山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

日高(4)

【2017年6月25日(日)】日高
平取町の萱野茂二風谷アイヌ資料館に来ている。
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萱野茂(1926~2006年)はアイヌで初めて国会議員になった方で、貝澤トッカラムさん(1847年生まれ)の孫にあたる。
父・清太郎が姉の嫁ぎ先に養子として入籍したので萱野姓となったが、茂は萱野姓のまま貝澤家を継いでいるそうだ。
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ここに展示されている民俗資料はほとんどが、茂が私財を擲って、あちこちのアイヌの家から買い上げたものだ。
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そのことは、氏の著書「アイヌの碑」(朝日文庫)に詳しく書かれている。
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熊の毛皮。
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鮭皮の靴(左)と鹿皮の靴(右)。
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酒器類。
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儀式に用いるイナウ。
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和人から手に入れた漆器「シントコ」。穀物やその他大切なものを入れたという。
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熊の木彫り。
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左はアットゥシ。
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角付き鍬形(用途は不明)を復元したもの。
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これらの資料のうち202点が国の重要有形民俗文化財に指定されている。
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「天から役割なしに降ろされたものはひとつもない」という意味のアイヌのことわざ。
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萱野氏が国会議員になることで、1994年11月、憲政史上初めて国会にアイヌ語が響いた。
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萱野氏の著作の一部。少しずつ読んでいきたい。
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これにて資料館の見学は終了。駐車場へと戻る。
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買い物をした「北の民芸つとむ」にもご挨拶。
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廃線巡りを再開する前に、アイヌの文化的景観「オプシヌプリ(穴空き山)」を望む場所に立ち寄った。
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その昔、アイヌに生活の知恵を授けたオキクルミという神が、十勝地方のアイヌとの衝突を止めようと、山を矢で射抜き、神の威力を示したとの言い伝えが残っている。
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穴の幅は14mで、もともと本当の穴だったが、明治31年(1898年)の大雨で天井部分が崩れて、今のような窪みになったという。
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夏至の前後には、その穴にすっぽりと沈んでいく太陽が見られるのだとか。
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というわけで、旧富内線の幌毛志駅跡を探す。
この黄色い建物は幌毛志バス停。
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それらしき痕跡が見当たらないので、近くの民家の方に聞いてみたら、バス停の向かいを下りたところで、今は何も残っていないという。
ここのことだ。
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これがおそらく線路の跡だが、どこにホームがあったのかも判然としない。
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幌毛志駅は昭和33年(1958年)に開業した比較的新しい駅で、駅舎はなく、ホーム中央に待合室があったらしい。
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1981年の1日乗降客数は3人。86年11月、富内線の廃線に伴い廃止となった。
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草木が生い茂っていて、鵡川方面の線路をたどるのは困難だった。
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幌毛志の地名の由来となったと思われるポロケシオマップ川。
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「長い峰の尻の方にある村」の意味だそうだ。

次の振内駅は鉄道公園になっているようだ。
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駅前通り。
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正面に見えるピラミッドは、おそらく主待山(345m)。
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振内駅跡に着いてみると、駅舎は建て替えられ、立派な鉄道記念館になっていた。
でも平日のみ(!)開館なので、中を見学することはできなかった。
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義経号は大正12年(1923年)には民間に払い下げになっているので、この路線を走っていたわけではない。
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駅構内はかなりの部分が往年のまま残されている。
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廃線後、日高側のレールはここで断ち切られた。
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構内には、かつての客車を利用した宿泊施設「ライダーハウス」が設置されていた。
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料金は600円。巡回に来た管理人に支払うのだという。
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ホームには旧富内線各駅の駅名標が並んでいた。
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この古色を帯びた感じからすると、移設保存されたものだろう。
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車両の名称は「ほろしり号」。
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中も見学させていただいた。シャワーも200円で使用できる。
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床に寝袋を敷いて、ごろんと寝る感じだ。
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たぶん、扇風機は動かないだろう。
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わずかに座席も残っていた。
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ホームにある電線は、ライダーハウスのために設置したのだろうか。
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別のレールにはD51が保存展示されていた。
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鵡川側のレールもここでぷっつり。
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振内駅も1958年の開業、86年の廃止だから、寿命は30年にも満たなかった。
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懐かしい腕木式信号機。
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旧構内が「鉄道公園」かと思っていたら、こちらの更地のことだった。
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雨が降ってきたので、これで廃線巡りはやむなく終了。
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もともと雨の予報だったのに、午後4時過ぎまで持ちこたえてくれて、ありがたかった。
それでは日帰り温泉にでも入っていくことにするか。

その途中、国道沿いで発見した殉職慰霊碑。
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この碑は、昭和45年9月14日に、陸上自衛隊帯広駐屯部隊の隊員が静内での訓練からの帰隊途中、車両から転落して殉職した青年の冥福を祈って建立されたものだそうだ。
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心で合掌し通過。平取温泉に到着。
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温泉施設の前には巨大な沙流石が安置されていた。
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温泉施設の名称は「びらとり温泉ゆから」。
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弱アルカリ性の冷鉱泉で源泉は12.1℃なので、もちろん加熱してある。
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ゆっくり温まって、行者にんにくの味噌漬けを買って帰宅した。
帰りは眠くて、道央道の美沢PAで30分くらい寝てしまった。
ちょっと訪ねた駅の数は少なかったが、アイヌの民芸品見学が主目的だったので、よしとしましょう。

(おわり)




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日高(3)

【2017年6月25日(日)】日高
平取町の二風谷に着いた。
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「アイヌ料理」の文字にそそられたが、さっき食べたばかりだし、今回は諦めた。
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ここは木彫りだけではなく、沙流石も名産である。
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こちらはアットゥシの専門店。
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この木彫りはアイヌの船長さんなのかな。
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こちらはアイヌのご夫婦。ニポポ(人形)の代表的なモチーフだ。
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では、チセ村へと行ってみましょう。
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アイヌ語で家のことをチセという。
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これはもちろん再現したものだが、屋内には囲炉裏が切ってある。
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壁や屋根は萱でできている。
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木製のベッド。
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木彫り実演中のチセに入ってみた。
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中では、60歳くらいの男性がイタ(お盆)を彫っていた。
この後に入った二風谷工芸館に、二風谷の木彫り職人名鑑みたいな小冊子があり、それを見て、実演していたのは、貝沢徹さんだったと判明。
帰りに入った民芸品店「北の工房つとむ」が、偶然にも徹さんの店で、イクパスイ(捧酒箸)を注文した。
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1万円で彫ってくれ、2週間で家に届いた。素晴らしい出来栄えだった。
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隣は織物製作を実演しているチセだった。
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二風谷の職人さんが交代で実演しているらしい。

イユタプ。
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水力を利用して、米を精白する道具だそうだ。
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小熊の寝床かしら。
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こうしたチセがいくつも復元されていた。
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チセには大抵3つの窓があるという。
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にぶたに湖畔の公園はこのような配置になっている。
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チプサンケ(進水式)に用いる丸木舟。
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平取町立二風谷アイヌ文化博物館。時間が足りないので、今回は省略させてもらった。
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見学したのは、こちら。二風谷工芸館。
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北大アイヌ・先住民研究センター主催の企画展「二風谷 昭和おみやげ物語」がお目当て。
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昭和30~40年代のものが中心だ。
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いや、懐かしい。
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確かに、サントリーオールドを抱えたクマがいたわ。
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これは出所がはっきりしている。旭川の業者のようだ。
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典型的な熊の木彫り。昔は北海道の家なら、これがどこにでもあった。
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このパターンもよく見かけた。
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ちょっと小さめのクマたち。
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こういうタイプのものは、あまり見たことがなかった。
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多くは、北九州の骨董屋から買い集めたものだそうだ。

外に出て、湖畔方面に向かう。
あちこちに、こうした説明板が立っている。
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松浦武四郎は「北海道」の名付け親で、幕末期、和人の横暴を告発した人物でもある。
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アイヌの意匠をあしらったベンチ。
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金成マツ(1875~1961年)はユカラの伝承者。
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この付近はアイヌの伝統的景観が残っているということらしい。
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あそこまではちょっと遠くて行けなかった。
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二風谷ダムのダム湖「にぶたに湖」。
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ジョン・バチラー(1854~1944年)は英国人宣教師で、アイヌ語、日本語、英語の対訳辞書を現した人だ。
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さっき立ち寄ったダムの堰堤が見える。
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金田一京助(1882~1971年)はアイヌ語研究の第一人者。
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沙流川歴史館に入った。
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昭和26年撮影の沙流軌道。
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王子製紙が原料の材木を運ぶため、大正10年(1921年)に敷設した鉄道だ。
昭和26年に廃止されている。

昭和15年頃の沙流川流域の民家。
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明治13年(1880年)ごろの佐瑠太小学校平取分校。
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この木彫りも二風谷の職人の仕事だろう。
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次回はここをゆっくり見学したいと思う。
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縄文時代の竪穴住居も復元してあった。
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こちらはアイヌの男子便所。
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女子便所。
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屋根に木が生え始めていた。
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ねずみ返しがある倉庫。
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そして、復元アイヌコタンの全景。
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夜はライトアップもしているようだ。
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便所は展示用なので使用禁止。
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編物実演中のチセ。中に入ったら、「工芸館は見学されましたか」と聞かれた。
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これにて見学終了。
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国道沿いにある民宿二風谷荘は2015年春に老朽化のため営業を止めている。
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再建のため資金を募っているらしい。
詳しくはこちらへ。https://camp-fire.jp/projects/view/13309

国道を挟んで向かいにある平取二風谷簡易郵便局も古そうだが、こちらは現役だ。
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長屋風の土産物品店。こちらもかなり年季が入っている。
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二風谷生活館。
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萱野茂アイヌ二風谷アイヌ資料館への道には、アイヌ文様のタイルがはめ込んであった。
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金田一京助の歌碑。
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「ものも言わず声も出さず石はただ全身をもっておのれを語る」とある。
沙流石のことを詠んだのだろうか。

萱野茂アイヌ二風谷資料館の別館。農機具などを収蔵しているようだ。
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こちらは本館。
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バス乗務員の休憩所まで用意されている。
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「あなたの家からここまで来るのに10万円 入館料は4百円」か、なるほどねえ。
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まずは野外展示を見学。こちらはコロポックルの家。
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記念写真用に、イメージして作ったものらしい。

縁結び二子石。
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右側は1975年に沙流川上流の幸太郎沢で見つかり、左側は翌年、さらに10km上流で発見されたものだという。
割れた面の凹凸がぴったりと合い、「縁結び石」として信仰を集めているそうだ。

こちらにも倉庫がある。高床式の倉庫を「プ」という。
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ちょっと傷んできたチセ。
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やや傾いている。
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屋内も少々荒れていた。
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精米に使うイユタプ。
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では本館を見学させていただこう。

(つづく)
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日高(2)

【2017年6月25日(日)】日高
旧富内線の旭岡駅跡を後にして、平取町に向かう。
ちょうどお昼時でお腹も空いたので、最初に見付けた食堂に飛び込んだ。
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田舎町なので、食事ができるところは少ないはず。
選り好みしているうちに、町を通り過ぎてしまう。

キトピロラーメンがあるというので、それを注文した。750円。
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キトピロとは行者にんにく(アイヌねぎ)のことだ。
まあ、ごく普通の味だった。しかし、この店は繁盛していた。

食後、昔からずっと行きたかった義経神社に向かう。
その前に、平取町役場に立ち寄った。
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お役所コレクションだ。
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これは平取の「紋章」だろうか。何をデザインしたのか、よく分からない。
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義経神社のある義経公園には、松前ピリカ(1913~76年)の顕彰碑があった。
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平取町出身の民謡歌手で、旅芸人「松前ピリカ一座」を率い、一世を風靡したらしい。

義経公園はこのようになっている。
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平取油田記念碑。
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1955年に町内で油田が発見されたが、採算が合わず、数年で採掘を終えたのだそうだ。

クリの大木。
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源義経が奥州から逃れてきた際に植えられたものだという伝説があるそうだ。
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義経神社のご神木である。
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その隣に、鳥獣鎮之碑。「鎮魂」ではなく「鎮」だ。
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参道には義経神社の幟がはためいている。
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屋根のコマーシャルとは珍しい。
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平取は義経伝説の里である。
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手水場の屋根は茅葺だった。
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義経神社は、1798年(寛政10年)、北方調査のため蝦夷地に来た近藤重蔵が、アイヌが崇敬していたオキクルミという英雄を源義経と同一視し、翌年、仏師に作らせた源義経の神像をアイヌに与えて祀らせたのに始まる。
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社伝によれば、義経一行は兄頼朝に追われて、蝦夷地に渡り、羊蹄山を廻って、平取のアイヌコタンに落ち着いたとされる。
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義経は、そこで農耕、舟の製作法、機織りなどを教え、アイヌの民から「ハンガンカムイ」(判官の神の意?)あるいは「ホンカンカムイ」と慕われたという。
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ただ、義経はアイヌから様々な宝物を奪った大悪人だという伝承もあり、義経に裏切られて女性が自殺したという話もあるらしい。
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もちろん、参拝させていただいた。
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なぜか九州・天草の塩が御神塩として販売されていた。
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義経と言えば、やはり馬である。
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義経の母、常盤御前と、妾静御前の石碑も。
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沙流川産のさざれ石。
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社務所に立ち寄り、交通安全のステッカーを購入。
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戦前の絵葉書が展示されていた。
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境内にある義経資料館。
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義経はアイヌをこよなく愛したとされるが、もちろん史実としては、義経は平泉で自害しているので、北海道には渡っていない。
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入館料は200円だった。
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さっき宣伝看板があった屋根のペイント。
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国道へと続く階段。
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英国人の女性旅行家イザベラ・バード(1831~1904年)が明治11年(1878年)に平取を訪れたという。
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国道脇にある義経神社の鳥居。
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義経は蝦夷地から大陸に渡り、ジンギスカンになったという有名な伝説もある。
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国道をはさんで対岸にある小山。
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参道脇に花菖蒲のお花畑があった。
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でも、お花の季節ではなかった。
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近くにある時計台風のお宅は、北島牧場の事務所なのかな。
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義経神社を後にして、二風谷ダムへ。
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ここはアイヌによる建設反対運動があり裁判にもなったダムだ。
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ダムの横にユオイチャシ遺跡が復元整備されていた。
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チャシとはアイヌの砦のこと。
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17世紀半ばくらいまで存続していたことが発掘調査で判明したそうだ。
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発掘調査では、溝や柵の列が出土した。
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巨大な堰堤。
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この緑は景観に配慮したもの、ということだろうか。
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かなり水量が多い印象だ。
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堰堤の上は自由に歩くことができる。
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流木をせき止める役割を担う網場(あば)が見える。
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ダム管理所がかなり立派。
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対岸には、「熊の姿岩」の意味がある「ウカエロシキ」が見えるらしい。
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もう木が生い茂ってよく見えないが、「アイヌの伝統と近代開拓による沙流川流域の文化的景観」の一つとして国の重要文化的景観に指定されている。
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それでは、ダムを後にしましょう。
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年内で営業を終えるという「民宿チセ」。
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その前には、アイヌに関連したモニュメント。
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その昔はアイヌばかりだったという二風谷小学校にも寄り道。
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今もその比率はかなり高いはずだ。
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小学校の敷地内に立つ違星北斗の歌碑。
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北斗は、バチラー八重子、森竹竹市と並ぶ、「アイヌ三大歌人」の一人。
昭和4年(1929年)、29歳で亡くなるまで、アイヌの地位向上のために活動した。
「沙流川は昨日の雨で水濁り コタンの昔 囁きつつく」「平取に浴場一つほしいもの 釜があったらたてたいものを」の2首が刻まれている。

黒田彦三氏は二風谷小学校の初代校長だそうだ。
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二風谷小学校は明治25年(1892年)の開校。
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児童数は2012年で17人だったという。
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敷地内にあった木造の平屋だが、用務員宿舎か何かだったのだろうか。
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このあたりは道南バスの管轄か。
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近くにある旧マンロー邸にも立ち寄った。
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ニール・ゴードン・マンロー(1863~1942年)はスコットランド出身の医師で人類学者。
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アイヌの生活文化の研究に力を注ぎ、晩年は二風谷に永住。多くの記録映画や著作を残した。
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その代表作は「アイヌの信条と文化」で、その功績を讃える石碑もあった。
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医師として、アイヌに献身的な診療を施し、敬愛されたという。
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この建物は、そのマンローの自宅兼診療所。
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現在は、北大文学部の二風谷研究所として利用されている。
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一般公開はされていないので、建物の写真だけ撮って、国道に戻った。
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次は、目的地である二風谷のアイヌコタンへ。
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ここは日本でもアイヌの密度の最も高いところだ。
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木彫りが盛んで、大きな駐車場の向かいには貝沢民芸の大きな店舗が見えた。
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(つづく)
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日高(1)

【2017年6月25日(日)】日高
この日も天気が悪い。雨の予報だったので、山は行かないことに決めていた。
前日、雨が降ってきたので諦めた駅舎めぐりにでも行こうかと思っていたら、朝のNHKローカルニュースで、昭和30~40年代のアイヌの土産物の展覧会「二風谷 昭和おみやげ物語」が紹介されていたので、それを見に行くことにした。
会場は平取町の「二風谷工芸館」である。
まあ、それを見るだけだと時間が余ってしまうので、道々、廃線の駅舎なども立ち寄りながら向かうことにした。

札幌南ICから道央道に乗り、日高道の鵡川ICで下りた。
2009年8月に日高本線の駅舎を撮影して歩いたことがあるのだが、その時に漏らしてしまった駅の一つに汐見駅がある。
まず、それをつぶすことから始めた。
国道235号を南下、鵡川を渡って間もなく右折する。
すると、町営バスのバス停があった。
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バス停の名前は書いていないのではっきりとは分からないが、町営バスのHPによれば、おそらく「木下宅前」だと思われる。

近くにはこんな大きな「交通安全」のPR塔があった。
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珍川は鵡川の支流で、河口のすぐ手前で合流している。
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人がいないと、ちょっと不気味。
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道路地図帳に「鵡川盛土墳墓群」と書かれているあたりに、この「トンニトイ遺跡」の標識があったが、別物のようだ。
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盛土墳墓群の案内板は発見できなかったが、縄文時代から続縄文時代にかけての墓地らしい。この草原の中にあるのだろうか。
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チンタ浜踏切を渡る。
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このあたりは「チン」が多い。
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日高本線は2015年1月8日に発生した高波の影響で、鵡川~様似間が普通となっている。つまり、ここは2年半も列車が走っていない。
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レールが錆びついて真っ赤である。
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この警報機も2年半眠ったままだ。
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近くの地形をよく見てみると、土塁のようなものがある。
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これは遺跡なのだろうか。

この踏切から南東に1kmほどのところに汐見駅はある。
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駅名板も何もない。
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すぐ横を道路が横切っている。
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ホームは2両分ほどの長さしかない。
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そして、ほんの一部に屋根があるだけだ。
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汐見駅は昭和34年(1959年)に開業。
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開業当時から無人駅だった。
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ホームに咲き乱れているのはハマナスの花。
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JR北海道は普通区間の鵡川~様似間は廃止対象として検討している。
災害を「利用」するのは、JR東日本の岩泉線と同じだ。
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待合室にはどなたかが持ち込んだソファがあった。
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ここは標高5mなので、大津波が来たら、あっという間に飲み込まれてしまう。
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代行バスは1日7往復。
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バスは、当然だが、この駅にも来てくれるようだ。
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ここからは様似より札幌の方が近いのか。意外だ。
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周辺の集落。1日何人の利用者がいるのだろう。
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そんな思いを胸に、廃線になった富内線の旧駅跡めぐりへと転戦。
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春日駅はまだ駅舎が残っていた。
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富内線は国鉄がJRに転換する前年の1986年11月に廃止された。
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同時に道南バスのバス路線に転換された。
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現在は、それも分断されている。

春日駅は大正11年(1922年)に萠別停留場として開業した。
屋内にはベンチがあり、バスの待合室として利用されている。
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旧線路側からの眺め。これ自体が車両のようだ。
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駅名標も残されていたが、これは当時からのものなのかどうか。
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30年以上経っているわりには新しい気がする。
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書体も国鉄のものとは違う。書き直したのだろうか。
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ホームは土手のようになっていた。
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線路はお花畑に。
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きれいな廃線跡と言っていいだろう。
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これは現役の便所。
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駅前商店は健在だった。
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近くの鵡川町立春日小学校は平成16年3月31日に閉校した。
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現在は春日生活館として利用されている。
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この小学校は鵡川西岸コタンの実力者であった大川原カチャシヌが自宅で私塾を開いたのが起源らしい。
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ひとつ鵡川方面の豊郷駅に向かう途中の峠に立てられていた標柱。
「トコムの坂」と読める。
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トコムとは小さいこぶ山の意味らしい。

ちょっと道を間違えて、山の方に入ってしまったら、珍しい茅葺屋根の家があった。
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引き返して、豊郷地区に入ったが、駅の跡らしき痕跡は見当たらない。
農作業をしている人に聞いてみたら、快く教えてくれた。
すぐそこだという。
しかし、線路は道路となり、駅は跡形もない。駅舎は春日駅と同じタイプのものだったという。
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これが駅前通りと言われても、その気配は全くない。
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今度は線路跡の道路を走って、日高方向に向かう。
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真っすぐなので、線路跡の風情すら感じられない。
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この道が富内線だったんだと想像しながら、車を走らせた。
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道道983号、米原田浦線だそうだ。
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その道路も、間もなく行き止まり。
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迂回して春日駅跡の先の線路跡をたどってみた。
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歩いてくるのは、タヌキかと思ったらネコだった。
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ここにも、「春日遺跡」という遺跡の標柱があった。
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でも、これだけでは何の遺跡なのか、よく分からない。
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この先も、しばらくは車で走れるようだが、行き止まりになるのは分かっていたので、適当なところで引き返した。
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次の旭岡駅跡に行く途中にあった米原バス停。
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そういえば、最近、むかわ町で恐竜の全身骨格の化石が発見され、大きな話題になった。
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鵡川を渡って、旭岡駅跡に到着。これは旧駅舎ではなく、バスの待合室。
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すでにバス停の字すら読めない。
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待合室のベンチ。
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駅前商店。
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なんと百貨店だった。しかも現役っぽい。
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駅前通り。
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駅前商店の向かいは旭岡生活館。
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待合室の裏にある自転車置き場とトイレは、国鉄時代からのものだろうか。
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田舎の駅には大抵ある駅前倉庫。
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おそらく、この広大な敷地が線路跡だ。
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かつては蒸気機関車の給水施設が設置され、木材や木炭の出荷駅でもあったという。
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この道路も敷地の一部だったのだろうか。
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旭岡駅は大正11年(1922年)に生鼈(いくべつ)駅として開業した。
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かつては駅弁まで売られていたらしい。
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(つづく)
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名鉄三河線(4)

【2016年2月25日(木)】名鉄三河線廃線跡
力石トンネルを抜けると、これまたびっくり。
一体これは・・・。あと10年もたったら歩けなくなりそうだ。
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架線柱も森に溶け込んでしまいそう。
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それでも、しばらく歩くとやっと少し落ち着いた。
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28キロポスト
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竹林を抜けると、線路に人為的な通せんぼがしてある。
築堤の下に下りて、柵を越え、登り返して振り返るとこんな状態になっていた。
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この先のトンネルには入るなよ、というバリケードにしては、今までと雰囲気が異なる。
イノシシの防護柵だろうか。

しかし、この先はこれまでとうって変わって開けている。
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築堤の上なので、展望もよく気持ちいい。
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前を向いたり、後ろを見たり。
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西中金駅跡に近づくと、またしてもバラスが。
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今度はレールの外側にも敷いてある。
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制限時速は40km?
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左手に岩倉神社が見えたので寄り道。
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境内には村歌舞伎の舞台が残っていた。
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奥の平屋が旧西中金駅。
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ほんでもって、ようやくとうちゃこ。
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レールはもう少し続いている。
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三河線は実はこの先、足助まで延伸が計画されていた。
足助町追分付近まで5kmほど用地買収も終え、路盤工事も完了していたが、その先は用地買収が難航。昭和恐慌による経営の悪化もあり、計画は足踏み状態。
昭和16年に名鉄と合併した後も延長申請は続けてきたが、昭和33年にとうとう免許を返上。路線延長は夢と終わった。

さて、西中金駅跡。
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これは明らかに廃線後のもの。
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現役時代はこれだった。
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駅舎は昭和5年の建築。
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駅の開業は昭和3年だから、2年間は駅舎がなかったのか、2年で建て替えたのか。
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歩道拡張に伴い、線路側を少しカットしてホーム側に曳き家をしているという。

現在は「西中金ふれあいステーション」として再利用されているが、本日は平日のため休業だった。
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もともと猿投~西中金間は電化されていたが、閑散路線のため昭和60年からディーゼルのレールバスに転換されていたとのこと。
レールバス
乗ってみたかったが、鉄道に興味を持ち始めるのが遅すぎた。
あまりに遅く、廃線歩きや葬式鉄しかできないのが、ちょっと悲しい。
「遺跡」は嫌いじゃないからいいのだけど、やはり鉄道は走ってなんぼだから。

ここで廃線跡は踏破したことになるのだが、せっかくだから未成線も少し歩いてみることにした。
幸い徳田耕一編著「名鉄の廃線を歩く」(JTBパブリッシング)が手引きになる。
路盤の跡はほとんどが生活道路や農道に利用されているようだ。

かつての車止め地点。
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この先はしばらく国道の歩道が路盤跡だ。
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道路わきに、トヨペットコロナ(3代目、1960年代後半)の廃車が打ち捨てられていた。
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そのわりにロープで結んであるのが不思議だ。これは展示してあるのか。
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セブンイレブンの先で、国道から左に離れ、独立した生活道路になる。
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このいい感じのカーブがいかにも「廃線跡」だ。
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道幅も「鉄路」だったことを容易に想像させる。
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沿線の民家も雰囲気たっぷり。
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併走するのは力石川。
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もう10km以上歩いてきて、全く休んでいなかったので、このブランコで小休止。
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残りのおにぎりを1個食べて、10分ほどで出発。
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豊田市のマンホールはこんな小型のタイプもあった。
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路傍の石仏。
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よくよく考えると、旧道でもないのに、こんなに近くに国道が併走しているのも不自然。
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これも「廃線跡」の証拠である。

この道は延々と続く。
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単調なので結構疲れてきた。
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ホースを持っているのは水滴君かな。
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おお、もう少しだ。
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道は徐々に上っている。
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これは鉄道用の橋台と橋桁。未成線時代の貴重な遺構だ。

併走する国道153号は旧飯田街道ゆめロード。
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築堤になっているのが分かる。
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かなり勾配がきつくなってきた。
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この先で本来なら、国道をまたぐのだ。
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しかし、生活道路はここで行き止まり。

振り返ると、こんな景色。ここに鉄道が走っていたら、さぞかし美しかっただろうなぁ。
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対岸にはコンクリート製の橋台が残る。
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手前の橋台は破却されてしまったようだ。
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この先もしばらく「廃線跡」は続いているが、これで引き返すことにする。
同じ道は歩きたくないので、今度は国道を歩く。車が怖いけど。
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沿線の石祠や廃屋、それに石仏。
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途中、もう一つコンクリート橋を見つけてしまった。
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車だったら何か買って帰ってもいいのだけど。
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「廃線跡」を横から見るのもいい。
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途中のバス停で、帰りのバスの時刻を確認。西中金から乗る感じでちょうどよさそうだ。
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さすがに旧飯田街道だけあって、この手の石仏は少なくない。
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こちらは随分新しいけれど。
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途中から旧道めいた道に入る。
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時計を見たら、意外に時間がたっていて、びっくり。
バス停までの距離は正確にはわからないけど、乗り遅れる可能性が出てきたので、終盤は小走り気味に急いだ。

西中金バス停には、定刻の3分ほど前に到着。
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頑張って急いだのに、バスは10分近く遅れてきた。でも、その分、待合のベンチで一息つけたけど。
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バスは通学の高校生で満席。でも、バス停いくつか先で座れた。
時々うとうとしながら、猿投駅前で下車。

15:31発の三河線知立行き普通電車に乗り込む。目的地は上挙母(いわごろも)駅。
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ここに来るまでに、日帰り温泉はいろいろと検討していたのだが、三河線沿線の駅近くにあるということで、豊田挙母温泉おいでんの湯に決めていた。
15:47、上挙母駅着。
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ここから徒歩で10分ほど。
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「おいでん」とは、「よくいらっしゃいました」という意味の方言だそうだ。
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入浴料は600円なので比較的安い。
シルクの湯などいくつかの湯船にのんびりと浸かった。
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30分ほどで上がり、今度は愛知循環鉄道の新上挙母駅へ。
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運転間隔がありすぎて、20分近く待つ羽目に。
風が強くて湯冷めしそうなので、ホームでは待てず、ずっと階段で待機していた。
愛知循環鉄道に乗るのは、乗り鉄に来た時以来だから4年ぶりか。
どうしても起きていられず、うとうとしてしまった。

岡崎には17:23に到着。
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東京に行くには、名古屋経由の方が早いが、それだとお金が余計にかかる。
豊橋経由にすると、新幹線乗り継ぎの関係で、岡崎もしくは豊橋で1時間近く待ち時間が生じる。
岡崎駅周辺に適当な店が見つからなかったので、17:32の東海道線で豊橋に移動。
豊橋駅・駅ビルの名店街で店を物色した。

本当はディープな店を探したかったが、そんなに時間があるわけでもなく、塩鮪だしラーメンという看板に惹かれ、三河開化亭へ。
まずビールで喉を潤し、ギョーザで1杯。
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ラーメンは非常にさっぱりした味だったが、鮪のイメージは感じられなかった。
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食後、18:47発ひかり530号に乗車。
自由席だったが、苦もなく座れた。
引き続き、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読みながら沈没。
23時前に帰宅した。
久々の廃線歩きを堪能しました。
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