山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

旧名寄本線

【2017年9月16日(土)】名寄本線廃線跡
ピヤシリ山(987m)から下山し、西興部村の集合場所へ向かう道すがら、旧名寄本線の廃線跡をたどった。
名寄から遠軽方面に一つ目の中名寄駅は駅舎がそのまま原位置に保存されていた。
DSC_0925_201711022119593f4.jpg

すぐ横には路盤跡と思われる空き地も残っている。
DSC_0924_20171102211957e36.jpg
名寄本線は名寄から遠軽に至る延長138.1kmの路線だ。
中湧別から湧別まで4.9kmの支線があった。
駅の数は起点、終点を含め40。
同線は1915年(大正4年)に湧別軽便線として開業。
全線が開通したのは1921年(大正10年)のことである。
1989年(平成元年)5月1日に廃止され、74年の歴史に幕を閉じた。

今年は廃止されてから28年ということになる。
DSC_0926_201711022120002c1.jpg

駅舎の中には入れなかったが、中を覗くと、「3人以上で名寄本線を利用した紋別市民の方に乗車運賃の1/3を助成いたします」という廃線検討時(?)の看板などが「保管」されていた。
DSC_0927_201711022120016ce.jpg

盛土状態になっているのはホームの跡だろうか。
DSC_0928_201711022120034bf.jpg

駅舎の基礎部分の横に、「国有鉄道」時代の標柱が残っていた。
廃止されたのはJRになってからである。
DSC_0929_20171102211931f82.jpg

駅の東側の路盤はすっかり削平され、一面の水田になっていた。
DSC_0930_20171102211933b67.jpg

もはや沿線の交通機関はバスのみである。
DSC_0931_20171102211934725.jpg

水田の中を流れる平和川に、コンクリート製の橋台が残っていた。
DSC_0932_201711022119354f9.jpg

これは貴重な遺構である。
DSC_0933_201711022119370ff.jpg

取り壊すのもお金がかかるだろうから、撤去はされないと思うが、このまま残しておいてほしい。
DSC_0935_2017110221190839b.jpg

きれいに残っている駅よりも、こちらの方に哀愁が漂っていた。
DSC_0936_201711022119103d5.jpg

かつて線路をまたいでいた中線跨線橋。
DSC_0937_20171102211912e10.jpg

当時の線路跡はどっちの道路なのか分からないが用水路とともにまっすぐ東へ続いていた。
DSC_0938_20171102211913954.jpg

これは西の方向。この先に中名寄駅がある。
DSC_0939_20171102211914e52.jpg

次の上名寄駅は、駅跡に駅名標が残されていた。
DSC_0940_20171102211846778.jpg

現在は、名士バスの上名寄12線のバス停になっている。
DSC_0941_20171102211847307.jpg

たぶん昔からあったと思われる駅前のお店「渋谷商店」。
DSC_0942_2017110221184938e.jpg

上名寄跨線橋を越える。
DSC_0944_20171102211852f49.jpg

眼下には、やぶ化した線路跡。
DSC_0943_20171102211850d5e.jpg

反対側はもう樹木が繁茂している。
DSC_0945_20171102211816c63.jpg

この辺が矢文駅のあったと思わるあたり。
DSC_0946_2017110221181785e.jpg

全く痕跡が残っていないので、古い地形図を頼りに見当をつけるしかない。
DSC_0947_201711022118191da.jpg

あのイタドリの生えているラインが線路跡だろう。
DSC_0948_20171102211820b60.jpg

築堤になっていたからか耕地には転換されていない。
DSC_0949_20171102211823641.jpg

次の岐阜橋駅はこのあたりか。
DSC_0950_20171102211752ca0.jpg

下川駅跡は下川町バスターミナル総合センターになっていた。
DSC_0951_20171102211754b49.jpg

ガイドマップには線路跡が点線で示されている。
DSC_0952_20171102211755891.jpg

立派な鉄道記念碑も建っていた。
DSC_0957_20171102211731e61.jpg

この道路がおそらく線路跡。
DSC_0954_20171102211757db4.jpg

やはり市街地の廃線跡は道路に転用されることが多い。
DSC_0955_20171102211758bee.jpg

下川町のマンホールはミニ万里の長城と、町発祥のアイスキャンドル。
DSC_0956_201711022117292cb.jpg

駅前の雰囲気をかすかに残す商店街。
DSC_0958_20171102211732834.jpg

二ノ橋駅の跡は全く分からなかった。
DSC_0959_201711022117345cf.jpg

位置的にはこのあたりのはずだが。
DSC_0960_20171102211735df6.jpg

でも、それらしき痕跡を見つけることはできなかった。
DSC_0961_2017110221170668b.jpg

次の幸成駅跡は幸成バス停が目印。
DSC_0963_20171102211708592.jpg
しかし、バス停そのものがヤブの中に消えてなくなりそうになっていた。

一ノ橋駅跡には上名寄駅と同様、駅名標が残されていた。
DSC_0964_20171102211709c83.jpg

駅跡はかなり開発されている。
DSC_0968_20171102211638813.jpg

この夫婦松は駅舎の横あたりにあったものだろうか。
DSC_0967_20171102211712c1a.jpg

駅前の大きな家屋。昔は旅館だったのかもしれない。
DSC_0966_20171102211710894.jpg

駅名標の裏に説明が。駅員が8人もいた時代があったとは。
DSC_0969_20171102211641a8a.jpg

国道239号の天北峠(300m)を越える。
DSC_0970_20171102211641fc1.jpg

峠には名寄本線の跨線橋が残っている。
DSC_0972_20171102211644e91.jpg

この奥は林道だが、この下を名寄本線が走っていたのだ。
DSC_0977_201711022114290b8.jpg

下を覗いてみると、切通し状になった線路跡がなんとなく分かる。
DSC_0973_201711022114235f1.jpg

ただ、もう木々が成長してしまって、写真ではよく分からない。
DSC_0974_20171102211425a20.jpg

下りてみたいところだが、下り口も見当たらないし、もうそんな時間はない。
DSC_0976_2017110221142514a.jpg

この先はまた次の機会にということで、道の駅にしおこっぺ花夢に向かった。
DSC_0971_201711022116448f8.jpg

(おわり)
スポンサーサイト
このページのトップへ

国鉄胆振線(下)

【2017年9月9日(土)】胆振線
胆振線の廃線跡を訪ねて、喜茂別町内を歩いている。
DSC_0167_201710300722331d0.jpg

喜茂別はジャガイモの産地だ。
DSC_0166_20171030072232e04.jpg

胆振線の線路はかつて、この参道の真ん中を通過していた。
DSC_0168_20171030072235f05.jpg

そして、このカーブを描く道が、まさに廃線跡である。
DSC_0169_2017103007223692c.jpg

その上を歩く快感。
DSC_0705_20171030071913abe.jpg

喜茂別町のマンホールは羊蹄山とアスパラガス。
DSC_0704_2017103007191276c.jpg

町営住宅か、どこかの会社の社宅か。
DSC_0170_20171030072238b21.jpg

ふれあい公園は胆振線とは関係がなさそう。
DSC_0171_20171030072208db7.jpg

団地の間のこの道は線路跡。
DSC_0172_201710300722101e0.jpg

これも、たぶん線路跡。
DSC_0173_20171030072211cc2.jpg

昭和40~50年代に特徴的な北海道の住宅。
DSC_0174_20171030072213319.jpg

シンボルポイントパークに到着。
DSC_0175_2017103007221478e.jpg

ここが喜茂別駅の跡だが、鉄道に関するモニュメントは全くない。
DSC_0707_20171030071916b0d.jpg

わずかに、この説明板があるだけ。
DSC_0176_20171030072145fca.jpg

喜茂別駅は私鉄胆振鉄道(京極~喜茂別間)の駅として、もともと町の中心部にあったが、胆振縦貫鉄道(京極~伊達紋別間)開業のおり、中心部から北へ1kmのこの地に移転した。
スイッチバックを避けるためだったと思われるが、町民にとっては使いにくい位置だっただろう。
DSC_0178_201710300721486b6.jpg
現在はあか抜けた家が並ぶ新興住宅地になっている。

やはり喜茂別町は鉄道に冷たいなあと思いつつ、車の置いた場所へ戻る。
DSC_0179_20171030072149d9a.jpg

歩きながら、古い家屋をコレクション。
DSC_0180_201710300721510c3.jpg

途中、年配のご婦人が歩いていたので、昔のことを聞いてみた。
「線路はこのあたりを走っていたのでしょうか」
「そう、そうね。もう随分昔です」
「あの斜めの塀は、線路の脇だったからですか」
DSC_0181_20171030072122658.jpg
「ああ、ほんと。そうね」
ということで現地の方にも確認がとれて満足だった。

クレードル興農の建物はなんとなく富岡製糸場に似ている。
DSC_0182_20171030072124be6.jpg

かつては寮ではなく、工場そのものだったのだろう。
DSC_0183_2017103007212528a.jpg

コレクションの続き。
DSC_0184_20171030072127cb0.jpg
DSC_0185_2017103007212830b.jpg
DSC_0187_20171030072102ba2.jpg

喜茂別神社は少し離れているので、今回は望遠での撮影に留めておいた。
DSC_0186_20171030072101821.jpg

喜茂別川の対岸から喜茂別市街地を望む。
DSC_0188_20171030072104f4d.jpg

この園地もまさに線路跡だったはずだ。
DSC_0189_20171030072105474.jpg
ふと気づくと、ズボンの後ろポケットに入れておいた地形図がない。
どこかで落としたようだ。
喜茂別駅跡の時はあったので、落としたとしたら、そこからここまでの途中だ。
車でゆっくり戻りながら、歩いてきた道を見てみたが、見つからない。
風でどこかに飛ばされていってしまったのか。
車を喜茂別駅跡に停めて、もう一度歩いてみたら、道の脇の奥にあるのを見つけた。
あって、よかった。

では、次の駅、留産(るさん)に向かう。
ここも判定が難しいが、おそらくこのあたりが駅の跡と思われる。
DSC_0191_20171030072034318.jpg

南の方角に尻別岳を望む場所だ。
DSC_0190_2017103007210702b.jpg

駅前にあったと思われる栄和産業の建物。
DSC_0192_201710300720365ba.jpg

目の前をトラクターが通り過ぎて行った。
DSC_0193_20171030072037436.jpg

おそらく、とうきび畑の帯が線路(築堤)跡ではないか。
DSC_0194_201710300720397a5.jpg

この道は手前方向に国道276号につながっているが、胆振線の現役当時は、留産駅で行き止まりになっていた。
DSC_0195_20171030072040c34.jpg
それは古い地形図で確認できる。つまりこの道は駅前通りだったわけだ。

栄和産業の裏側。
DSC_0196_20171030071959798.jpg

では、次の南京極駅跡へ向かおう。
DSC_0197_20171030072001b16.jpg

このあたりから見る尻別岳は双耳峰のような形だ。
DSC_0198_20171030072002173.jpg

南京極駅跡も全く痕跡が残っていない。
DSC_0199_20171030072004912.jpg

私の感度が悪いのかもしれないが、これだけ丁寧に消してしまう路線も珍しい。
DSC_0200_20171030072005e00.jpg

線路は斜め屋根の建物のあたりを走っていたはずだ。
DSC_0202_201710300719407d1.jpg

この病院は平成11年(1999年)の開業なので、廃線後にできたものだ。
DSC_0203_2017103007194095c.jpg

悲しくなるくらいに何も残っていない。でも、地形図を見ながら駅の跡を探すのはわりと楽しい作業だ。
DSC_0204_20171030071941ab6.jpg

南京極駅があったことを偲ばせる南京極郵便局。
DSC_0205_20171030071942c03.jpg

時刻は16:45。だんだん日も傾いてきたので、廃線歩きはこれで切り上げて、温泉に行くことにする。
ちょうどすぐ近くに、ひなびた川上温泉があったので、ここにした。
DSC_0710_2017103007184584b.jpg

一見、商店のようで、それと知っていないと、誰も温泉とは気が付かないだろう。
一応、こんな大きな看板も出てはいるのだが。
DSC_0718_20171030071851500.jpg

料金は確か500円。大正14年(1925年)の創業だそうだ。
DSC_0717_20171030071849d79.jpg

普通のお風呂のように見えるが、湯はとても柔らかかった。源泉は30.9℃。
DSC_0713_20171030071846c20.jpg

窓の外に露天風呂の遺跡があった。
DSC_0714_201710300718489c9.jpg
ここは宿泊もできるらしい。

汗も落として、すっきりしたら、お腹が空いてきた。
喜茂別町内で何かないか検索してみると、ジンギスカンの「三幸」という店の評判がよさそうなので行ってみることにした。
その前に、役場コレクション。
DSC_0719_20171030071818ea1.jpg

さあ、久々のジンギスカンだ。
DSC_0720_20171030071821af5.jpg

店に入ると、団体の宴会が入っており、カウンターの中のおばさん2人はとても忙しい様子。
私はカウンターに座ったのだが、全然注文を取ってくれない。
そんなに忙しいなら別の店にしようかなと思った頃にやっと、こちらを見てくれたのでオーダーすることができた。
普通のジンギスカン定食を頼む。
DSC_0721_2017103007182139a.jpg
ノンアルビールも飲んで、計1360円。
そこそこ美味しかった。

店を出たら、もう暗くなっていた。
DSC_0722_20171030071823086.jpg
時刻は18:15だ。
暗いので安全運転。帰宅は19時半だった。
めずらしく「山と鉄」ともに楽しめた1日だった。

(おわり)
このページのトップへ

国鉄胆振線(上)

【2017年9月9日(土)】胆振線
尻別岳(1107m)登山を終えて、午後3時から胆振線廃線の旅に突入した。
喜茂別を中心とした駅の跡を訪ねる。
まずは喜茂別駅から1つ伊達紋別側の鈴川駅跡を目指す。

鈴川は、喜茂別市街から国道276号を苫小牧方面に3kmほど行ったところにある集落である。
この道の行き止まりあたりが駅跡のはずなのだが、痕跡がほとんど残っておらず、正確な位置を確認できない。
DSC_0095_201710292343045fb.jpg

突き当りまで行ってみると、正面に尻別岳が見えた。
DSC_0092_20171029234259a3a.jpg

左前方には、廃屋らしき建物も。
DSC_0093_20171029234301e4f.jpg

近くに、種馬鈴薯の集出荷施設があった。
DSC_0094_20171029234303f36.jpg
昭和53年とあるので、まだ胆振線が現役だったころに建てられたものだ。
胆振線は室蘭本線の伊達紋別駅と函館本線の倶知安駅を結んでいた延長83kmの路線。
大正8年(1919年)に倶知安~京極~脇方間が京極軽便線として開業。
昭和16年(1941年)に全線が開通したが、国鉄がJRに移行する前年の昭和61年(1986年)11月1日に廃止された。
昨年、廃止30周年を迎えたことになる。そして、再来年が生誕100年だ。

とりあえず、集落を歩いてみた。
郵便局は現役で残っている。
DSC_0096_201710292343068e6.jpg

鈴川バス停。
DSC_0097_20171029234237cf9.jpg

道南バスは伊達紋別~倶知安間の旧胆振線沿線のバスをずっと運行しており、今も3往復が走っている。
DSC_0098_2017102923423959e.jpg
いつか通しで乗ってみたい。

鈴川集落センター。いわゆる公民館だろう。
DSC_0099_20171029234241d48.jpg

喜茂別町立鈴川小学校。
DSC_0100_20171029234242110.jpg

そのグラウンド。
DSC_0101_201710292342441c4.jpg

昭和50年(1975年)の校舎新築を記念して建立した石碑。
DSC_0102_20171029234216a14.jpg

尻別岳を望みながら、子供たちはすくすくと育っていくのだろう。
DSC_0103_20171029234217eee.jpg

ここにはもともと鈴川中学校があったようだ。
DSC_0104_20171029234219030.jpg
同校は昭和46年(1971年)に喜茂別中学校に統合されている。
ということは、現在の小学校は中学校の跡地に新築されたということなのだろう。

周辺はのどかな田園地帯だ。
DSC_0105_20171029234220d3d.jpg

これはおそらく官舎だった建物。
DSC_0106_201710292342221cd.jpg

校長先生のお宅だったのかな・
DSC_0107_20171029234153c0e.jpg

現在、生徒数はどのくらいいるのか分からないが、おそらくここも、近い将来統合されてしまうのだろう。
DSC_0108_2017102923415468b.jpg

国道をはさんで向かいに鈴川駐在所。
DSC_0109_20171029234156cef.jpg
なんとここは倶知安署の管轄だった。広すぎないか。

随分古い校門だこと。
DSC_0110_20171029234157640.jpg

鈴川地区を貫く国道276号に立つと正面が尻別岳。カッコいい。
DSC_0111_20171029234159732.jpg
確かに羊蹄山によく似ている。「前方羊蹄山」と呼ばれるのもむべなるかな。

道端に交通安全の観音様。
DSC_0112_20171029234129c00.jpg

その先に開基100年を超えた龍渓寺があった。
DSC_0113_20171029234130ca8.jpg

参拝は門の外から、略式で済まさせてもらった。
DSC_0114_20171029234133ae2.jpg

鈴川八幡神社は本殿が山の上にあるようなので、参拝は省略。
DSC_0115_20171029234133e8b.jpg

このお宅はまだ現役。
DSC_0116_20171029234135376.jpg

かわいい床屋さん。店の名前も掲げていない。
DSC_0117_20171029234106035.jpg

尻別岳と羊蹄山のツーショット。
DSC_0118_20171029234108a21.jpg

そして、もう一度、鈴川駅跡に戻ってきた。
DSC_0119_2017102923410926e.jpg

なんとか再度痕跡を探したら、駅ではないが築堤の跡のような盛り上がりがあった。
DSC_0120_20171029234111cb3.jpg

曲線を描いて続いているのだが、当時、築堤のまま駅に突入していたのだろうか。
DSC_0122_20171029234039eab.jpg

築堤は耕作に適さないので、放置されがちだが、放置すると、たちまちこうなってしまう。
DSC_0123_201710292340401ab.jpg

とにかく、ここを駅跡と判断して、次に向かうことにした。
DSC_0124_20171029234041dfe.jpg

兄弟富士よ、さらば。
DSC_0693_201710292337279e9.jpg

尻別川を上尻別川で渡る。
DSC_0125_201710292340430b5.jpg

尻別川の名称は「内陸深くからくる川」の意味だそうだが
DSC_0126_20171029234044e5e.jpg

「尻別」という地名があるのは、上流域のこのあたりである。
DSC_0127_20171029234016240.jpg

尻別川は1999年から2011年にかけて通算11回、水質日本一になったことがある清流だ。
DSC_0128_20171029234017990.jpg

ちょっと、国道を横断するあたりの廃線跡を探してみた。
DSC_0129_20171029234020b9f.jpg

この道がおそらく線路跡である。
DSC_0130_20171029234020511.jpg

そして、国道の反対側は分かりにくいが、黄色く色づいているイタドリの繁茂しているあたりが、そうだと思われる。
DSC_0132_2017102923395341b.jpg

ちょっと引いてみよう。
DSC_0131_2017102923402272f.jpg
ただの草ヤブなので、廃線愛好者じゃないと、これを確認した喜びは分からないだろう。

では喜茂別駅跡に向かおう。
その前にいろいろと寄り道。旧森林組合バス停。
DSC_0133_2017102923395558e.jpg
かつて森林組合の事務所がこの近くにあったのだろう。
さびれゆく地方を象徴するかのようなバス停だ。

地蔵堂バス停のそばには、ちゃんと地蔵堂があった。
DSC_0134_201710292339564df.jpg

名前は「庚申堂」になっている。
DSC_0697_201710292337319ea.jpg

中には高さ約91cmの庚申碑があった。
DSC_0137_2017102923395837c.jpg

尻別地区には四国から入植した人が多かったらしく、弘法大師を信仰する大師講を開き、昭和2年(1927年)にこの碑を建立したという。
DSC_0139_20171029233930f72.jpg

当時の世話人だった坂東正己、川口タカ、高野コスミ、森シゲらの名前が刻印されていた。
DSC_0138_20171029233959559.jpg

白い岩壁の手前、イタドリの黄色いラインが築堤跡と思われる。
DSC_0140_20171029233932666.jpg

それを確めに、畑の中の道を行ったら、間違いなくそうだった。
DSC_0141_20171029233934bb4.jpg

この付近は草が刈られていた。
DSC_0700_20171029233731a86.jpg

おかげで、路盤の石も確認することができた。
DSC_0142_20171029233935aa9.jpg

近くの尻別神社には参拝。
DSC_0149_20171029233906b57.jpg

立派な祭壇に向かって柏手を打つ。
DSC_0148_20171029233904ec0.jpg

社殿の隣には神様の名前が彫られた石碑があった。
DSC_0147_201710292339031f2.jpg
DSC_0146_201710292339010a3.jpg

その隣には質素な尻別会館も。
DSC_0145_2017102923393766c.jpg

喜茂別市街に入った。線路が喜茂別川を渡る手前あたりに車を置いて、歩いてたどる。
かつて線路が横にあった丸高産業株式会社はすでにつぶれていた。
DSC_0150_201710292339075d5.jpg

こちらも廃屋のようだ。
DSC_0151_20171029233838f26.jpg

この中が線路跡と思われるが、ちょっと入る気にならない。
DSC_0152_20171029233839e46.jpg

喜茂別川の河川敷はきれいに整備されている。
DSC_0153_201710292338410c8.jpg

お蔭で線路の痕跡は全くない。
DSC_0154_201710292338420d5.jpg

このあたりに橋脚が残っていてもいいのだが、それも完全に撤去されている。
DSC_0155_20171029233844423.jpg

喜茂別町は廃線跡に対して、極めて冷たいと思う。
DSC_0156_20171029233814fb5.jpg

懐かしい長屋。今は1世帯で住んでいるようだ。
DSC_0157_2017102923381542f.jpg

喜茂別川の向こうに見えるのは羊蹄山(1898m)。
DSC_0158_20171029233817d86.jpg

やっと雲がなくなった。
DSC_0159_2017102923381833e.jpg

川を渡ると、立派な木造の家屋がある。
DSC_0160_201710292338209b8.jpg

格式のある家のようだ。
DSC_0161_20171029233752947.jpg

参道を線路が横断していた真言寺の境内に入る。
DSC_0162_2017102923375437e.jpg

通り抜けると、壁の長い建物が現れた。
DSC_0163_20171029233755ffc.jpg

この壁に沿って、胆振線が走っていたのだ。
DSC_0164_201710292337567e8.jpg

ホワイトアスパラガスの缶詰で知られるクレードル興農の「青葉寮」の看板がかかっているが、今もそういう目的で使用されているのかは分からない。
DSC_0165_20171029233758dd2.jpg

(つづく)
このページのトップへ

日高(4)

【2017年6月25日(日)】日高
平取町の萱野茂二風谷アイヌ資料館に来ている。
CIMG3499_201708050934227c1.jpg

萱野茂(1926~2006年)はアイヌで初めて国会議員になった方で、貝澤トッカラムさん(1847年生まれ)の孫にあたる。
父・清太郎が姉の嫁ぎ先に養子として入籍したので萱野姓となったが、茂は萱野姓のまま貝澤家を継いでいるそうだ。
CIMG3480_20170805093538a0d.jpg

ここに展示されている民俗資料はほとんどが、茂が私財を擲って、あちこちのアイヌの家から買い上げたものだ。
CIMG3482_20170805093541b30.jpg

そのことは、氏の著書「アイヌの碑」(朝日文庫)に詳しく書かれている。
CIMG3491_2017080509344727f.jpg

熊の毛皮。
CIMG3483_201708050935433a6.jpg

鮭皮の靴(左)と鹿皮の靴(右)。
CIMG3484_201708050935446b0.jpg

酒器類。
CIMG3485_201708050935127f1.jpg

儀式に用いるイナウ。
CIMG3486_201708050935137c1.jpg
CIMG3487_20170805093515024.jpg

和人から手に入れた漆器「シントコ」。穀物やその他大切なものを入れたという。
CIMG3489_20170805093516088.jpg

熊の木彫り。
CIMG3490.jpg

左はアットゥシ。
CIMG3492_201708050934494c1.jpg

角付き鍬形(用途は不明)を復元したもの。
CIMG3481_20170805093540daf.jpg

これらの資料のうち202点が国の重要有形民俗文化財に指定されている。
CIMG3498_20170805093421d6e.jpg

「天から役割なしに降ろされたものはひとつもない」という意味のアイヌのことわざ。
CIMG3494_2017080509345024f.jpg

萱野氏が国会議員になることで、1994年11月、憲政史上初めて国会にアイヌ語が響いた。
CIMG3495_20170805093452729.jpg

萱野氏の著作の一部。少しずつ読んでいきたい。
CIMG3497_20170805093453a76.jpg

これにて資料館の見学は終了。駐車場へと戻る。
CIMG3500.jpg

買い物をした「北の民芸つとむ」にもご挨拶。
CIMG3501_20170805093425b52.jpg

廃線巡りを再開する前に、アイヌの文化的景観「オプシヌプリ(穴空き山)」を望む場所に立ち寄った。
CIMG3506_20170805093400378.jpg

その昔、アイヌに生活の知恵を授けたオキクルミという神が、十勝地方のアイヌとの衝突を止めようと、山を矢で射抜き、神の威力を示したとの言い伝えが残っている。
CIMG3503.jpg

穴の幅は14mで、もともと本当の穴だったが、明治31年(1898年)の大雨で天井部分が崩れて、今のような窪みになったという。
CIMG3504_20170805093357716.jpg

夏至の前後には、その穴にすっぽりと沈んでいく太陽が見られるのだとか。
CIMG3505_20170805093359d11.jpg

というわけで、旧富内線の幌毛志駅跡を探す。
この黄色い建物は幌毛志バス停。
CIMG3508.jpg

それらしき痕跡が見当たらないので、近くの民家の方に聞いてみたら、バス停の向かいを下りたところで、今は何も残っていないという。
ここのことだ。
CIMG3509_201708050934036f4.jpg

これがおそらく線路の跡だが、どこにホームがあったのかも判然としない。
CIMG3510_201708050933334ca.jpg

幌毛志駅は昭和33年(1958年)に開業した比較的新しい駅で、駅舎はなく、ホーム中央に待合室があったらしい。
CIMG3511_20170805093335eee.jpg

1981年の1日乗降客数は3人。86年11月、富内線の廃線に伴い廃止となった。
CIMG3512_201708050933365ee.jpg

草木が生い茂っていて、鵡川方面の線路をたどるのは困難だった。
CIMG3513.jpg

幌毛志の地名の由来となったと思われるポロケシオマップ川。
CIMG3514_2017080509333901e.jpg
「長い峰の尻の方にある村」の意味だそうだ。

次の振内駅は鉄道公園になっているようだ。
CIMG3515_20170805093309972.jpg

駅前通り。
CIMG3517_2017080509331286b.jpg

正面に見えるピラミッドは、おそらく主待山(345m)。
CIMG3521_20170805093247704.jpg

振内駅跡に着いてみると、駅舎は建て替えられ、立派な鉄道記念館になっていた。
でも平日のみ(!)開館なので、中を見学することはできなかった。
CIMG3516_201708050933110d7.jpg

義経号は大正12年(1923年)には民間に払い下げになっているので、この路線を走っていたわけではない。
CIMG3518.jpg

駅構内はかなりの部分が往年のまま残されている。
CIMG3519_20170805093315a33.jpg

廃線後、日高側のレールはここで断ち切られた。
CIMG3520_201708050932463dd.jpg

構内には、かつての客車を利用した宿泊施設「ライダーハウス」が設置されていた。
CIMG3522_20170805093249301.jpg

料金は600円。巡回に来た管理人に支払うのだという。
CIMG3523.jpg

ホームには旧富内線各駅の駅名標が並んでいた。
CIMG3524.jpg
CIMG3526_20170805093225c2b.jpg

この古色を帯びた感じからすると、移設保存されたものだろう。
CIMG3527.jpg
CIMG3532_20170805093138448.jpg

車両の名称は「ほろしり号」。
CIMG3525_201708050932243f3.jpg

中も見学させていただいた。シャワーも200円で使用できる。
CIMG3528.jpg

床に寝袋を敷いて、ごろんと寝る感じだ。
CIMG3529.jpg

たぶん、扇風機は動かないだろう。
CIMG3530_201708050931354e8.jpg

わずかに座席も残っていた。
CIMG3531_2017080509313796a.jpg

ホームにある電線は、ライダーハウスのために設置したのだろうか。
CIMG3533_20170805093139a74.jpg

別のレールにはD51が保存展示されていた。
CIMG3535_20170805093141ea7.jpg

鵡川側のレールもここでぷっつり。
CIMG3536_201708050931105dc.jpg

振内駅も1958年の開業、86年の廃止だから、寿命は30年にも満たなかった。
CIMG3537_201708050931123ae.jpg

懐かしい腕木式信号機。
CIMG3538_20170805093113462.jpg

旧構内が「鉄道公園」かと思っていたら、こちらの更地のことだった。
CIMG3539_20170805093114f3b.jpg

雨が降ってきたので、これで廃線巡りはやむなく終了。
CIMG3540_20170805093116f14.jpg
もともと雨の予報だったのに、午後4時過ぎまで持ちこたえてくれて、ありがたかった。
それでは日帰り温泉にでも入っていくことにするか。

その途中、国道沿いで発見した殉職慰霊碑。
CIMG3542.jpg

この碑は、昭和45年9月14日に、陸上自衛隊帯広駐屯部隊の隊員が静内での訓練からの帰隊途中、車両から転落して殉職した青年の冥福を祈って建立されたものだそうだ。
CIMG3541_20170805093046d65.jpg

心で合掌し通過。平取温泉に到着。
DSC_5314_20170805093049169.jpg

温泉施設の前には巨大な沙流石が安置されていた。
DSC_5315_20170805093050677.jpg

温泉施設の名称は「びらとり温泉ゆから」。
DSC_5316_2017080509305298f.jpg

弱アルカリ性の冷鉱泉で源泉は12.1℃なので、もちろん加熱してある。
DSC_5320_20170805093031e57.jpg
ゆっくり温まって、行者にんにくの味噌漬けを買って帰宅した。
帰りは眠くて、道央道の美沢PAで30分くらい寝てしまった。
ちょっと訪ねた駅の数は少なかったが、アイヌの民芸品見学が主目的だったので、よしとしましょう。

(おわり)




このページのトップへ

日高(3)

【2017年6月25日(日)】日高
平取町の二風谷に着いた。
CIMG3392_201708040557508ee.jpg

「アイヌ料理」の文字にそそられたが、さっき食べたばかりだし、今回は諦めた。
CIMG3391.jpg

ここは木彫りだけではなく、沙流石も名産である。
CIMG3390_2017080405574765e.jpg

こちらはアットゥシの専門店。
CIMG3393_20170804055751751.jpg

この木彫りはアイヌの船長さんなのかな。
CIMG3394_20170804055753643.jpg

こちらはアイヌのご夫婦。ニポポ(人形)の代表的なモチーフだ。
CIMG3395_20170804055715b83.jpg

では、チセ村へと行ってみましょう。
CIMG3396_20170804055716092.jpg

アイヌ語で家のことをチセという。
CIMG3397_20170804055718c38.jpg

これはもちろん再現したものだが、屋内には囲炉裏が切ってある。
CIMG3398.jpg

壁や屋根は萱でできている。
CIMG3399_20170804055721f67.jpg

木製のベッド。
CIMG3400_20170804055653926.jpg

木彫り実演中のチセに入ってみた。
CIMG3402_20170804055656684.jpg
中では、60歳くらいの男性がイタ(お盆)を彫っていた。
この後に入った二風谷工芸館に、二風谷の木彫り職人名鑑みたいな小冊子があり、それを見て、実演していたのは、貝沢徹さんだったと判明。
帰りに入った民芸品店「北の工房つとむ」が、偶然にも徹さんの店で、イクパスイ(捧酒箸)を注文した。
CIMG3453_20170804055309eee.jpg

1万円で彫ってくれ、2週間で家に届いた。素晴らしい出来栄えだった。
DSC_0003_20170804055119156.jpg

隣は織物製作を実演しているチセだった。
CIMG3401_20170804055655940.jpg
二風谷の職人さんが交代で実演しているらしい。

イユタプ。
CIMG3403_20170804055658fd6.jpg

水力を利用して、米を精白する道具だそうだ。
CIMG3404_20170804055659685.jpg

小熊の寝床かしら。
CIMG3405_2017080405562803b.jpg

こうしたチセがいくつも復元されていた。
CIMG3406.jpg

チセには大抵3つの窓があるという。
CIMG3408_201708040556317b4.jpg

にぶたに湖畔の公園はこのような配置になっている。
CIMG3411_20170804055602267.jpg

チプサンケ(進水式)に用いる丸木舟。
CIMG3412_201708040556031f1.jpg

平取町立二風谷アイヌ文化博物館。時間が足りないので、今回は省略させてもらった。
CIMG3409_2017080405563281f.jpg

見学したのは、こちら。二風谷工芸館。
CIMG3410_20170804055633d24.jpg

北大アイヌ・先住民研究センター主催の企画展「二風谷 昭和おみやげ物語」がお目当て。
CIMG3439.jpg

昭和30~40年代のものが中心だ。
CIMG3440_201708040554261da.jpg

いや、懐かしい。
CIMG3441_20170804055356c19.jpg

確かに、サントリーオールドを抱えたクマがいたわ。
CIMG3443_20170804055359b7b.jpg

これは出所がはっきりしている。旭川の業者のようだ。
CIMG3444_201708040554009d1.jpg

典型的な熊の木彫り。昔は北海道の家なら、これがどこにでもあった。
CIMG3445_20170804055402a23.jpg

このパターンもよく見かけた。
CIMG3446_2017080405533101d.jpg

ちょっと小さめのクマたち。
CIMG3447_2017080405533299f.jpg

こういうタイプのものは、あまり見たことがなかった。
CIMG3442_20170804055357343.jpg
多くは、北九州の骨董屋から買い集めたものだそうだ。

外に出て、湖畔方面に向かう。
あちこちに、こうした説明板が立っている。
CIMG3414_20170804055606250.jpg

松浦武四郎は「北海道」の名付け親で、幕末期、和人の横暴を告発した人物でもある。
CIMG3413_20170804055604c22.jpg

アイヌの意匠をあしらったベンチ。
CIMG3415_201708040556079cc.jpg

金成マツ(1875~1961年)はユカラの伝承者。
CIMG3416_20170804055532d10.jpg

この付近はアイヌの伝統的景観が残っているということらしい。
CIMG3417_20170804055533c8c.jpg

あそこまではちょっと遠くて行けなかった。
CIMG3418.jpg

二風谷ダムのダム湖「にぶたに湖」。
CIMG3419_20170804055536480.jpg

ジョン・バチラー(1854~1944年)は英国人宣教師で、アイヌ語、日本語、英語の対訳辞書を現した人だ。
CIMG3420_20170804055538a39.jpg

さっき立ち寄ったダムの堰堤が見える。
CIMG3421_20170804055508cad.jpg

金田一京助(1882~1971年)はアイヌ語研究の第一人者。
CIMG3422_20170804055510489.jpg

沙流川歴史館に入った。
CIMG3431_201708040554441b3.jpg

昭和26年撮影の沙流軌道。
CIMG3423_201708040555116cc.jpg
王子製紙が原料の材木を運ぶため、大正10年(1921年)に敷設した鉄道だ。
昭和26年に廃止されている。

昭和15年頃の沙流川流域の民家。
CIMG3425.jpg

明治13年(1880年)ごろの佐瑠太小学校平取分校。
CIMG3426_20170804055514928.jpg

この木彫りも二風谷の職人の仕事だろう。
CIMG3432_20170804055446a13.jpg

次回はここをゆっくり見学したいと思う。
CIMG3433.jpg

縄文時代の竪穴住居も復元してあった。
CIMG3434_201708040554497de.jpg

こちらはアイヌの男子便所。
CIMG3436.jpg

女子便所。
CIMG3435.jpg

屋根に木が生え始めていた。
CIMG3437_2017080405542283b.jpg

ねずみ返しがある倉庫。
CIMG3438_201708040554234a1.jpg

そして、復元アイヌコタンの全景。
CIMG3448_201708040553349ca.jpg

夜はライトアップもしているようだ。
CIMG3449_2017080405533565f.jpg

便所は展示用なので使用禁止。
CIMG3450_20170804055337a31.jpg

編物実演中のチセ。中に入ったら、「工芸館は見学されましたか」と聞かれた。
CIMG3451_20170804055306ce2.jpg

これにて見学終了。
CIMG3452_20170804055307f01.jpg

国道沿いにある民宿二風谷荘は2015年春に老朽化のため営業を止めている。
CIMG3454_20170804055310d67.jpg
再建のため資金を募っているらしい。
詳しくはこちらへ。https://camp-fire.jp/projects/view/13309

国道を挟んで向かいにある平取二風谷簡易郵便局も古そうだが、こちらは現役だ。
CIMG3455_20170804055312e12.jpg

長屋風の土産物品店。こちらもかなり年季が入っている。
CIMG3456_201708040552409d5.jpg

二風谷生活館。
CIMG3457_201708040552426a1.jpg

萱野茂アイヌ二風谷アイヌ資料館への道には、アイヌ文様のタイルがはめ込んであった。
CIMG3458_2017080405524426b.jpg
CIMG3459_201708040552451f3.jpg

金田一京助の歌碑。
CIMG3461_20170804055246f1c.jpg
「ものも言わず声も出さず石はただ全身をもっておのれを語る」とある。
沙流石のことを詠んだのだろうか。

萱野茂アイヌ二風谷資料館の別館。農機具などを収蔵しているようだ。
CIMG3462_201708040552168ff.jpg

こちらは本館。
CIMG3465_201708040552216b8.jpg

バス乗務員の休憩所まで用意されている。
CIMG3464_201708040552190bc.jpg

「あなたの家からここまで来るのに10万円 入館料は4百円」か、なるほどねえ。
CIMG3463_20170804055218a02.jpg

まずは野外展示を見学。こちらはコロポックルの家。
CIMG3466_20170804055223f18.jpg
記念写真用に、イメージして作ったものらしい。

縁結び二子石。
CIMG3470_201708040551383c1.jpg
右側は1975年に沙流川上流の幸太郎沢で見つかり、左側は翌年、さらに10km上流で発見されたものだという。
割れた面の凹凸がぴったりと合い、「縁結び石」として信仰を集めているそうだ。

こちらにも倉庫がある。高床式の倉庫を「プ」という。
CIMG3471_201708040551404a5.jpg

ちょっと傷んできたチセ。
CIMG3473_20170804055141430.jpg

やや傾いている。
CIMG3477_20170804055144b17.jpg

屋内も少々荒れていた。
CIMG3478_20170804055116d43.jpg
CIMG3479.jpg

精米に使うイユタプ。
CIMG3474_20170804055143547.jpg
では本館を見学させていただこう。

(つづく)
このページのトップへ

FC2Ad

プロフィール

かたこりまさかり

Author:かたこりまさかり
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (0)
北海道の山 (185)
東北の山 (62)
上信越の山 (147)
奥多摩の山 (55)
丹沢の山 (55)
奥秩父の山 (83)
栃木の山 (32)
房総・常陸の山 (9)
奥武蔵・秩父の山 (87)
中央線沿線の山 (97)
富士山周辺の山 (68)
八ヶ岳周辺の山 (53)
南アルプス (101)
史跡歩き (11)
中央アルプス (27)
北アルプス (45)
日本海の山 (8)
関西の山 (30)
四国九州の山 (61)
駅舎の旅 (26)
ドライブ (9)
廃線の旅 (15)
駅から散歩 (17)
乗り鉄 (38)
島の旅 (19)
山村の旅 (7)
超低山 (28)
東海の山 (2)
つぶやき (35)
旧道歩き (32)
伊豆の山 (39)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR