぷら、たらの西京焼き、茶碗蒸しなど。ほやもあった。

もちろんビールもいただき
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地酒「関乃井」もちょこっと。
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海のマグロのほかに、「陸(おか)マグロ」と呼ばれる大間牛も売り出し中のようだったが、さすがに経済的に物理的にも無理だった。
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満腹満足でお部屋へ。「ブラタモリ」だけ見て、何もできずに寝てしまった。
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おやすみなさい。

【行程】2018年10月13日
八合目(9:27)~鳥ノ海噴火口(10:01)~鳳鳴ヒュッテ(10:15)~岩木山頂(10:37撮影・休憩10:55)~鳳鳴ヒュッテ(11:20探索11:25)~鳥ノ海噴火口(11:35)~鳥海山(11:42)~リフト乗り場(11:50)
※所要時間:2時間23分(歩行時間:2時間5分)コースタイム:1時間55分
※登った山:2座(うち新規1座:鳥海山)
※歩行距離:2.4km
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岩木山(5)

【2018年10月13日(土)】岩木山
岩木山(1625m)から下り、鳥海山(1502m)目指し登っている。
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九合目からの標高差はわずか30mほどだ。

左手に鳥ノ海噴火口の火口壁が見える。
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その奥には岩木山山頂。
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鳥海山と岩木山の鞍部からは岩木山神社への登山道(百沢コース)が通じている。
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7分ほどで頂上に着いてしまった。
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鳥海山から見る岩木山の山頂はかなり鋭角に見える。絶好の展望台だ。
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よく見ると、ほとんど岩でできている。
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頂上への急登部分もよく見える。
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まっすぐ下ってしまったら見えない光景だ。
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私の後に頂上に登ってきた人が「ここが鳥海山なんですかね」と聞いてきた。
実は私もはっきりしたことは知らなかったので、「そうなんですかね」と生返事。
少し先に、ここより高いかもしれない出っ張りがあったので行ってみた。
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でも、熊出没注意の看板があるだけで、「鳥海山」の山名板はなかった。
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その向こうにも道が続いていたが、そこまでは行かなかった。
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地形図で見ても、1502mのピークはさっきの岩があった場所なので、仮にあちらに山名板があったとしても、すでに真の頂上に立っていることは間違いない。
その岩にはたくさんお賽銭が置いてあったことだし。
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ここからはすぐ下にリフト乗り場が見える。
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またしてもガスが上ってきた。
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すごい速さだ。
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あっという間に岩木山の山頂を覆い隠してしまった。
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幻想的な雰囲気になってしまったことだし
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では、戻りますか。
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火口壁を眺めながらの下り。
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ガスがなければ、日本海も広々と見えたことだろう。
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下って、鳥海山を振り返る。
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さっきのおじさんが普通なら知らないはずの「鳥海山」の名を口にしていたのは、こういう道標があったからだと合点。
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しかし、こんなのを設置するくらいなら、山名板も立ててほしいものだ。
ここからだとさっきの岩まで5分で着いてしまうが、あの遠い馬の背のようなところへ行くには10分では到底済まないので、やはり賽銭岩が頂上で間違いなかったのだろう。

当方は矢印に従い、リフト乗り場へ。
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11:50に乗車。片道料金は下で払ってくれとのことだった。
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このリフトが営業を始めたのは、スカイラインが開通した翌年の1966年9月。
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現在はペアリフトだが、当初は1人乗りだった。
私も32年前にシングルに乗っている。
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ペアリフトに建て替えられたのは1993年7月のようである。
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乗車時間は9分ほど。
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結構、ゆっくりと楽しめた。
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やはりリフトは下りの方が、見晴らしがいい。
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右手のこんもりは西法寺森(1288m)。
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駐車場はほぼ満車だ。ハイシーズンには行列ができるのかもしれない。
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無事、下車。
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白神山地と雲の高さがほぼ同じだ。
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リフト乗り場のすぐ下に、嶽温泉に下る嶽コースの下山口があった。
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紅葉に染まる赤沢の谷。
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片道料金の600円は券売機で改めて買って支払った。
改めて振り返ると、リフト全区間と鳥海山のニセピークが見えた。
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お客さんは意外に少ない。
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すぐ車には乗らず、駐車場の横にある小高い丘に登ってみた。
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登る時と違って、山頂はくっきりと見えている。
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一応、100円なりのご利益はあったということだろう。
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西法寺森の向こうは津軽半島西岸の七里長浜。
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なんと小泊半島まで見えた。
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追子森(1139m)の向こうは鯵ヶ沢。
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黒森(887m)と白神山地。
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午前中よりかなり稜線がくっきり見えた。
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陸奥赤石のあたり。
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鯵ヶ沢港。
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ふもとには嶽温泉の町並みがよく見えた。
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しかし、いろんな意味で、よくこの道を作ったものだと思う。
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この小高い丘にある展望スポットにはかつて方位指示盤があったのかもしれない。
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12:15、車に戻って出発。
のろのろのキャンピングカーの後ろについてしまい、しばらく我慢していたが、道を譲ってくれるつもりは毛頭ないようだ。
仕方ないので、ちょっと直線の長いところで抜かして、あとはすいすい下った。
さて、お昼はどうするか。
探しながら走るのは面倒なので、パッと目に飛び込んできた地蔵茶屋に入ってしまった。
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昨夜もそばだったが、全然構わない。
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メニューを見て、とろろそばを注文。
時間節約のため、そばが出来上がるまでの間、外に出て、この店の名の由来となったお地蔵様を見学。
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このお地蔵様は、出世不動尊というらしい。
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縁起によると、この地で遭難凍死した人々を供養するため、堀江幸治なる人物が中心となって、1928年(昭和3年)に建立したということである。
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隣には1982年建立の「鳥獣供養碑」も立っていた。
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お店の正面には岩木山がそびえている。
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ここからは頂上は見えないみたいだ。
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では、お店に戻りましょう。
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そばのほかに頼んだ味噌おでんが先に出てきた。
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三角のこんにゃくが頭にあって、定番の形である。すごく美味しかった。

続けて、おそば。
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津軽そばは、つなぎに大豆をすりつぶした呉汁を使い、こしがないのが特徴だそうだ。
その分、とてもさっぱりしていて、どんどんお腹に入っていった。

ごへい餅もあったが、お腹いっぱいなので今回は止めておいた。
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お店にトイレがなかったので、すぐ先の青い山脈歌碑のある駐車場のトイレで用足し。
ついでに、もちろん歌碑の写真も撮った。
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「青い山脈」は石坂洋次郎(1900~86年)原作の映画『青い山脈』の主題歌として1949年に発表された曲である。
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作詞は西条八十、作曲は服部良一という黄金コンビ。藤山一郎と奈良光枝が歌った。
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ちなみに「青い山脈」は1949年のほか、57年、63年、75年、88年の5回にわたり映画化された。
原作は、東北地方の港町を舞台に、若者の男女交際をめぐる騒動をさわやかに描いた青春小説である。
石坂洋次郎は作家になる前は、青森県立弘前高等女学校(現在の弘前中央高等学校)の教員をしていたことがあった。
当時疎開中の女子学生達から聞いた学校生活をこの小説の題材にしたとされている。
だから、この地に文学碑があるというわけだ。
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碑文は「青い山脈」からの引用ではなく、岩木山を舞台にした「草を刈る娘」の一節を紹介している。

あとは延々、車を走らせ、本州最北端の大間へ向かう。
距離は200kmもある。
さすがに国道だけでは日が暮れてしまうので、高速や有料道路を活用する。
浪岡ICから東北道に乗り、青森東ICで下りて、みちのく有料道路を経由。
国道4号を北上し、自動車専用道路になっている国道279号のバイパスでさらに北上。
むつ市街を経て、津軽海峡沿岸に出て、大間へというコースだ。
大間まで行くのは、明朝7時の函館行きフェリーに乗るためだが、大間のマグロを地元で食べられるという恩恵もあるのだ。うひひ。

(つづく)
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岩木山(4)

【2018年10月13日(土)】岩木山
10時半すぎに、岩木山(1625m)に登頂した。
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何か文字が書かれている石柱が倒れたままだった。
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頂上には建物が2棟あった。
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こちらの白い建物は休憩所。
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茶色い方はトイレだった。

まずは奥宮に参拝しなくては。
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これは奥宮社務所の跡。
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新たに作る計画もあるようだ。
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わりと大きなお社だ。
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無事登頂できたことに感謝。
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しかし、こういう天気だということは、やはり里宮でのお賽銭が足りなかったようだ。

奥宮の裏には、剣やお札が奉納してあった。
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南の方角に鳥海山(1502m)が見えた。
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こちら東の方角には、溶岩ドームの巌鬼山が見えるはずだが、ガスで真っ白。
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北東の方角には東麓の弥生集落に通じる弥生登山道の下山口があった。
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参拝も済ませたので、岩の上に座って、しばし休憩。
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小さなパンを1,2個口に入れた。
百名山だけあって、頂上には20人くらいの人がいた。

ここにも愚かな落書きがなされていた。
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なかなか晴れないので、さっさと下山することにした。
その前に休憩所を覗く。
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あまりきれいな小屋ではなかったが
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一人、ガスストーブで何か作って食べていた。

せっかくなのでトイレにも立ち寄った。
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ここはバイオトイレで、自転車のペダルを踏んで攪拌する方式だった。
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最後に記念撮影。一応は撮っておかないと。
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出発間際に少しだけガスの切れ間もあったが、この程度。
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未練は残さず、きっぱり出発する。
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しかし、下る方向が晴れているのは、ありがたい。
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追子森(1139m)は見えなかったけれど。
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下りも当然、右側通行だ。
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眼下に駐車場が現れた。車はさっきより増えているようだ。
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白神山地の方は今日一日大丈夫だったのだろう。
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どれが何山なのか、さっぱり分からないけど。
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あら、だいぶくっきりしてきた。
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九・五合目テラスと鳥海山。
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帰りはリフトに乗るつもりだ。
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まだ午前中なので続々と登ってくる。
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初めて見えた方角。りんご畑が広がっていた。
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ダケカンバの枝はまるで稲光のようだ。
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九・五合目テラスまで下ってきた。
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ここからは長平登山道が分岐している。
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鯵ヶ沢の方に下る道だ。
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テラスに立っていた標柱には「夢のカプセル1625埋蔵地」と書かれていた。
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いつ掘り返すのだろう。

山頂を振り返ると、ガスは晴れていたが、空は青くない。どうせ遠くは見えないだろう。
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亀石(私の命名)。
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積み木崩し石(同)。
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テラスの縁から見ると
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生々しい溶岩が露出していた。
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ガスは次から次へとやってくる。
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でも例の池はちゃんと見えた。
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難所に差し掛かった。
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登りで抜きつ抜かれつしていたツアーの方々とまた一緒になってしまったが
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さすがにここで抜かすわけにはいかないので、ゆっくり待ちながら下る。
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大倉石が見えてきた。
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鳳鳴ヒュッテまで下りてくると、百沢コースを登ってきたグループが到着したところだった。
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こちらは大倉石の探検に出かける。
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石の横に見えていた柱は、「対馬正美君殉難の地」の慰霊碑だった。
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1960年(昭和35年)9月4日に鳥ノ海噴火口に転落したようである。
弘前工業高校の3年生だった。合掌。

背後には石仏が並ぶ。
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その下に大館鳳鳴高校山岳部の慰霊碑があった。ここでも合掌。
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慰霊碑から山頂を望む。
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慰霊碑近くから見た噴火口。
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さっき百沢コースから到着した団体さんは、ここでアタック班と待機班に分かれるようだ。
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ここまで来て登頂しない人もいるのか。
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大倉石の裂け目を覗いてみたが、祠や石仏など、何もなかった。
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ちょっと不思議だ。
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信仰の対象になりそうな岩なのだが。
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傍らにはたった1体、新しい石仏があったけど。
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横から見た大倉石。
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それにしても、山頂部はすっかり葉が落ちて、真っ茶色だ。
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大倉石の裏側。
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火口と鳥海山。
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溶岩が弧を描いているのが、よく分かる。
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火口の斜面は落石だらけ。
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リフト乗り場への道が見えた。
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横顔岩と魚岩(仮名)。
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丸い石はなぜか地衣類に覆われていた。
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上空は雲だが、下のガスはきれいに消えた。
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赤沢の源流部は紅葉がきれいだ。
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鳥海山にもかなりの人が登っている。
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八合目駐車場への道との分岐を通過。
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火口の底を見る限り、雪解けの時期以外、水はなさそうに思えた。
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火口壁。
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その上に頂上が覗く。
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鯵ヶ沢港。
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鳥海山への登りにかかると、火口と頂上が一画面で見られる。
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日が当たっていないので、かなり黒い印象だった。
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(つづく)
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岩木山(3)

【2018年10月13日(土)】岩木山
岩木山(1625m)の九合目まで登ってきた。
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実は、32年前にもこの地に立ったことがある。
これがその時の写真。私が23歳の時である。
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「岩木山鳥ノ海噴火口 標高1470m」とある。
八合目から200m近く登ってきたわけだ。
「津軽岩木スカイライン」は現在、(株)岩木スカイラインが経営しているが、もともとは親会社の弘南バスが1965年に建設したものだ。
岩木スカイラインは弘南バス自動車道事業部から事業を引き継いで、1999年に設立された会社である。
私が以前訪ねたのは1986年なので、弘南バス時代ということになる。
当時あった看板が今はなく、新調もされていないということは、岩木スカイラインの経営にそれほど余裕はないということだろう。
それにしても、この写真を見ても当時の記憶が全くよみがえらない。
情けない限りだ。

火口の景観は、秋田・山形県境の鳥海山に似ている。
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かなり崩落が進んでいるようだ。
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この標柱には何か書いてあったようだが、もはや判読不能。
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下界は晴れているので、できれば上も晴れてほしい。
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火口の縁から少し進んで振り返ると、岩木山の溶岩ドームである鳥海山(1502m)とリフト乗り場が見えた。
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西法寺森(1288m)の向こうには日本海。
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ツアーの団体さんに追いついてしまった。
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でも、すぐ先に行かせてくれたので助かった。
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ツアー客の一人がミミズを見つけて驚いていたら、しんがりにいた若い女性が直接つまみ上げて、どこかに逃がしていた。
「私、全然平気なんです~」と言う声が聞こえてきた。
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ダケカンバの紅葉はすっかり終わって、完全に葉っぱを落としていた。
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おおおお、なんと頂上が見えてきたではないか!
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私がいるあたりにも陽が射してきた。
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これはお賽銭のご利益だろうか。
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あとはもう晴れる一方だと信じて疑わなかった。
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このリフトも岩木山スカイラインの経営だが、麓の駅が「岩木山頂駅」で、見えている上の駅は「鳥ノ海噴火口駅」という。
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下が「山頂駅」とは、ちょっとおかしい。
まあ、そういう看板があるわけではなく、運輸省(当時)への届け出名がそうだというだけで、利用者には明示されていないので、紛らわしくも何ともないのだが。

溶岩起源の安山岩と思われる。
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うわ~、岩木山って、こんなにまるい山だったんだ~
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鳥海山ドームが形成されたのは約5万年前以降だそうだ。
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江戸時代に岩木山は、1618年、1782~83年、1845年、1863年の4回、水蒸気噴火を起こしており、このうち2回目の噴火は天明の大飢饉の遠因になったとされている。
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鳥海山ドームの全体像。
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前方に、頂上へ至るガレ場の急登が見えてきた。
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なかなか手ごわそうだ。
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すっかり青空になったぞ~! ばんざ~い!
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少し前までは、紅葉で真っ黄色に染まっていたんだろうなあ。
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山頂北西方向のテラス。
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避難小屋が見えてきた。
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右手には石舞台。
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この巨大な溶岩は大倉石というらしい。
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一応侵入禁止になっている。
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32年前には、ここにこんな標識があった。
DSC_4365_20181017214948114.jpg

地形図には「御倉石」と表記されている。おそらく現地の名称が正しいのだろう。
DSC_5226_2018101721464208f.jpg

岩木山神社からの百沢コース登山道はここで合流することになる。
DSC_5227_20181017214607d40.jpg

道そのものはよく見えない。
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大倉石の横に行く踏み跡があるので、間違えないようリフト乗り場への道を大きく示している。
DSC_5228_20181017214609c1a.jpg

さっき噴火口で撮影している間にツアーの皆さんに抜かれてしまったが、ここで追いついた。
DSC_5229_20181017214610198.jpg

避難小屋には遭難防止ためのものと思われる鐘が吊るされていた。
DSC_5231_20181017214613189.jpg

この小屋は「鳳鳴ヒュッテ」というようだ。
DSC_5232_20181017214540d28.jpg
説明板によると、秋田県立大館鳳鳴高校山岳部の生徒4人が1964年(昭和39年)1月6日、岩木山に登頂後、下山途中に猛吹雪のため遭難死。
彼らの霊を慰めるとともに、悲劇を二度と繰り返さないために、冬期の避難小屋として、岩木町が浄財などをもとに建設、翌年9月22日に竣工したものだという。

しかし再び遭難事故が発生した。
1986年1月2日、岩木山岳会の会員4人が雪崩に巻き込まれ、亡くなった。
さっき見た鐘は彼らの鎮魂と登山者の安全を祈願して設けられたそうだ。
DSC_5233_20181017214541359.jpg
「若きらのいのちを呑みし岩木嶺は夕映えの天にさりげなく聳つ」という鎌田純一(岩木山岳会の会員のひとりだろうか)の歌が銘板に刻まれていた。

中を覗かせてもらった。
DSC_5235_20181017214544ebb.jpg

物置のような状態だったが、冬期の避難場所としては役に立っているのだろう。
DSC_5234_20181017214543362.jpg

さあ、ガレ場の急登開始だ。
DSC_5236_20181017214546a06.jpg

ちょっと登って、大倉石と鳳鳴ヒュッテを振り返る。
DSC_5237_201810172145137ef.jpg

大倉石の横に何かあるようだ。帰りに寄ってみよう。
DSC_5238_20181017214514cc9.jpg

それより、なんだかまたガスが出てきたではないか。
DSC_5239_20181017214516bb5.jpg

うう、上にもガスが。
DSC_5241_201810172145207ff.jpg

とにかく、また晴れることを祈って登るしかない。
DSC_5240_201810172145176f9.jpg

再び振り返ると、百沢コース登山道の脇に小さな池が見えた。
DSC_5242_201810172144418b9.jpg

あれが鳥ノ海なのだろうか。だとすれば地形図の間違いになるが。
DSC_5243_2018101721444207c.jpg

登りは右側通行。
DSC_5244_201810172144440ce.jpg

ここでは抜かせないので、ずっと団体さんの後を付いていく。
DSC_5246_201810172144474cc.jpg

おかげで立ち止まって、後ろを振り向く機会が増えた。
DSC_5245_20181017214445064.jpg

あっちゃ~、ガレ場を登り切ったら、とうとう山頂がガスで隠れてしまった。
DSC_5247_20181017214414851.jpg

晴れたり、ガスったりの繰り返しだったら、まだいいのだけど。
DSC_5248_2018101721441676c.jpg

九・五合目あたりのテラスを見下ろす。
DSC_5249_20181017214417496.jpg

山頂直下もガレ場である。
すぐ前を行く老夫婦はストックがガシガシ言わせながら、せっせと登っている。
もっとのんびり歩いてもいいのに、なんて思うのは余計なお世話なのだろう。
DSC_5250_2018101721441860b.jpg

再び、鳥海山が見えてきた。
DSC_5251_2018101721442024c.jpg

さっきのテラスでツアーの方々が道を譲ってくれたので、今は後ろにいる。
DSC_5252_2018101721434815e.jpg

ガスは残念ながら、次から次へと湧いてくる。
DSC_5253_20181017214350037.jpg

こうなったらもう大展望を期待するのは無理だろう。
DSC_5254_20181017214351935.jpg

北海道も見えるということだったが、さすがに諦めるしかない。
DSC_5255_201810172143537a8.jpg

頂上周辺はすっかり葉が落ちて、冬枯れの状態になっていた。
DSC_5256_20181017214354ccb.jpg

頂上はもうすぐそこだ。
DSC_5257_20181017214316e15.jpg

八合目から1時間10分で登頂。コースタイム通りだった。
DSC_5258_20181017214319a86.jpg

残念ながらガスで真っ白である。
DSC_5259_201810172143191a3.jpg

32年前には、こんな大きな標柱があったが、今はコンクリート造りのケルンタイプになっていた。
DSC_4366_20181017214949b21.jpg

近くには、大町桂月の歌碑がひっそりとたたずんでいた。
DSC_5260_201810172143217b8.jpg
「四方八方(よもやも)の千万(ちよろず)の山を見下して心にかかる雲もなき哉」
桂月は1922年(大正11年)10月14日にここに登ったようだ。
私と1日違いだが、その日は雲ひとつない天気だったらしい。
ちょっと、うらやましかった。

ここは一等三角点。
DSC_5262_20181017214253db6.jpg
点名は「岩木山」である。

(つづく)
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