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山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

夕張鉄道(下)

【2020年5月5日(火)】夕張鉄道
旧夕張鉄道の若菜駅跡を着いて、驚いているところだ。
なぜ、以前来たときに、この遺構に気付かなかったのだろう。
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夕鉄の線路はJR線すぐ脇ではなく、東側の一段高いところを走っていたのだ。
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枯れたイタドリが倒れている斜面を登ってみて、もう一度驚いた。
なんと、立派なホームが残っていたのである。
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思ってもみなかったので、非常に興奮した。
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やはり、夕鉄跡は自転車でしっかり走らねばなるまい。
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それにしてもホームがかなり長い。当時は長大編成の列車が行き交っていたのだろう。
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しかも残りが、かなりといい。
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駅舎が残っているのもうれしいが、やはりホームが残っている感激は大きい。
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左が夕鉄、右がJR線である。
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若菜駅からは北炭化成工業所専用鉄道(0.9km)が分岐しており、夕鉄廃線後も専用鉄道の駅として1978年(昭和53年)4月まで存続した。

ちなみに、若菜駅の夕張本町側の線路跡は一部、運送会社の駐車場になっていた。
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次の夕製前駅の位置も特定が難しい。
「黄色いハンカチ思い出広場」に行く道とサイクリングロードが交差するこのあたりだと思われるのだが、どうだろう。
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鉄道歴史地図では引込線の先端として表示されているが、そんなことがあり得るだろうか。
スイッチバックでもないのに。

私はやはり本線上にあったと思いたい。
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でも、念のため鉄道歴史地図が示す位置にも行ってみた。
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そこは、廃業した「ゆうばり温泉ユーパロの湯」の向かいあたりであった。
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ちなみに、「夕製」とは「夕張製作所」の略で、北炭系の産業機械メーカーのこと。
1938年(昭和13年)の創業で、1965年(昭和40年)に「北炭機械工業」に改称している。
改称しても駅名はそのままだったわけだ。
親会社である北海道炭礦汽船が1995年に会社更生法をしたの申請に伴い、倒産した。

工場自体は今も残っている。
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柳原技研工業という岩見沢に本社を置く機械メーカーが引き継いだ形だ。
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ちなみに、夕製前駅は1962年(昭和37年)9月1日に開業した比較的新しい駅だったが、1971年(昭和46年)11月15日、栗山~夕張本町間の旅客営業停止に伴い、廃線に先だって廃止されてしまった。

温泉施設の隣に大煙突が保存されていた。
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コークスを製造していた北炭化成工業所の施設で、1960年(昭和35年)に建設されたという。
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高さは63m、地上面の直径は5m、頂上部で1.9mもあるそうだ。

次の駅は礦業所前駅だが、車の駐車場所の関係で先にその次の平和駅へ。
平和駅は1938年(昭和13年)8月1日、貨物駅として開業。
北炭平和炭鉱の積み出し駅としてスタートした。
1959年(昭和34年)7月には旅客営業を開始したが、その12年後の71年に停止。
貨物のみの取り扱いに戻ったが、75年4月1日、夕鉄の廃線に伴い廃止された。
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駅の真下で車道が交差している。
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そのコンクリートはかなり劣化が進んでいた。
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駅はこの築堤の上にあり、1面1線の単式ホームだったという。
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駅舎があったあたりに、サイクリングロードの休憩施設が設置されていた。
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この案内図でいうところの「千代田休憩所」だと思われる。
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この先、栗山方面には錦沢休憩所(おそらく錦沢駅跡)と富野休憩所があるようだが、道は白く塗りつぶされていた。
かなり早い段階で、通行不能になったものと思われる。
この道は2度も廃線を経験したことになる。
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ここから礦業所前駅跡までサイクリングロードを歩くことにした。
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左手、築堤の下には、炭住の生き残りがぽつんと建っていた。
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かつては百棟単位の炭住が並んでいた場所だ。

士幌加別川をはさんで対岸にはさっき立ち寄った旧夕張製作所が望める。
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手前の青い芝生にもかつては炭住が密集していた。
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右手には、廃土の上にフキノトウが産毛のように生えていた。
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路面はコケむしている。いったい年間何台の自転車がこの道を走るのだろう。
おそらく10台に満たないのではないか。
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間もなく鉄橋に差し掛かった。
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橋脚はコンクリート製である。
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いい感じだ。やはりここはもう一度、自転車で来ざるを得まい。
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下流側に道路橋が見える。
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もとは鉄道橋だったようにも見えるが、右側にのびる道がすぐ急勾配になっているので、たぶん違うだろう。
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平和駅跡から10分ほどで、礦業所前駅跡のあたりに到着した。
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礦業所とは北炭平和炭鉱の礦業所のことで、その跡地はまるごと平和運動公園に整備されているので、厳密に駅舎跡を特定するのは困難だ。
だから、このあたり、ということにしておく。
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この駅は1952年(昭和27年)4月25日、坑内員通勤専用駅として開業。
その10年後の1962年(昭和37年)8月1日に一般旅客営業を開始した。
しかし、そのわずか9年後の1971年(昭和46年)11月15日、栗山~夕張本町間の旅客営業停止に伴い廃止された。20年に満たない命であった。
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芝生の部分にはあちこちにシカの糞が落ちていた。
アスファルトの上ではしないらしい。おもしろい習性だ。
もしかしたら、草を食べながら出すからかもしれない。
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道道に出ると、JR線と夕鉄線との立体交差を見ることができる。
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ちょうど、平和運動公園前のバス停があるところだ。
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ここには前にも来たことがあるが、もう一度行ってみよう。
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それにしても、まさか両方とも廃止になるとは。
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橋桁はサイクリングロード用に掛け替えられたものと思われる。
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橋台は鉄道時代からのもの。コンクリート製である。
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JR北海道にレールを撤去する余力は今のところ、ないようだ。
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JR線の東側に路盤らしきものが並走している。国鉄複線時代の遺構だろうか。
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それでは、車のところまで戻ることにしましょう。
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この団地は市営住宅。もともと炭住だった場所に整備されたものだ。
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車に戻ってきたのは、歩き出してだいたい30分後。ちょうどいいお散歩だった。
これで、今回も夕鉄の廃線歩きは終了。
最後に残った錦沢駅跡は次回に回すことにした。

道すがら、旧JR沼ノ沢駅の現状を確認。今日はお休みだが駅レストランは廃業したわけではなさそうだ。
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あとは帰るだけなのだが、あすの朝食を調達するため道の駅夕張メロードに立ち寄った。
天気も良くなってきたので、ソフトクリームも食べてしまった。
夕張メロンとバニラのミックスである。
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とても上手に仕上げてくれたので、お店のおじさんに「美味しそうに盛りますねえ」とお礼を申し上げた。

ここはJR石勝線の新夕張駅前にあるので、ちょっと駅前を散策。
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もう使用されていないようだが、武道館まであった。
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最近、廃線関連本を読んでいて知ったのだが、石勝線が整備される前の旧国鉄夕張線は石勝線の南側の一段低いこの面を走っていたらしい。
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この道路がまさに旧線跡だったというわけだ。
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しかも、この道の札幌側にトンネルの残っているというので、本日の最終イベントとして、そこに寄ることにした。
すると、ありました、ありました。
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左側にも路盤らしきものが続いている。
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上り線だったのだろうか。
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坑口は立派なレンガ造り。
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ふさいでいる板の「塔」の文字が何なのか気になるが、レンガにはかなりひびが入っていた。
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さて、これでほんとにすべて終了。帰りましょう。
途中、ラッキーなことに特急とかち8号とかちあった。
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一瞬だが並走する形になった。
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でも、当然ながらあちらの方が速い。あっという間に行ってしまった。
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さようなら~

というわけで、17時過ぎに帰宅。
楽しい夕鉄廃線の旅を終えたのでありました。

(おわり)
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夕張鉄道(中)

【2020年5月5日(火)】夕張鉄道
夕張鉄道の廃線跡を訪ねている。
ここまで、栗山町の角田駅、継立駅、新二股駅と支線の角田炭砿専用鉄道の学校前駅、松原前駅をたどり、腹ごしらえをすべく、夕張の市街地に入った。
幸い、旧夕張駅前のバリー屋台は自粛せずに営業してくれていた。
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ここののれんをくぐるのは通算4度目になる。
観光客としては常連に近いかも(笑)。
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今回は、夕張のご当地グルメ、カレーそばにした。
店内には他に4,5人のお客さんがいたが、先にいた人も、後から来た人も頼んだのはみんなカレーそば。
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ここは屋台村の店がスタッフを共有して、注文取りをするシステムなので、ちょっと他のお店がかわいそうだった。
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カレーそばを食べるのは3年ぶり2度目。
前回は道の駅夕張メロードの近くにあった食堂だった。
あの時の見た目は忘れてしまったが、今回のは、そばが全く見えず、カレーの海であった。
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その中からそばを掘り出す感じ。
カレーがドロドロなのでかなり力が必要だった。
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特別感動を覚えるような味ではないのだが、安心できるというか、「ふつうに美味しい」というのが最も適切な言い方かもしれない。
具は豚バラと玉葱のみ。もう少し量があってもよかった。
カレーもすべて飲み干して、ご馳走さま。
700円の価値は十分あった。
熱くて、ちょっと汗をかいてしまった。

それでは廃線歩きを再開。
その前に、旧夕張駅舎を撮影しておく。
こちらは夕張鉄道ではなく、JR石勝線夕張支線の駅である。
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来るたびに撮っているから、もう必要ないのだが、どうしても素通りすることができない。
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背後はホテルマウントレースイである。
休業中なのか、人影は見られなかった。

こちらは、すでに使われなくなって1年余りが経過したホーム。
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このホームは永久保存の方針なのだろうか。
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ホテルの向かいの斜面に石碑を2基発見。
一つは馬頭観世音。
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もう一つは、戦没者の慰霊碑。
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昭和7年(1932年)2月25日に上海郊外の呉家宅で戦死した陸軍歩兵上等兵細田彌太郎氏を偲ぶものであった。
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上海事変の戦死者の碑は初めて見た。

碑のある斜面から、マウントレースイスキー場が一望できた。
さすがに雪はすっかり解けていた。
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というわけで、夕張鉄道の終点、夕張本町駅である。
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駅の改札はこの夕張市民会館の1階にあったという。
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市民会館も老朽化のため、2015年3月末をもって閉鎖された。
本来なら取り壊されるのだろうが、夕張市にその費用はなく、やむなく放置された状態。
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市役所のとなりに巨大な廃墟があるというのが、夕張市の置かれた現状を象徴している。
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ちなみに、夕張本町駅は1926年(大正15年)10月14日、夕張鉄道の開通に伴い、新夕張駅として開業した。
「新夕張」と言うと、JR新夕張駅を連想してしまうが、明治30年代に「新夕張炭鉱」が開坑したことから、当時この付近は「新夕張」と呼ばれていたのだ。
「末広」という地名は1942年(昭和17年)の字名改正で誕生し、「新夕張」が「末広」となった。

そんな経緯もあり、当駅は1954年(昭和29年)1月16日、夕張本町駅に改称された。
続いて、1963年(昭和38年)10月10日、駅は夕張市民会館に移転した。
廃止されたのは1971年(昭和46年)11月15日。
鹿ノ谷~夕張本町間が全線に先行して、旅客営業が廃止されたためだった。
夕張市民会館には夕鉄撤退後、1985年10月に国鉄夕張駅が移転してきたが、1990年12月には現在地にさらに移転。駅はどんどん南下した。
私は1983年8月、夕張駅に自転車で訪ねているが、それは国鉄夕張駅の初代駅舎であったことになる。

一時期は駅のすぐ隣にあって便利だった夕張市役所。
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1年ちょっと前まで、ここの主は今の北海道知事、鈴木直道氏だった。
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彼は目下、コロナ対応で大奮闘中である。
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夕張市民憲章の碑。
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駅前には、お花屋さんがあったようだ。
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「花のむらおか」の看板がまだ掲げられているが、もう何十年も前に廃業したのだろう。
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市役所の正面には、夕張商工会議所。
2018年に「ゆうばり叛逆映画祭」の作品を見たのはここだった気がする。
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道新の夕張支局も駅前にあった。
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ちなみにこちらが駅前通り。
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そう言われると、そんな雰囲気もなくはない。

次は末広駅跡なのだが、ここも2説ある。
「歩鉄の達人」は3代目JR夕張駅より北側説、鉄道歴史地図は同駅より南側説をそれぞれ採っている。
旧版地形図で位置を確認すれば一目瞭然なのだろうが、なかなかその機会に恵まれない。
今回は一応、2か所とも抑えておいた。
北側説はこのあたり。
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路盤の跡がくっきりしている。
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そして、南側説がこちら。
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北側説だと夕張本町との駅間距離が近すぎるし、末広町の現在の町並みに近いのは南側だ。
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個人的には、南側説を採りたいところだが、一応留保しておく。

JRの線路は踏切部分を除いて、まだほとんど残っているが、夕張鉄道の線路跡はサイクリングロードになっている。
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左側の細い舗装道路がそれだ。
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末広駅は1956年(昭和31年)8月11日、末広臨時停留場として開設され、同年12月1日、末広駅に昇格した。
廃止は、夕張本町駅と同じ1971年(昭和46年)11月15日である。

JR夕張駅と鹿の谷駅の間にあった鉄橋が一部撤去されていた。
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国鉄夕張線は1912年(大正元年)から1932年(昭和7年)にかけて20年間ほど複線だった時代がある。
その名残で、鉄橋が2本並んでいる。
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こちらが先に廃線となった方の橋脚。
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石が混じらず、レンガだけで築かれたこちらが昨年まで現役だった方だ。
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橋桁も現役だった方だけ塗り直されたことが分かる。
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鉄橋に通じる夕張駅側の築堤。
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鉄橋は道路の部分だけ撤去された形だ。
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そして川の数十m上流に、夕張鉄道の橋台も残っていた。
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なんと、コンクリートとレンガの境目に根を張って、樹木が成長している。
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廃線後の歴史を感じさせる風景だった。

こちらはJR橋梁の少し下流にある道路橋。
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橋桁は鉄のようだが、ここはさすがに鉄路だったわけではあるまい。

次の鹿ノ谷駅には何度も来ているので、車の中から1枚だけ撮影して
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すぐに次の営林署前駅へ向かう。
最初はこのあたりだと思ったが
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すぐに間違いに気づいた。
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道路と交差するこのあたりだと思われる。
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線路跡であるサイクリングロードはあるが、駅舎の痕跡は全くない。
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この駅は1956年(昭和31年)8月11日に開設された臨時停車場だった。
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駅舎には夕鉄共栄社の売店が併設されていたという。
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このすぐ近くに「ときわ入口」のバス停があった。
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表示はこの通り、「ときわ入口」となっているが
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裏面を見ると、「営林署」の文字が消されているのが分かった。
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その営林署も空知森林管理所に統合され、今は消滅している。

その次の若菜駅跡も来たことがあったので、それほど重きを置いていなかった。
若菜駅前踏切を発見し、JRの線路のすぐ横にあったのだと確認したつもりになっていたからだ。
しかし、それは大間違いであった。

(つづく)
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夕張鉄道(上)

【2020年5月5日(火)】夕張鉄道
先日、夕張鉄道の起点(野幌駅)側の駅跡を訪ねたので、今回は終点の夕張側を訪ねることにした。
未踏のまま残しているのは栗山駅以東である。
夕張鉄道(野幌~夕張本町間53.2km)は、1926年(大正15年)に開業、1975年(昭和50年)4月1日に廃止された路線である。半世紀足らずの命であった。
実は、乗ったことはないし、走る列車を見たこともない。
それでも、この年になって目覚めてしまったのだから仕方がない。

自宅を出発したのは午前10時過ぎ。
まっすぐ、栗山の次の駅、角田駅跡を目指す。
国道274号から千歳川を渡った後、二又を左へ。
道道3号札幌夕張線に入る。
馬追運河に沿って進み、長沼市街を通過。
小さな峠の手前、左手に廃業した馬追温泉が見える。
先代の主人が植えたというサクラが満開だった。
室蘭本線をまたいで、愛車は由仁町から国道234号に入る。
夕張川を渡ると、間もなく角田集落である。

ここでスマホの「角田駅跡」経路案内をスタート。
ところが、私が思っていた地点とは行き先が若干異なるので、とりあえず無視。
自分で事前に調べておいた場所に着くと、かつての駅前倉庫らしきものが建っていた。
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その背後は広い空地になっている。
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鉄道の痕跡を示すものは何もないが、おそらくここでいいのだろう。
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角田駅は夕張鉄道の開通と同時に開業したが、合理化に伴い廃線となる4年前の1971年(昭和46年)11月15日に廃止された。
当時は1面2線の島式ホームのほか駅舎もあったらしいが、その面影は全くない。
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ただ、夕張鉄道が現役時代からあったと思われる古い空き家が、駅前にぽつんと建っていた。
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この後、スマホが教えてくれた場所にも行ってみたが、状況的に可能性の全くない場所であった。

次の継立駅に行く途中、坂本九思い出記念館という案内看板を見つけた。
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どうせ自粛期間中なので休館だろうし、開館していても入るつもりはないのだが、どんな建物なのかは確認しておきたいので行ってみた。
その結果、こんなかわいい、でもしっかりとした資料館だった。
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カナダ杉を使用した木造平屋建築で、「九ちゃん」にちなんで九角形なのだという。
それにしても、なぜ、ここに坂本九の記念館があるのか。
ググってみると、この施設は、栗山町の障がい福祉サービス事業所「ハローENJOY(旧栗山ハロー学園)」が運営しているとのことだが、坂本さんが障害者らを励ます番組を長くやっていた関係で、縁ができたということらしい。
この日は案の定、休館中だったが、そういうことなら、いずれまた来てもいいかも。

この記念館の近くに、「北海道八十八ヶ所霊場」の幟がはためく孝恩寺というお寺があった。
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「北のお遍路」なんてあったのか。なんか予定外の発見が多い廃線歩きになってしまった。
調べてみると、旭川の第一番眞久寺に始まり、札幌の大照寺まで全道各地約3000kmを回らないといけないらしい。
ガイドブックも出ているが、歩き遍路はちょっと無理だ。

なんて、寄り道してしまった。
角田駅跡から15分もかかって継立のバス停に到着。
夕鉄バス、北海道中央バスそして栗山町営バスの3社も運行していた。
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継立駅は、夕鉄としてはめずらしく駅舎が保存されている。
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松原産業という会社が事務所として利用してくれているのだ。
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地元の零細企業かと思ったら、さにあらず。
創業は1907年(明治40年)。富山から渡ってきた初代会長の松原外次郎氏が北海道炭礦汽船から坑木造材の仕事を頼まれたのが始まりだという。
現在は、栗山町を本社に、木製品の製造販売だけでなく、デザインや建設まで全国展開しており、従業員は140人を擁する。
夕鉄とも縁の深い老舗企業なので、駅舎が取り壊されるのが忍びなかったのだろう。
残してくれて、ありがとうございます。
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駅舎の線路側は当時の面影を残している。
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1面2線の島式ホームだったというが、左の並木(防雪林?)の位置からすると、幅が狭いので単式ホームだったようにも思える。
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ただ、樹木がまだ細いので、廃線後に植えられたものかもしれない。
いずれにしろ、線路跡は完全に埋められてしまっている。
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このコンクリートの剥離が廃線後の長い歴史を物語っていた。
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ちなみに、継立駅の開業は1926年、廃止は75年である。

駅の100mほど夕張側に、農業倉庫がまだ残っていた。
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次の新二股駅はすでに撮影済みなので通過。
一応、以前撮った写真をここに上げておく。
新二股駅跡
ここで夕張鉄道本線を離れ、新二股駅から分岐していた角田炭砿専用鉄道の廃線跡をたどることにする。
専用鉄道の説明板が道沿いにあるとの情報があったのだが、運転しながら見る限り、それを発見することはできなかった。
ちょっと心残りだが、駅跡めぐりに専念する。

この砂利道が、まさに専用鉄道の跡だ。
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分岐してから最初の駅は学校前という駅で、その学校の木造体育館がまだ残っているという情報だった。
何か建物があったので、そこに車を停めると、目の前に広い空き地が展開した。
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学校のグラウンドだ。
奥に石碑が見えたので、確認に行く。
校歌を刻んだものだった。閉校を記念して建立したものだろう。
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ここ栗山町立日出小学校は1981年(昭和56年)3月に閉校となっている。
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閉校した時期としてはかなり古い。過疎が急速に進んだのだろう。
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サクラは子供たちがいなくなってからも、毎年春には花を開く。えらいなあ。
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学校の敷地内に、なぜかクラシックな車が何台も並んでいた。
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よくよく見ると単なる展示品ではなく、値段が付いている。
中古車として販売されているようだ。
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そして、これが噂の木造体育館。
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ものすごく立派である。よくぞ残してくれた!
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屋根を支えるバットレスまで木造。感動的だ。
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ここはどうやら、クラシックカーの展示場&カフェとして営業しているらしい。
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日出コレクションホール&カフェ麗燈露という看板がかかっている。
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見学料は大人500円。
調べてみたら、札幌市に本社がある中古車屋さんようだ。
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しかし、こんなところにショールームを持っているとはしゃれているではないか。
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車自体にはそれほど興味はないが、体育館の中の風景は見てみたい気がする。
今回は廃線歩き優先にさせてもらうが、機会があったら、坂本九記念館とセットで来てもいいかもしれない。
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で、肝心の学校前駅だ。正確な場所は特定できないが、おそらく学校の真ん前、このあたりだったに違いない。
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では、次の松原前駅の跡で向かおう。
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今、走ってきた線路跡はそのまま道路として続いているので、行けるところまで車で行ってみようと思ったのだが、すぐに道がぬかるみ始めたので、安全策をとって引き返した。
迂回路がちゃんとあるのだ。

松原前という駅名の由来はよく分からないが、該当する場所にたどり着いてみると、仁木宅というバス停があった。
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仁木さんのお宅前ということだろう。
ここはもうご使用ではないようだが
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奥に現在お住まいの家があった。
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駅の跡はこのあたりだったのだろうか。
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たぶん右側の一段低い緑の面が路盤の跡だと思われる。
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さらに奥の社宅前、そして終点の角田坑駅の跡まで行くつもりだったが、その手前で道路に立入禁止のロープが張ってあった。
なんと。これは是非もない。

いずれ再起を誓うことにして、今回は断念。
夕張鉄道本線に戻ることにする。
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本来であれば、この後、新二股駅の次の錦沢駅、平和駅と順番にたどっていくべきなのだが、もうお昼も過ぎてすっかりお腹が空いたので、まっすぐ夕張の市街地に向かう。
実は、新二股駅から奥はサイクリングロードとして整備され、錦沢駅にも自転車で行けた時代もあったのだが、その後、夕張市は財政破綻し、サイクリングロードは放置され、荒れる一方という。
3つあるトンネルも通行できない状態にあると聞いていた。
ただ、多少ヤブをこげば、錦沢駅には歩いて行けるとのこと(うにさん情報)なので、サイクリングロードにつながる道を探しながら、車を走らせたのだが、どうも地形図に書かれている道路の線形と実際に今走っている道の線形が違う。
地形図に書かれているヘアピンカーブがないまま、夕張トンネルに着いてしまった。
途中、左手に旧道らしきものも見えたので、帰宅後確認してみたら、この道路は2007年に付け替えられていた。
私が見ていた紙の地形図は平成12年(2000年)8月1日発行のものだった。
道理で違うはずだ。
改めて、ネットで確認すると、サイクリングロードの一部はこの新道に活用されており、新道から簡単にサイクリングロードにアクセスできることも分かった。
入口は交通安全のお地蔵様が目印らしい。
その姿は確認済みなので、迷うことはないだろう。
再訪する際は、ついでに旧道の方もたどってみたい。
ちなみに夕張トンネルも付け替えられ、旧トンネルは埋められてしまったそうだ。
一時は、新旧の坑口が並んで見えた時期もあったらしいが、もうその雄姿を見ることは叶わない。

(つづく)
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千歳線旧線

【2020年5月2日(土)】千歳線旧線
4月23日、とうとう勤め先から禁足令が出てしまった。
GW中は特別な事情がない限り、管内から出るなというのである。
管内とは、石狩振興局のエリア内のこと。小樽にすら行くことは許されない。
実は、4月26日は狭薄山(1296m)のガイドツアーを予約していた。
この山は札幌市内にあり、「管内」だから問題ないと考えていたのだが、そう単純な話でもない。
もし、何かあって(しばらく連絡がとれなかった、みたいな軽微なケースでも)、「どこに行っていたんだ?」ということになった場合、たとえ管内であっても、さすがに山となると「非常識」のそしりを免れない。
しかも、この日の予報は曇り時々雨。
山は雪が降っている可能性が高い。
前回示した山に登れるケースの条件に照らしても、NGということになる。
よって、残念ながらキャンセルせざるをえなかった。

その後も、北海道内の新型コロナ感染者数はなかなか減少傾向を見せず、鈴木知事と秋元・札幌市長は共同で、「札幌市民は家にいること」などと道民に呼びかける事態になってしまった。
これはもちろん、散歩や買い物にも出るなという意味ではない。
私もなるべく家にいることにして、外出は2割以内に収めることにした。
というわけで、GW後半初日の5月2日は、その2割の一部を使って千歳線旧線の跡をたどることに決定。
旧東札幌駅から北広島駅までの約20kmは歩行者と自転車の専用道路として整備されているので、足は自転車である。

千歳線は1926年(大正15年)8月21日、北海道鉄道札幌線として開業した。
現在は北海道の大動脈としての地位を確立している路線だが、しばらくは、一ローカル線に過ぎなかった。
しかし、室蘭本線が改良されるなどして、1961年に室蘭本線・千歳線経由の特急おおぞらの運行が始まると、徐々に「海線」の比重が高くなっていった。
このため、急カーブや急勾配、踏切の多かった苗穂~北広島間(19.6km)が付け替えられることになり、1973年(昭和48年)9月9日に現行の新線に移行した。
白石駅から東札幌駅を経て月寒駅までは、函館本線の支線として貨物列車の運行は継続されたが、うち東札幌~月寒間は1976年(昭和51年)10月1日に、白石~東札幌間も1986年(昭和61年)11月1日に廃止された。
鉄道にあまり興味のなかった私は、札幌市内に住んでいながら、こうした経緯を全く知らなかった。
東札幌とか月寒といった駅があることすら知らなかったし、千歳線に旧線時代があったことを知ったのも、恥ずかしながらごく最近のことである。

とにかく、廃線跡がそのまま「歩行者・自転車専用道路」になっているというのは、ありがたい。
今回は、廃止になった東札幌、月寒、大谷地、上野幌(旧駅)4駅の位置を確認するのも大きな目的である。
札幌市内から出てはいけないので、北広島まで走り切るつもりはない。
なので、ゆっくり朝食を食べて、11時過ぎに家を出発した。

この日は朝方、雨が降っていたが、もうすっかり晴れ上がっている。
最高気温は23℃になる予報で、この時点ですでに21℃まで上昇していた。
これなら薄手の長袖シャツだけで十分。
日焼け防止のため、帽子をかぶって出かけた。

まずは中島公園を突っ切る。
もうサクラが八分咲きくらいだ。今日は暖かいので一気に開くだろう。
ごったがえすほどでは全然ないが、結構散策している人は多い。
皆さん、家になどいられないのだろう。
南大橋で豊平川を渡り、国道36号を横断。
道道3号線に出て、白石警察署の前をすこし南東に進むと、左に巨大なショッピングセンターが見えてくる(自宅から3.5km)。
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この「ラソラ札幌」が立地しているあたりが、東札幌駅の構内跡である。
東札幌駅(ネットより)
1997年に発行された宮脇俊三編著「鉄道廃線跡を歩くⅣ」(JTB)の記事では、東札幌駅跡は「広大な空き地」となっていたが(おそらく1996年頃の取材)、すっかり再開発されて様変わりしてしまった。

向かいのコンビニに立ち寄って、ドリンクを購入。
早速、北広島方面に向かって走り出す。
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この専用道路「白石こころーど」は、正式には「道道札幌恵庭自転車道線」といい、通称「白石サイクリングロード」と呼ばれていた。
開通当初から歩行者も通行できる道として整備されたのだが、自転車優先の印象を与えるこの名称を変更するため、白石区が新しい愛称を募集。
「白石こころーど」という名称が2015年に決まったそうである。
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普通のサイクリングロードより広く、両側2車線に近い幅員がある。
ただ、驚いたのが、歩行者が右側通行、自転車が左側通行になっていることだ。
交通法規に照らせば、それは正しいのだが、片側1車線ほどの幅があるとはいえ、その幅の中で歩行者と自転車が対面通行するのは、非常に走りにくい。
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歩行者としても、前からどんどん自転車が来るのだから、ちょっと怖いのではないか。
もちろん、対面にした方が、自転車が後ろから来て見えないよりも安全だ、という考え方もある。
歩行者と自転車が混在しているのだから、そもそも自転車はスピードを抑えて走行すれば問題ないとも言える。
そういう意味では、これでいいのかもしれないが、若干違和感を覚えたのは事実だ。
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そう感じたのも、人出が想像以上に多かったからかもしれない。
遠出を「禁止」された市民が、サクラの名所でもある、この「散策路」に足が向くことは十分予想されたが、これほどとは思わなかった。
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もともと走ること自体が目的ではないので、クロスバイクではなくママチャリで出かけたのだが、それでも、かなり気を遣わざるをえなかった。
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歩行者も乳母車を押しているお母さんから、普通の散歩の人、ランニングをしている人とスピードも様々。自転車も子供から、私のようなママチャリ、しっかりヘルメットをかぶったロードレーサーなど、こちらも様々だ。
これだけの混沌の中で、事故が起きないのが不思議なくらいである。

東札幌駅跡近くには、旧線の現役時代からあったと思われる倉庫が2棟ほど右手に残っていた。
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行く先々で、こうした遺構が見られるかと思ったら、周辺はどこも立派に宅地化されていて、往年を感じさせてくれるものはほとんどなかった。
鉄道遺構に至っては皆無。これだけ整備するなら、ちゃんとホームなどの遺構を残して、レプリカでもいいから駅名標くらい設置してほしかったが、当時の整備思想として、そんな発想はなかったのだろう。
いかに、「道路」としての快適性を高めるかしか頭になかったのだと想像される。
鉄道なんて廃止されたら、もうなかったのと同じことだったのだ。

だから、月寒駅跡のモニュメントも「こころーど」に、ではなく公道の脇に立っている。
事前に調べて、そのことを知っていたので、アサヒビール工場が見えてきたところで、専用道を外れ、碑を探しに行った。
すると、まさに月寒駅があったと思われる場所に、それは立っていた。
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ウィキペディアの月寒駅の項に掲載されている空中写真で、駅のあった位置はちゃんと確認できるのだ。

モニュメントの建立者は北海道アサヒビール株式会社。
建立年は平成3年(1991年)。
同社が背後に見えるアサヒ物流センターを建設した年である。
本来なら、札幌市が「白石こころーど」に立てるべきものだと思うが、月寒駅が新線移行後もしばらくアサヒビールの積出し駅としての役割を担ったことから、同社が感謝の気持ちを込めて、自ら建立したのだろう。敬意を表したい。
この碑が、千歳線旧線にまつわる数少ない記念物の一つなのである。
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ところで、月寒駅の「月寒」は「つきさっぷ」と読む。
もともと、地名としての「月寒」の「つきさっぷ」と呼ばれていた。
戦時中の1944年(昭和19年)に、豊平町議会(豊平町は1961年にに札幌市と合併)が難読を嫌った陸軍の要請を受けて、「つきさっぷ」を「つきさむ」に改めた。
しかし、月寒駅については、鉄道省とその後身の国鉄が要請に従わず、「つきさっぷ」のまま、1976年の廃止を迎えた。
月寒駅(ネットより)
そのせいなのだろう。私が小学校の頃はまだ、「月寒」の読み方として「つきさむ」と「つきさっぷ」が混在していたような記憶がある。
鉄道の駅名と実際の地名の表記や読み方が異なる例は、わりとある。
市名の「あさひかわ」と駅名の「あさひがわ」などが有名な例だが、変更による経費負担を嫌ったのか、単なる意地なのかは分からないが、結果的にアイヌ語の原音に近い「つきさっぷ」を保存した行為として、個人的には好意的に受け止めている。
ちなみに、現在も「つきさっぷ」の名を残している公共施設は「つきさっぷ郷土資料館」「つきさっぷ中央公園」などわずかだが、民間では「キッチンつきさっぷくらぶ」や福祉施設の「つきさっぷ館」などそれなりにあるようだ。
たぶん、その方が特別感を出せるからだろう。

月寒駅跡の近くにも、おそらく駅前倉庫だったと思われる倉庫が1棟だけ残っていた。
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「こころーど」に戻り、さらに東進する。
実は、当時の踏切はほとんど立体交差に改修されている。
このおかげで、いちいち信号待ちをしなくてもいいのだが、その代わりアンプダウンがめちゃめちゃ多い。
登りが結構きついが、これもいい運動になると前向きに考えることにしよう。

「こころーど」の入口から30分ほどで、大谷地駅跡だと確認済みの白石東冒険公園に到着した。
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かなり広いので、じっくりと駅舎があったポイントを探さなければならない。
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自転車を置いて、周辺の住宅地の道路の様子を確かめながら園内を歩く。
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謎の盛土があったが、これは関係なさそう。
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その後、おそらくここだという場所を特定できた。
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しかし、駅跡を思わせるものは何もなかった。
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これからでもいいから、何か記憶を残してほしいなあ。
大谷地駅(ネットより)

ちなみに、こちらは当時の駅前通り。
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とにかく写真だけ撮って出発。次の上野幌駅へ向かう。

この先は登り勾配が徐々にきつくなる。
大谷地駅跡は標高20mほどだが、上野幌駅跡は40mもある。
結構、向かい風も強く。力を入れて、ペダルをこがなくてはならない。
厚別川をわたる虹の橋が、ちょっとした峠越えだった。
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右手に北星学園大学を見て、さらに東進。

冒険公園から20分ほどで、旧上野幌駅があった厚別南公園に到着した。
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ここには、ありがたいことに厚別区が設置した説明板があった。
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記述を読む限り、この説明板がいつ設置されたのかは分からないが、「鉄道遺産」の価値が見直されてきた21世紀になってからのことなのかもしれない。
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その文面には「駅舎が置かれていた小高い丘の上には駅のシンボルだったイチイの木が今も残り」とあるが、この木のことだろうか。あまりに小さい。
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もう廃駅となって半世紀近くが経つが、イチイとは極端に成長の遅い木なのだろうか。
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ここでも、周囲の道路状況と空中写真を照らし合わせて、駅舎の位置を特定。
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不思議なことに、イチイの木とは、ちょっと離れた場所だった。

これにて、千歳線旧線めぐりは終了。
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「こころーど」の走行距離はちょうど10km弱だった。
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時刻も13時に近くなり、お腹が空いてきた。
持ってきたスナック菓子をつなぎにして、来た道を引き返す。
帰りは下り基調なので、わりと楽ちんだ。
風があったおかげか、気温ほど暑く感じなかった。
アサヒビールの工場のところで、こころーどを離れ、道道を平岸に向かう。
途中にあった、りんご並木の碑をパシャリ。
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りんご並木は環状通りの美園地区に植えられている札幌の名物の一つだが、これは当時の板垣武四市長が長野県飯田市のりんご並木にならって1974年(昭和49年)に植樹したものなのだそうだ。
もっと昔からあるものだと思っていたが、意外に新しかった。
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ついでに豊平区役所をコレクション。
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ランチに適当な店がないか探しながら走り、平岸通りに面したリゾット専門店「リゾットリアGAKU」に入店。
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時間がちょっと遅かったからか、お客さんは少な目でソーシャルディスタンスはばっちり。
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たくさんあるメニューの中から、ゆで鶏と10種野菜のリゾット(トマトソース)をオーダーした。
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リゾットは滅多に食べないので、新鮮だったし、専門店だけあって、なかなか美味しかった。
見た目以上にボリュームがあって、お腹がいっぱいになってしまった。

なので、デザートのジェラートはシングルにした。
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味に個性があると飽きてしまうので、シングルならバニラにするしかない。
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これも美味。量的にもシングルで十分だった。
というわけで、ご馳走さまでした。
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帰宅途中に、父が通院しているKKR札幌医療センターや地下鉄中の島駅を撮影し
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15時過ぎに帰宅。
走行距離は26kmに達した。
自転車でこんなに長く走ったのは久々だったので、結構疲れた。
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【行程】2020年5月2日
自宅(11:15)~東札幌駅跡(11:43)~月寒駅跡(11:58)~大谷地駅跡(12:23)~上野幌駅跡(12:49)~りんご並木の碑(13:47)~GAKU(14:00昼食14:50)~自宅(15:03)
※所要時間:3時間48分(走行時間:約2時間40分)
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夕張鉄道

【2020年4月12日(日)】夕張鉄道
夕張鉄道は、江別市の函館本線野幌駅から室蘭本線栗山駅を経て、夕張市の夕張本町駅まで53.2kmを結んでいた路線で、1975年(昭和50年)に廃止された。
残念ながら乗ったことはないが、これまで南幌駅から中央農試前駅などいくつかの駅跡は踏査済みだが、今回は野幌~南幌間の4駅をたどることにした。
午前中の用を済ませて、お昼は南幌町の名店「ことぶきや」で。
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ここは厚岸直送のカキで有名だが、「アニキのザンタレ」というザンギも名物らしい。
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では、いざ入店。
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ちょっと待たされて、2階に案内されたら、4人掛けのテーブルが1卓壁に寄せられ、使用できなくなっていた。
隣のテーブルとの間にも衝立が立てられている。
「おや?」と思ったら、使用テーブルを減らして密集空間を作らないという配慮であった。
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こういう対応をしている店は信用できる。
安心して食事を楽しむことができた。

メニューを見て珍しく、いろいろと目移りしたが、結局、「牡蠣ステーキ定食」(1280円)にした。
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カキをバターで炒めたものだ。
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実は、カキは大好物というわけでもないのだが、ここのはさすがに美味しかった。
あえて選んでよかった。
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1階の水槽にはたくさんのカキが生きたまま保管されていた。
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店内には売店もあり、ななつぼし「うりゅう米」なども販売されていた。
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どうも、ご馳走さまでした。
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夕張鉄道の廃線跡を訪ねる前に、南幌町役場をコレクション。
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シンプルな褐色の建築で、レンガのイメージである。
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町民憲章は自らの町を「伸びゆく田園都市」と評価している。
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庁舎の前には、長谷川源之丞という方の胸像があった。
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1910年(明治43年)から1936年(昭和11年)にかけて行われた夕張川の切り替え工事に尽力された方だそうだ。

夕張鉄道の廃線跡を転用した空知南部広域農道「きらら街道」(北海鋼機前~北長沼間)を通って、晩翠駅跡へ。
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目印はこの農業倉庫。
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この倉庫は夕張鉄道が現役の時代から存在していたようだ。
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周辺が「きらら397」の産地だったから、「きらら街道」と名付けられたのだろうか。
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畑の中に、「夕張鉄道晩翠駅跡」の標柱が立っていた。
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晩翠駅は、夕張鉄道が1930年(昭和5年)11月3日に開通したのと同時に開業したが、簡易駅(無人駅)で不便だったため、地元の強い要望により、1947年(昭和22年)8月14日に有人化されたとのことである。
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1面1線の単式ホームで、当時の空中写真によると駅舎も存在していたようだ。
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有人駅なのだから当然だろう。

ちなみにこちらは、撤去された倉庫の跡。
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次は下の月駅。まずはバス停をチェック。
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駅もこの近くにあった想像されるが、グーグル情報ではかなり離れたところにある。
行ってみたが、ちょっと考えにくい場所だったので、バス停近くまで戻り、このあたりと判断した。
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この日は空気がとても澄んでいて、夕張岳が白く輝いていた。
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下の月駅は1959年(昭和34年)に開設された新しい駅で、駅舎もなかった。
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ホームも1面1線の単式だった。
CIMG8663_20200417051350dce.jpg

そうなるともう正確な特定は困難である。
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標柱も何もなかったので、がっかりして次の上江別駅へ。
最寄りのバス停は上江別南町入口となっていた。
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ちょっと行き過ぎてしまったが、ここは交差点などがあるので場所はほぼ特定できる。
CIMG8666_2020041705135580d.jpg

この1階部分が黒い家のあたりである。
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上江別駅は夕張鉄道開通と同時に開業し、廃線となる前年の1974年10月1日に廃止されてしまった。
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では、「きらら街道」を引き続き走って、本日最後の北海鋼機前駅跡へ向かう。
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北海鋼機は1961年(昭和36年)に創業した鉄鋼二次製品メーカーだそうだ。
「きらら街道」はいつの間にか、ふるさと農道「江南通り」になっていた。
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駅跡は巨大なパチンコ屋「RISING」が占拠している。
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駅の痕跡など全くない。
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分かっていたこととは言え、残念である。
CIMG8672_20200417051332dce.jpg

日本人は、廃止された「駅」に冷たいと思う。
碑くらい残せないものだろうか。
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それはともかく、駅跡の向かいに夕鉄バスの野幌営業所があった。
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夕張鉄道は1974年に親会社の北海道炭礦汽船に鉄道事業を譲渡してからは、バス事業に専念している。
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YOUの文字がさわやかだ。
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ちょっと営業所も覗いてみよう。
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待合室には誰もいなかった。
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こんな町中になぜか放置自動車が。
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この並木は当時の線路に沿っているようにも見えたが、まだ若いようにも思える。
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廃線跡に、土地の境界に植えただけなのだろうか。
だとしても、広い意味では鉄道の痕跡と言えるだろう。

これにて、夕張鉄道の旅は終了。
収穫は晩翠駅跡の標柱だけだったので、今度は栗山駅より夕張側を訪ねてみよう。

(おわり)
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