山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

網走(下)

【2018年1月24日(水)】網走
この日の野外活動を終え、ドーミーイン網走にチェックインした。
まずは体を温めるため、温泉へ。内湯の他に露天風呂もあった。
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背を伸ばすと、オホーツク海方面を望むことができた。
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いい湯であった。
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部屋に戻って、まずは1杯。
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ぐびぐびやりながら、夜の約束時間までパソコンを叩いていた。

19時から、網走駐在の同僚と会食。
さっきも前を通った「喜八」で待ち合わせ。
同僚の前なので、ちょっと恥ずかしくて、いちいち写真は撮らなかったが、鯨の刺身各種、カキフライ、キンキの煮付け、カラフトマスの飯寿司などをいただいた。
どれも美味しかった。
彼は単身赴任で夜は淋しいこともあるというので、2次会もお付き合いした。
40代のママがやっているバーで、横に付いてくれたのは、とても若い女性。
パッと見20代に見えたが、なんと、この人も40代。
離婚して子供を育てるため頑張っているらしい。
網走の人はあまり流氷に関心がないことを知った。
札幌の人が雪まつりにあまり興味がないのと似ているのかもしれない。

結局、ホテルに戻ったのは23時半を過ぎていた。
すぐにベッドに入って、爆睡した。

【2018年1月25日(木)】網走
8:20にタクシーを呼んであるので、7時に起きれば十分だったのだが、5時に目が覚めてしまった。
仕方ないので、じっくり本日の仕事の予習をして、昨日に引き続きパソコン作業。
しかし、すぐにバッテリーが上がってしまい、ほとんど作業は進まなかった。
少し横になって、部屋で朝食を食べてから、朝風呂に入った。
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準備を整えて、チェックアウト。
予約しておいたタクシーで、トヨタレンタカーの営業所に向かう。
網走の営業所は市街地からかなり離れている。
送迎はしてくれないが、市街地からのタクシー代は負担してくれる。
1000円ほどかかるので、かなり儲けが少なくなるだろう。

8:40に出発、本日の仕事場である斜里町に向かう。
気温はそれほど低くなく、路面の雪はほとんど解けて乾いていた。
右手に見えた斜里岳が神秘的だった。
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9時半前に、目的地の斜里町立知床博物館に到着。
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ここに来るのは、2011年以来2度目である。
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仕事を終えて、改めて博物館を見学させていただいた。
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見たかったのは、昭和45年(1970年)に廃止になった根北線関係の資料。
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斜里駅は1998年に知床斜里駅に名称変更されたが、変更される前の駅名板も展示されていた。
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さよなら列車は手ぶれしてしまった。すいません。
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見学を終えて、網走に引き返す。
その途中、釧網本線のどこかの駅で昼食をとるつもりだ。
まず寄ったのは止別駅。
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この駅で営業しているのは、ラーメンの「えきばしゃ」。
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ただ、ラーメンという気分ではない。
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ホームをちょっと見学させてもらった。
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奥は知床方面。
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次に立ち寄ったのは、オホーツク海に一番近い駅、北浜駅。
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まずはホームに出てみた。
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駅舎横の展望台にも上った。
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ものすごい波だったが、流氷は全然見えなかった。
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しかし、なかなか荒涼とした雰囲気で身が引き締まる。
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寒いので早々に待合室に戻った。
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待合室の壁や天井は誰が始めたのか、旅行者の名刺でいっぱい。
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女性から連絡が来ても、お相手できないので、私は遠慮しておいた。
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ここで営業している「停車場」は洋食の店。
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有名なホテルで修行をしたシェフがやっているという噂を聞いていたので、ここに入ってみた。
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座席は列車のボックス席を使用している。
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オーダーしたのは、ビーフオムカレー。
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期待していたが、わりと普通の味だった。
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私の他に2組のお客さんが入ってきたが、いずれも地元の方のようだった。

この後は、二ツ岩の近くまで行ってみることにした。
途中で見つけた旧道のトンネル。
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手前から見た二ツ岩。
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至近距離からの二ツ岩
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波打ち際には海鳥が遊んでいた。
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この後、レンタカーを返却して、13時半に予約しておいたタクシーで網走バスターミナルへ。
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トイレを済ませて、14時発のドリーミントオーロラ号札幌行きに乗車した。
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札幌着の予定時刻は20:15。6時間15分の旅だ。
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3列の1人席だったが、窓際じゃないのがつらい。
パソコンのバッテリーが切れてしまったので、作業もできない。
とにかく、海の駅で買った網走ビール「流氷ドラフト」でプチ打ち上げ。
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色が青いのが特徴だが、想像した通り、それほど美味しくはなかった。

車内で新聞を読んでいるうちに寝落ちしてしまった。
北見から休憩場所の比布大雪PAまでぐっすり眠れた。
もうすっかり暗くなっていた。
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岩見沢あたりで大雪との情報があったが、とくに遅れもなく、ほぼ定刻通り札幌駅のバスターミナルに到着した。
ちょっとだけ会社に寄って、21時すぎには帰宅できた。
鉄道とバスの長距離出張だったが、楽しく過ごすことができた。

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網走(中)

【2018年1月24日(水)】網走
出張で網走まで来ている。
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網走川に氷が浮かんでいたが、これは流氷ではない。
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おそらく網走湖の氷が流れてきたのだろう。
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河口の向こうには知床連峰が望める。
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拡大してみよう。左端は羅臼岳かな。
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それでは、モヨロ貝塚館に向かう。
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対岸には廃船が。
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網走川を渡って、貝塚の近くまで来ると、「モヨロ」の名を冠したお店があった。
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その隣になぜか、ネパール雑貨の店。
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貝塚へはここを右折する。
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モヨロ貝塚の手前に金田一京助の歌碑が立っていた。
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「おふつく能 もよろ能うら能 夕凪に いに志よしのび 君とたつかな」
読みやすくすれば「オホーツクのモヨロの浦の夕なぎにいにしえ偲び君と立つかな」であろう。
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モヨロ貝塚で行われた戦後国内初の学術調査を前に、昭和21年(1946年)、当地を訪れた調査団顧問の金田一博士が詠んだ歌である。
「君」とは、モヨロ貝塚の発見者、米村喜男衛のことだそうだ。

モヨロ貝塚はオホーツク文化を代表する遺跡として国の史跡に指定されている。
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さっき対岸から見えた廃線。
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いよいよ貝塚に突入。
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貝塚にある竪穴住居跡。
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オホーツク文化(5~9世紀)の竪穴住居は大型で六角形をしているのが特徴だ。
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こちらは貝塚発見100周年を記念して2013年に開館したモヨロ貝塚館。
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中を見学する前にもう一度、遺跡を見ておく。
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これは復元された竪穴住居。
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古そうな石碑が立っていた。
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遺跡は雪に埋もれているが、そのおかげで側面が目立って、形が分かりやすい。
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点々と続く足跡はシカだろうか。
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モヨロ貝塚が発見されたのは大正2年(1913年)のこと。
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館内には、貝塚の貝層が復元されていた。
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発見者の米村喜男衛(1892~1981年)の本職は理髪業だった。
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貝塚発見当時に出土した骨製の斧。
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戦後の調査時の周辺。ボケててすいません。
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熊の頭を表現した石製品。かなり大きなものだ。
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右上の茶色いあたりがモヨロ貝塚。手前は帽子岩。
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動物をあしらった土器。オホーツク文化の土器には、この種の装飾が多い。
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骨製の銛。オホーツク人は怪獣狩猟民族だった。
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遺跡全体のジオラマ。
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オホーツク文化の遺跡は、その名の通り、オホーツク海沿岸に分布している。
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住居内に設けられた骨塚の写真。彼らはクマを崇拝していたらしい。
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クマをかたどった土製品も出土している。
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こちらは館内に復元された竪穴式住居。
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半分しか復元していないが、鏡に映すことで全体を表現している。
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これは、オホーツク文化の住居の特徴である炉。
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骨で作った「モヨロのビーナス」。アイヌはこういう具象的なものは作らなかった。
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オホーツク人が食べた獲物たち。
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狩猟風景の再現。
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オホーツク文化は、本州の文化の影響を受けた擦文文化と融合して、10世紀にトビニタイ文化へと変容する。
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墓を原位置に復元したコーナーもあった。
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顔に土器をかぶせるのが、彼らの流儀である。
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悪霊となってよみがえるのを恐れたのかもしれない。
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こんな感じで見学は終了。
この博物館は撮影禁止ではないのが、ありがたかった。

まっすぐホテルに戻るにはまだ早いので、少し繁華街を散策してみることにした。
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近くにあった廃業した旅館。
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網走川を渡る。
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灯台の向こうに羅臼岳。
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網走橋を通過。
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これから繁華街へと足を踏み入れる。
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炭火焼鳥専門店「鳥ひろ」。
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パチンコ店「ニュー娯楽」はすでに廃業していた。
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オホーツク郷土料理の「蒸汽船」。
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こちらも郷土料理の店。「吉田三八商店」。
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いろんなお店が入った雑居ビル「セゾン」。
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シャネル街はシャッターが下りていた。
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アーケード街の名称は「apt-4」。網走パステルタウンの略で、4は4条通りのことらしい。
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鮨勝ほか。
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なんと映画館があった。
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ラーメンの「いしざわ」は閉店している。
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金川ビルには何軒かスナックが入居している。
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龍虎亭はラーメン店だが、こんなブリキのおもちゃコレクションが展示されていた。
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人口3万6000人の町にしては、結構飲み屋が多い気がする。
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「入のやビル」。昔はもっと賑わっていたのだろうけど。
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お店の名前もみなシンプルでいい。
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この袋小路は「楽天地」というらしい。
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銭湯があったが、本日休業。
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建て替えたばかりなのだろうか、かなり新しい。
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街のパソコン屋さんには、地元の歌手走裕介のポスター。
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お菓子の千秋庵。
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レストランホワイトハウスは田舎っぽい店名だが、メニューは豊富。
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作業服のウメヤ。
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クジラ肉を出す「喜八」。今夜はここで飲んだ。
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網走名物ニポポ。
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ホテルに戻る途中、旧網走駅跡の石碑を発見した。
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網走駅は大正元年(1912年)の開業。昭和7年(1932年)に現在地へ移転してからは、ここは貨物専用の浜網走駅として利用され、昭和44年に廃止となった。
この道はその線路跡なのだろうか。
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というわけで、15時半前にチェックイン。
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冷えた体を温めるべく、早速お風呂に向かう。
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ここは天然温泉の「天都の湯」である。

源泉の温度は41.7℃だそうだ。
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それでは、いただきま~す。
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(つづく)
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網走(上)

【2018年1月24日(水)】網走
斜里に仕事ができたので、鉄道で向かうことにした。
札幌6:56発の特急オホーツク1号網走行きに乗車。
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網走まで5時間22分の長旅だ。
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車内は意外にも満席状態。
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網走まで直通する列車は午前中には、これしかないので、当然なのかもしれない。
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車内では、ずっと朝刊を読んでいたが、実にいい天気なので、時々は車窓に目を向けた。
樺戸山地がとても美しかった。
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しかし、列車は徐々に遅れ始めた。
この調子では、13時の便を予約してある砕氷船おーろら号に間に合わないかもしれない。
時間変更の連絡をしようとHPを見てみたら、本日は強風のため全便欠航とのことだった。
ならば仕方がない。流氷はまだ接岸していないようなので、かえってよかったかもしれない。

北見峠の手前で、石北本線は旭川紋別道と交差する。
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懐かしい遠軽の瞰望岩。
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遠軽駅には30分以上遅れて、11時過ぎに到着。
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ちょっと小腹が空いたので、静岡・倉沢の小池邸でいただいたみかんでつなぐ。
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12時を過ぎたところで昼食にした。
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札幌駅で買った駅弁「海鮮えぞ賞味」。いくらやホタテ、カニのちらし寿司系である。
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静岡土産の笹かまとわさび漬けも、おかず代わりにいただいた。
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12時半過ぎに女満別駅を通過。
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飛行機の方がはるかに早いのだ、なんか味気ないし、会社が経費の関係で推奨していないのでやむを得ない。

網走湖畔を通過。完全に氷結している。
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ワカサギ釣りも始まっているようだった。
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12:52、定刻より30分遅れで網走駅に到着。
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6時間近くかかってしまった。さすがに北海道は広い。
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特急車両は、キハ183形だった。
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網走に来るのは、これで5回目になる。
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「かにめし弁当」は売り切れていた。
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この後はとりあえず、モヨロ貝塚館に行こうと思っている。
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熊の木彫りの大作がホームに展示されていた。
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この先は釧網本線。
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改札を出ると、折り返しの特急大雪4号旭川行きを待つ人の行列。
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これも発車が30分近く遅れるだろう。

駅の外に出ると、巨大な「オホーツク・網走」の広告塔が目に飛び込んできた。
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電話ボックスの屋根は流氷をあしらっており、正面にはクリオネの写真。
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駅前には東急イン。
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網走駅の外観。
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この駅名板は、学生時代、1983年に来た時にもあった。
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文字が縦書きになっているのは、網走刑務所から出所した人々が「横道にそれることなく、まっすぐに歩んで生きていって欲しい」との願いが込められているからだそうだ。
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かわいい観光案内板。
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モヨロ人漁労の像。これはアイヌではない。オホーツク人である。
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網走駅全景。
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流氷の天使クリオネ。
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では、モヨロ貝塚館へと向かおう。
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ここは海抜2m。「地盤は」の文言はない方がいいように思う。
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北海ホテル前を通過。
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網走ビールは美味しいのかな。
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網走ビール館はまだ開店していなかった。
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あれが今宵の宿、ドーミーイン網走。
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網走川の河口付近。
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対岸に見えるのは市立図書館。
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まだチェックイン時間ではないので、とりあえず通過。
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網走停車場線をそのまま進む。
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向かいに網走グランドホテル。
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古い飲み屋街。火事になったら一発で全焼しそうだ。
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網走バスターミナル。ここから明日乗る高速バス「ドリーミントオホーツク号」が発着する。
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待合室はそれなりに賑わっていた。
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貝塚館は後回しにして、先に、おーろら号が出る道の駅に行くことにした。
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河口の向こうには知床連峰が望める。
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あれは帽子岩。
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道の駅流氷街道網走に到着。
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ここはウトロ行きのバスも停まるようだ。
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女満別空港や天都山行きのバスも出る。
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これは側面。
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おーろら号は2隻ある。
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とりあえず道の駅の正面に回る。
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向かいに、石造りの倉庫を再利用したお蕎麦屋さんがあった。
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これが道の駅。
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自販機の側面も利用してPRしている。
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風はそれほど強くないが、波がものすごい。
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オホーツク文化の紹介コーナー。
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オホーツク観光大使の結月ゆかりちゃん。
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衣装はクリオネカラーだそうだ。

館内に、吉永小百合主演で3月公開予定の「北の桜守」の撮影セットが移設展示されていた。
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吉永小百合が網走で営んでいた「江蓮食堂」である。
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試写会に行ってきたばかりだったが、なかなかいい映画であった。
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懐かしい流氷飴。
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オホーツク網走ザンキ丼は鶏肉ではなくカラフトマスを揚げたものだ。
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ホタテ貝柱の塩ラーメンも美味しそうだ。
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航行はできないが船内は見学できるというので、行ってみた。
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この日見学できたのは「おーろら1」の方。
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船内はわりと豪華。
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実際、外は寒いので、すぐに船室へ逃げ込んでしまう人も多いのだろう。
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帽子岩がより近く見える。
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陸地側には流氷硝子館の工房。
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おお、やっぱり波が荒い。
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流氷はまだ随分沖にあるそうだ。
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茶色い大きな建物は網走厚生病院。
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本船の定員は390名とのこと。
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窓越しの眺め。
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下船して改めて、全便欠航の貼り紙を確認。
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よしもとお笑いまつりは明日(1月25日)だった。残念ながら1日早かった。
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(つづく)



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早稲田界隈

【2015年1月31日】早稲田界隈
2週間にわたる入院のせいで月間出勤日数が足りず、本日は無理やり休日出勤。
一応仕事はあったのだが、2時間ほどで終わってしまったので、職場には誰もいないし、引き上げることにした。
ただ、まだ日も高いし、このまま真っすぐ帰るのはもったいない。
2月末まで本格的な登山は禁足にしてあるので、都内の超低山でも登ってから帰ろうと、検索したら、戸山公園の箱根山(45m)が引っかかってきた。
そうだ、そんな山が確かにあった。
山手線内の最高峰である。
なんと、地下鉄の早稲田駅から歩いて行ける。通勤ルート上ではないか。
即決で、そこに寄ってから帰ることにした。

午後3時頃、早稲田駅に降り立ち、何やら賑わっている穴八幡宮の手前を左折。
緩やかな坂を登っていく。
すると間もなく戸山公園の標識が現れた。
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意外に近い。

すぐ先の道路を横断。その名も箱根山通り。
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戸山公園は2地区に分かれており、こちらは「箱根山地区」というらしい。
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園内にはグランドもあり、野球少年たちの元気な声が響き渡っていた。

せせらぎ広場を横に見ながら、奥へと入っていく。
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花の広場を過ぎると、箱根山の入口。
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もう目の前に、こんもりした高まりが見える。
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ふもとをしばらく巻いて歩く。
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山頂には人影が見える。“登山者”もそれなりにいるようだ。
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すぐには登らず、まず山腹の“中間道”を1周する。
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階段以外にも踏み跡があるが、ツツジを荒らすのでやめてね、との標識。
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箱根山の全景。
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説明板があったので、お勉強タイム。
この周辺はかつて源頼朝の御家人和田義盛の領地で、和田村と外山村に属していたことから、和田外山と言われていた。
寛文八年(1668年)に尾張徳川家の下屋敷となり、約45万㎡にわたる広大な敷地は「戸山荘」と呼ばれるようになった。
邸内には回遊式築山泉水庭が設けられ、巨大な築山(玉円峰)が築かれた。
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それがこの箱根山である。
明治維新後は陸軍戸山学校用地となり、戦後はその一部が公園化された。
玉円峰は明治以降、誰言うともなく「箱根山」と呼ばれるようになったという。
庭園に小田原宿を模した町並みが築かれたというので、おそらくそこから見える山ということで、そう呼ばれるようになったのかもしれない。
尾張藩下屋敷を偲ぶ唯一の遺構である。

さらに周遊。
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階段は全部で東西北の3か所ある。
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私は西口から登った。
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頂上には、44.6mの三角点。
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桜の時期になると山頂で花見の宴を繰り広げる人がいるらしいが、「禁止」とのことである。
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また、近くの事務所で「登頂証明書」も発行してくれるらしい。
ご希望の方はどうぞ。

まわりは木々に囲まれ、眺望は必ずしもよくない。
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東側には都営戸山ハイツアパートが並んでいる。
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南側には戸山教会。
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下山は東側の階段から。
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戸山ハイツアパートの給水塔?が見える。
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西山麓に「箱根山 陸軍戸山学校址」の石碑があった。
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ちょっと教会にも立ち寄ってみた。
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宗派は日本基督教団。
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建てられたのは1949~50年にかけてのことらしい。

地下部分は堅固な石積みの造りである。
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GHQが都の建設局に敷地提供を命じて建てたものだそうだ。
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帰りは戸山ハイツの脇を通って早稲田駅に向かう。
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戸山ハイツは陸軍戸山学校の跡地に木造の都営住宅が建てたのが始まり。
戦後初の大規模都営住宅で、昭和40年代に高層化されたという。
戸山公園を取り囲むように35棟が並んでいる。
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都営アパートはどこも住民の高齢化が進んでいるようで、1階の商店街は転業したり廃業したりしてしまった店が多い。
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それにしても、公園利用者なのか、このあたりで立ち小便をする不届き者が少なくないらしい。こんな注意書きを見つけた。
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ただ、正確に言うと、箱根山にはトイレはない。戸山公園にある。
それに、「大」はここでしてもいいようにも読めてしまう。

早稲田大学に近づいてくると、こんな落書きが。
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「馬超」って何のことか分からなかったが、「孫権」の名が出てくるので、三国志の時代の人物だろうか。
調べてみると、やはりそうだった。蜀の将軍で曹操に反乱を起こして敗れた人物らしい。
なぜそれが早稲田なのか。
これって、早稲田の人自身が書いているように読めるが、「お前は孫権」の「お前」が誰なのかも気になる。
いずれにしても謎である。

穴八幡宮まで戻ってきた。
随分賑わっているのが気になって、ちょっと覗いてみることにした。
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ここは「高田馬場の流鏑馬」の起源となった神社である。
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露店が並ぶ参道を登ると、拝殿には大行列。
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いったい今日は何があるんだ?。
これも調べてみたら、冬至の日から節分の日にかけて、お金にご利益がある「一陽来復」の御守を授かることができるらしい。
これは江戸時代から続く風習のようだ。
それで、期間中の休日はこんな人出になるわけだ。

私もお金は欲しいが、「並ぶ」のがとにかく嫌いなたちなので、もちろん御守は断念。
布袋様にだけ、ご挨拶して街に戻る。
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あとは、早稲田の学生が行くような安い大衆酒場で1杯だけひっかけて帰りたい。
そんな店を探して、ちょっとその辺をうろついてみた。

穴八幡宮の鳥居前。そのはすむかいに元近衛騎兵連隊、大隈重信がひいきにしていたらしい三朝庵というそば屋があった。
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でも、ここは何となく高そうなので、とりあえずパス。

早稲田通りを早稲田駅まで戻って左折するも、何もない。
早大通りに出て右折、また早稲田通りに戻ることにする。
途中、右手に銭湯を発見。鶴巻湯。完全なビル型銭湯だ。
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しかし、当方は風呂より酒だ。

このすぐ先で今度は天祖神社を発見したので、ついでに参拝していく。
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天祖と言えば、奥多摩の天祖山(1723m)を思い出すが、その系列なのだろう。
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案内板によれば、天和二年(1682年)に榎町からここに移されたとのこと。
当時、このあたりは一面のミョウガ畑だったらしく、「茗荷畑の神明宮」と呼ばれていたそうだ。
昭和20年の空襲で焼けたが、昭和41年に再建された。

早稲田通りに出て、また早稲田駅に戻るが、一向に飲み屋は見つからない。
昔、見覚えのある学生街みたいなの探しているのだが。
それはぐるっと一周して、三朝庵から北東に下りる道にあった。
グランド坂と呼ばれる道だ。
しかし結局ここにも何もなかった。
ちょっとそそられたのは、このレトロは洋服屋さんだけ。
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でも、ここでは飲めない。

とうとう正面に大隈講堂が見えてきた。
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前庭に早稲田の校歌「早稲田の栄光」歌碑。
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創立70周年を記念して、昭和22年に作られた歌だそうだ。
作詞は西条八十、作曲は芥川也寸志。
私の母校ではないので歌えない。

うろうろしている間に本格的にお腹がすいてきてしまった。
もう酒は諦め、ラーメンに方針を切り替える。
また、早稲田駅へ戻るのも面倒なので、都電の早稲田駅方面に向かう。

新目白通りに面して、面白そうな油そばの店があったので、思い切って入ってみた。
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「武蔵野アブラ学会」早稲田総本店である。

店内はかなり狭い。1人なのでカウンターに案内されたが、席の1人分の幅が体の幅より狭い。
客は数人いたが、みな学生風。
私は600円の油そばを注文した。とりあえずは定番で。
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油そばを食べるのは初めてだったが、汁がないことにびっくり。
まずくはなかったが、やはり汁があるラーメンの方が好きなので、もう油そばは食べないだろう。

お腹もふくらんだところで、都電に乗る。
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近くには、なつかしいフレーズのたばこ屋さん。
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ショッキングピンクの電車がやってきた。
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さて、どこまで乗ろうか。
西武線には池袋から乗ることにして、雑司ヶ谷で下りることにしょう。
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駅4つ分だ。

5分ほどで到着。
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目の前の通りを西に進む。すると、また布袋様。
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今日は随分と縁がある。布袋尊は千客万来、商売繁盛の神様なので、取りあえず手を合わせておく。

明治通りに出る1本手前の道を右折すると、立ち呑みの店を発見。
「かぶら屋」という看板。チェーン店のようだ。
カウンターしかないような大衆酒場が第一希望なのだが、もうそんなことは言ってられない。
ここならほんとに1杯で済みそうなので、思わずのれんをくぐってしまった。
静岡起源の店のようで、メニューには黒おでんが豊富。
私は熱燗と大根、さつま揚げを注文。
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このあと、しらたきも頼んで、お会計は確か720円だったかな。
さっきの油そばの量が少な目だったので、これでお腹もちょうどいい具合。

随分と寄り道してしまったが、7時前には帰宅。
箱根山以外は何も決めずに歩き始めたが、いろいろと発見があってなかなか面白かった。

※所要時間:約2時間半
※登った山:1座(箱根山)
※歩行距離:不明
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三軒茶屋~祐天寺

【2015年11月16日】三軒茶屋~祐天寺
この日、三軒茶屋の昭和女子大学に仕事があったので、この機会にまた散歩をしよう。
スマホの地図を見て、方針を検討。
学生時代2年間過ごした祐天寺まで下馬を経由して歩くことにした。
1時間くらいで行けるだろう。

昭和女子大学は1920年(大正9年)に日本女子高等学院として創立された。
創立者は詩人の人見東明。よく知らない人だ。
1980年には創立60周年を記念して、キャンパス内に人見記念講堂が開設されている。
卒業した著名人には、登山家の田部井淳子、歌人の馬場あき子、タレントの壇蜜などがいる。

仕事を終えて正門に向かっていると、左手に歌碑を見つけた。
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創立15周年当時の校長、松平俊子のご母堂である鍋島栄子刀自の歌だそうだ。
松平とか鍋島とか、明らかに旧大名家の出のようなので調べてみた。
すると、鍋島栄子はもともと公家の出のようである。
権大納言広橋胤保の五女として生まれ、1881年(明治14年)に当時イタリア公使であった鍋島直大と結婚。外交官夫人として活躍し、「鹿鳴館の華」と呼ばれたそうだ。
日本赤十字篤志会会長も務め、日清・日露戦争の際には負傷兵の看護にもあたったというから、ナイチンゲールのような方だったのだろう。

その歌というのは「庭の教え」と題される作品。
「ふみまよふ人 こそなけれ 何処にも 庭のおしへの 道しある世は」
そんな庭の教えとはどんなものか知りたいものである。

さて校門を出て左折。国道246号を避けるように、さらに左折して細い路地を住宅街に入っていく。
このあたりも太子堂であることを知ってびっくり。
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東急世田谷線に西太子堂駅というのがあるので、太子堂というのはてっきりあっちの方だと思い込んでいたが、改めて地図を見ると、246をはさんで南北に広がっていた。
その由来は、三丁目にある円泉寺に聖徳太子を祀った太子堂があることにちなむという。
かつては太子堂村といったが、1889年(明治22年)の町村制施行に伴い、近隣の池尻村、三宿村、若林村、下北沢村、代田村、経堂在家村などと合併して世田ヶ谷村になっている。

世田谷区はほとんどが住宅地になっていることもあり、大木の保存には気を配っているようで「保存樹木」という制度がある(他の区にもあるようだ)。
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この木はスズカケノキで昭和53年に指定されている。

10分も歩かないうちに、太子堂を離れ、下馬に入った。
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下馬は祐天寺から近いこともあり、よく聞く地名だったが、実は訪ねるのは初めてかもしれない。
地名の由来を調べてみると、荏原郡下馬引沢村の省略のようで、源頼朝が遠征に向かう途中、この地を通過した折り、土砂崩れにあったので、「以後ここを通る時は、馬を曳いて渡れ」と命じたのが由来とされる。「げば」が起源ということだ。

世田谷区立下馬図書館を過ぎて、児童公園の脇を歩いていく。
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すると右手、通りの真ん中に大きな樹木がそびえている。
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これも保存樹木であったが、それより目を引いたのが、あたりに林立する古い団地風のアパート。
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都営下馬アパートだそうだ。
駒沢練兵場の跡地に建設された大規模な都営団地で、現在も40数棟あるという。
古いもので1958年築というから、半世紀以上の歳月を積み重ねている。
さすがに建て替えの話もあるようだが、現在居住している人がいる以上、そう簡単ではないらしい。
お住まいなのはおそらく低所得の高齢者だろうから、むやみに追い出すわけにもいくまい。
都心にいきなり出現したミステリーゾーンのようで気持ちが高ぶった。

三宿通りを渡ると、おしゃれなアップルパイのお店があった。
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「ジャーマニー・スミス」は青山にも店がある有名店のようだ。
ジャーマニー・スミスって、古いメージャーリーグの選手の名前らしいが、関係あるのだろうか。

この先すぐに世田谷公園があったので、この中を通過していくことにした。
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平日の午後ということもあり、小さな子供を遊ばせているお母さんの姿が目立った。

紅葉にはまだ少し早い。
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なんと園内に線路を発見。
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「せたがや ミニSLチビクロ号」が走っているらしい。
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大人70円とは安い。

乗ってみたかったが、あいにこの日は運休日。
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平日の運行は水曜日だけみたいだ。
世田谷区の区制50周年を記念して、昭和57年に開業したとのこと。
もう30年以上になる。立派なもんだ。

これがSL乗り場の「せたがや公園駅」。
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注意書きを読むと、未就学児ひとりだけの乗車は認めていないが、大人ひとりだけは大丈夫のようだ。ふふふ。

園内を3分かけて1周する。全長280m。
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当初は本当の蒸気機関車だったが、今は電気式になっているらしい。

世田谷公園は池尻にある。
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池尻は、北沢川と烏山川が合流して目黒川となる付近で、沼沢地帯をなしていた。
その池の出口という意味で、池尻と呼ばれるようになったという。
今はそんな面影はどこにもない。
北沢川や烏山川もほとんど暗渠になっており、地形図で河道を追うのも難しい。

またまた保存樹木。
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そしてこのあたりが世田谷区と目黒区の境界。
青鳥特別支援学校を過ぎて、三宿病院の前に出ると、もう目黒区上目黒。
目黒の地名の由来は諸説あるようなので、割愛させていただく。

坂を下ると、めずらしい刃物のとぎ屋さんがあった。
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字が白くてよく見えないが、包丁は700円から1000円で研いでもらえるようだ。

バス通りに下りてきた。
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こういう昭和の匂いぷんぷんのお店が好きだ。

すぐに蛇崩(じゃくずれ)という交差点に出る。
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面白い地名なので、ここは通ることにしていた。
以下、目黒区のHPによる。
地名「蛇崩」の由来は、江戸時代に編さんされた「新編武蔵風土記稿」によると「昔、大水の際、崩れた崖から大蛇が出たことから、この地名が生まれた」と記している。
また一説には、「砂崩(さくずれ、土堤崩をいう古語)」が、「じゃくずれ」に転化し、付近を流れる蛇行屈曲した川の状態から、「蛇崩」の文字を当てたのではないか」とも言われている。
いずれにしても、蛇崩地域の北側を蛇行する蛇崩川が浸食した地形がもたらした地名といえよう。

これなど、下馬の由来にも符合する。
かつて、このあたりは土砂崩れの起きやすい傾斜地だったのだ。
「蛇崩」は1932年(昭和7年)に行政地名としては消滅しているので、交差点の名として残っているのは貴重である。

交差点のすぐ横に銭湯「寿湯」。
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営業時間前なのでシャッターが下りているが、まだ現役で頑張っているようだ。
いずれ銭湯に入るためだけに訪ねてみたい気もするが、貧乏性の私には無理か。

右折して五本木通りをさらに下る。
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下り切ったところが蛇崩橋。
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この下には暗渠化された蛇崩川が流れており、現在は緑道となっている。
蛇崩川は目黒川の支流。世田谷区弦巻から東流し、上馬、三軒茶屋、下馬を経て、中目黒駅付近で目黒川に注ぐ全長5.2kmの川である。
かつてこの付近は湧水に富み、流域は水田地として、豊穰な土地であったという。
そんな時代の風景を見てみたかった。

いつのまにか五本木に差しかかっている。
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1968年(昭和43年)の「住居表示に関する法律」による町名変更で、それまでの上目黒五丁目、三谷町の一部および中目黒三丁目の一部が、五本木一~三丁目となった。
1932年(昭和7年)の区制施行によって姿を消した五本木の名が復活した形だ。
旧守屋教育会館郷土資料室(目黒区五本木二丁目)裏手の庚申塔群の中に、「上目黒五本木組 庚申供養塔 文化七庚午年十一月吉日」と記されている碑面がある。旧上目黒村は、上知、宿山、石川、五本木という四つの「組」から成っていた。
これから類推すると、五本木という地名は中世にさかのぼれるそうだ。
そもそもの由来は、五本の大樹があり、それがこの地の特徴を成していたことから、地名となったのではないかといわれている。
前述の庚申塔群の前を走る細い道は、かつての「鎌倉街道」だったらしい。
明治のころは「昼間でさえ、身の毛がよだつほど薄暗く、元気のよい若者でも通ることを恐れた」ほど淋しい土地だったようだ。(以上、目黒区HPより)

川を渡ると再び登りになる。
東京はゆっくり歩くと坂の多い町だと分かる。
下り切ったところには、大抵かつて川だった暗渠がある。
ブラタモリではないが、そういうことを意識しながら歩くのは楽しい。
五本木一丁目商店街まで登ってきた。
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左手に見えるのは田切公園。
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ここに、地名に関する説明板があった。
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「田切」とは、川の両岸の傾斜地のことをいうらしい。
「たぎる」とは最近、「煮えたぎる」とか「燃えたぎる」といった用法でしか使われなくなったが、もともとは水が勢いよくほとばしる意味だったという。
急流が流れる様だ。
ここは蛇崩川の支流中の沢が削った斜面で、まさに田切地形だ。
明治22年の町村制施行で目黒村大字上目黒字田切になったが、昭和7年の区制施行の際に消滅している。
その名を偲んで、この公園の名を「田切公園」としたとあるので、目黒区は立派である。

さて、ここから祐天寺駅までは一直線。
東横線の線路をくぐって最初に見えるのは、みずほ銀行祐天寺支店。
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学生時代、ここは合併前なので富士銀行だった。
私が初めて口座を開いた銀行だ。

この角を左折する。右手にあるセブンイレブンはゲームセンターだった。
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あの時代このあたりのコンビニと言えば、駒沢通りにあった「パンプキン」だけだった気がする。
もちろん、24時間営業の店などまだなく、セブンイレブンもその名の通り、朝7時から夜11時までの営業だった。

この通りに、鉄道マニアのカレー屋さん「ナイアガラ」があったはずだが、ない!
ええっ、廃業した?
現役時代は一度も行ったことがなかったが、就職して東京勤務になってから一度だけ興味本位で行ったことがある。
カレーが模型の列車に乗ってレールの上を運ばれてきた記憶がある。
とくに愛着があった店ではないが、ランドマーク的存在だっただけにショックである。

もう一度、ガードをくぐり、かつて通った銭湯を見に行く。
またしても、ない。跡地は低層マンションになっていた。
もちろん、ほとんどの家庭に内風呂がある時代だし、学芸大学も都立大学も沿線からいなくなり、学生も減ったのだろう。
名前も忘れてしまったので調べてみたら「越の湯」だった。
廃業は2003年11月頃のことらしい。

残念な思いで、かつて住んでいた下宿に向かう。
すると、「ナイアガラ」があるではないか。移転しただけだった。
HPを見てみると、平成25年3月に創業の地でリニューアルオープンとのこと。
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こちらも本日運休。開いていたら、話のタネに食べていったかもしれない。

裏通りで見つけた廃屋。
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下宿近くにあった巨大な車輪。
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C57 117号機関車の主動輪だそう。
117号は主に九州で活躍した機関車で、1973年4月に宮崎県植樹祭に向かう昭和天皇のお召し列車を牽引したことで知られる。
「日本最後の国鉄蒸気機関車牽引のお召し列車」だそうである。
それがなぜこんなところにと思ったら、なんと所有者があの「ナイアガラ」だったのだ。それは今回訪ねて初めて知った。
ご主人やはり筋金入りのテツである。
私は学生時代、この動輪の横にいつも通学用のバイクを置いていた。
今さらながらすいません。

私の下宿は老夫婦が経営している大判焼きの店だった。
経営していると言っても、たぶん小遣い稼ぎ程度で、年金と家賃でゆうゆう暮らしていたはずだ。
今は息子夫婦が住んでいるのか、人手に渡ったのかよくわからないが、こんなこじゃれた家屋になっていた。
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この奥にあった下宿棟は取り壊され、更地になっていた。
裏の幼稚園や隣の花屋さんは昔のままなのに、かなり残念だ。
実は15年前に訪ねたことがあり、その時すでに建て替えられていたのだが。

当時私が暮らしていたのは、玄関・トイレ共同、風呂なし、4畳半日当たりなしの部屋で月26000円だった。
それでも高く感じて、3年目からは多摩川を渡った新丸子に引っ越した。
そこの家賃は確か17000円だったと思う。

昔の通学路である通りを駅に向かう。
1軒1軒眺めていく。見覚えのある店もあり、初めて見る店もある。
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(こんなのはなかった)

変わってほしくないと思うのは、こちらの勝手なのだが、変わっていないとホッとする。
そのうちの一つがこれ。
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私の下宿を世話してくれた山下商事さん。
ご主人はあの時点でそれなりの年だったと思うが、もう80を超えているのではないか。店はこの日閉まっていたが、廃業している雰囲気ではなかった。
ちょっとお顔を拝見したかった気もするし、その後の祐天寺の話なども聞きたかった。向こうは私のことなど当然覚えていないだろうが、物件は覚えているだろうから。

駅は改修中だった。
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横浜銀行が入った駅舎だったが、それも様変わりするのだろう。
ちょうど1時間の散策。感慨深い街歩きであった。

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