山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

瀬棚線(4)

【2017年11月21日(火)】瀬棚線
瀬棚線の終点、瀬棚駅跡まで到着し、周辺を散策中。
浜に下りて、三本杉岩を観賞している。
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すぐ脇には馬場川の河口堰が見える。
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こちらは上流側から見た河口堰。
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前回も紹介した岩だが、やはり、これには名前が欲しい。
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トンネルの名称は「三杉トンネル」だから、岩の名前ではない。

旧瀬棚町のマンホール。
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バス停は三本杉岩ではなく「三本杉」。
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立象山(95m)に登るべく、登山口のある事比羅神社へ。
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「事比羅(ことひら)」なのに、「金毘羅」のように金マークがある。
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境内には殉難消防員之碑(昭和55年建立)。
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本殿にお参りもせず、登山開始。
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頂上まで567段の階段があるようだ。
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雪山登山だ。
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登るにつれ視界が広がってくる。
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三本杉岩は下で見るより、離れた一本杉との距離がある。
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奥尻島に天使のカーテン。
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くっついた二人も、よく見ると頭の形が若干違う。
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6分で半分登ってきた。
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下からは恐ろし気に見えた三本杉岩も、見下ろすとかわいい。
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ちょうど10分で登頂。
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三等三角点も確認できた。
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早速、展望台に上ってみた。
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なんと、ここは三本杉岩の1本が半分隠れる位置だった。
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瀬棚市街。
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瀬棚港と奥尻島。冬の日本海だ。
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頂上は雲に隠れているが、北に狩場山(1520m)。
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北東にカスベ岳(左、1050m)とメップ岳(右、1148m)。
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南東に遊楽部岳(1277m)。
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瀬棚港の蝋燭岩。
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三本杉岩は約1000万年前の火山噴出物の火道の名残とされている。高さは約30m。
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市街地の南には毛無山(816m)。
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頂上には車でも来られたみたいだ。でも登山道からの景色がいいので徒歩がお薦め。
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瀬棚町は北檜山町と合併したが、役場を北檜山に譲って、町名を取った(ひらがなだが)形だ。
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この町には風力発電用の風車がたくさんある。今日は風が弱めで助かった。
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眺望を満喫したところで下山開始。
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階段はジグザグと何度も屈曲している。
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帰りは5分で下りてきた。
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もう一度、別角度から三本杉岩を見にいこう。
途中、民宿海の家の前を通過。
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こんなにきれいな家なのに、当分の間、休業だそうだ。
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民宿三杉館は現役営業中。
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今度はタコではなく人魚のオブジェ。
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三本杉のうち二本杉。
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孤独な一本杉。
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二人組。
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アップ。
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海岸には、天皇陛下の御製。奥尻島の津波を詠んだものだ。
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「五年の昔の禍を思ふとき復興の様しみてうれしさ」

こちらは海難慰霊碑。
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輪掛岩。
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アップ。
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立岩。
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蝋燭岩と天使のカーテン。
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白波。
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歌碑と海難慰霊碑。
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さっきの人魚オブジェの裏側。
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人魚と三本杉岩。
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これにて観光は終了。もう15時を過ぎた。
すっかりお腹が空いてしまったので、さっき目を付けておいた食堂に向かう。
途中で見た民宿長栄。
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しかし、なんとランチタイム後の休憩時間に入っていた。
また、しくじった。他を探してみたが、どこにも開いている店は見当たらない。

諦めて、港に向かった。
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蝋燭岩(高さ24m)の根元に神社を発見。
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港から望む立象山。
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ひやま漁協の建物。
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フェリーターミナルも見学。
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しかし、営業していない。
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調べてみたら、瀬棚~奥尻航路は夏季(5月1日~10月15日)のみの運航のようだ。

南の毛無山を確認して、瀬棚港を後にする。
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昼食は結局セコマでパンを2個買って、車の中で食べた。
こんなことになるなら、長万部でかにめしを買っておけばよかった。

とにかく、帰途につく。
帰り道、往路では通過してしまった二つの「松」に立ち寄った。
最初は、荷卸の松。
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樹齢270年と推定されるイチイ(オンコ)で、会津藩士だった丹羽五郎が明治25年(1892年)にこの地に入植した際、この木の下に荷を下ろしたことから、この名で呼ばれているそうだ。
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横に「是より東 玉川里丹羽村」の境界標があった。
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国道をはさんで反対側に瀬棚線の廃線跡と思しき道路があった。
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このカーブは間違いない。
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続いて、今金町の常代の松。
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樹齢は1000年を超えると言われ、新・北海道名木百選に選ばれている。
こちらも開拓の歴史を見守ってきた存在である。

暗くなる前に美利河ダムに着いてよかった。
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北電のピリカ発電所。
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美利河ダムが架るのは後志利別川。
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その名はアイヌ語の「ツウシベツ(山の走り根・大きい・川)」に由来するらしい。

ついでに大量の旧石器が出土したピリカ遺跡にも寄ってみた。
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国指定遺跡である。
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ピリカ旧石器文化館はまだ冬期休業には入っていなかったし、閉館時間前だったのにしっかりとシャッターが下りていた。
入館時間は閉館の30分前までみたいな感じだったからだろうか。
まあ閉館まで10分しかなかったので、開いていても入らなかったが。

この後は寄り道せず、ひたすら伊達に向かう。
もう暗いので安全運転だ。
伊達のトヨタレンタカー営業所には17:30頃に到着。
伊達紋別駅まで送ってもらい、17:51発の室蘭行き普通列車に乗る。
東室蘭で特急すずらん11号札幌行きに乗り換え。
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上り列車がシカに衝突したとかで、こちらも影響を受け、20分程度遅れた。
不思議に思うのは、車内放送が「シカと衝撃したため」と言うことだ。
業界用語なのだろうか。それにしても、そんな表現に「衝撃」を受けた。

昼飯が遅かったので車内でお腹が空かなくてすんだ。
晩飯は、前から気になっていた札幌駅構内のそば屋「北海道そば蕎麦紀行」に入る。
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ここでは幌加内そばが食べられるのだ。
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山菜なめこそばをいただいた。汁もしょっぱくなく美味しかった。
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列車に乗らず、入場券で入った場合、それを提示すれば、その分負担してくれるということを知ったのも収穫だった。
というわけで、21時過ぎに帰宅。
何十年かぶりの冬道運転だったが、事故もなくよかった。
瀬棚方面はまた雪のない時期に行ってみたい。

(おわり)
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瀬棚線(3)

【2017年11月21日(火)】瀬棚線
瀬棚線の廃線跡めぐりの合間に、今金町のインマヌエルの丘に寄り道している。
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キリスト教徒を中心とした開拓者たちの共同墓地の入口には小さなお地蔵様が控えていた。
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手を合わせて、墓地へと進んでいく。
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墓地もすっかり雪景色だった。
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最も高い場所に十字架が立つ。
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上部に十字架が彫り込まれている墓標も。
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昭和59年段階での「神丘共同墓地」の名簿。
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洗礼名が記されている墓標も発見。
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1892年(明治25年)、この地に初めて入植した志方之善(1864~1905年)の墓地があった。
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志方は熊本の出身だが、両親もここに眠っているということなのだろうか。
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「神は愛なり」
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「主我を愛す」
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こちらの墓標は比較的新しい。
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十字架自体を墓標にしているタイプの墓もあった。
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この共同墓地にはキリスト教徒だけでなく仏教徒も埋葬されているようだ。
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その証拠に、キリスト教を示す十字架と仏教を示すまんじが隣り合って彫られている。
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日本ならではである。
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墓の写真ばかりですいません。
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文化の融合を示すこういう光景が好きなのである。
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長崎県の五島列島では角柱の墓標の上に十字架が立っていたが、ここにはそのタイプのものはなかった。
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この石碑は今金インマヌエル教会が建立したもの。
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アーメンの前に南無阿弥陀仏。平和の象徴だ。
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異なる宗教の共存。今、世界が学ぶべきことではないだろうか。
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ありがとう。神丘墓地。
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墓地から南下すると、瀬棚線の築堤跡らしきものが見えてきた。
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これは間違いない。
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この小島のような地形が神丘駅のホームの跡だったりするのだろうか。
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あたりに人気はなく、確認するすべはなかったが、帰宅してから調べてみると、どうやらそのようだ。

近くにあった今金インマヌエル教会に立ち寄った。
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ここが志方之善らによる今金町開拓発祥の地とされている。
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なぜなら、ここが志方と荻野吟子夫妻の住まいの跡だったからだ。
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当時の過酷な生活を詠んだ吟子の歌碑が立っている。
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「雲はらふ風につけてもこの頃をとしべつ原の朝夕の空」とあるのだが、隣の説明板には別の歌が紹介されていた。
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「窓たたく夜半の嵐にねぎめしてとしべつ原の寒さいかにと」
なぜだろう。

現在の建物は昭和43年(1968年)に建てられたものである。
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隣の小屋に、「教会敷地内での、一切の採捕を禁じる」の貼り紙。
まわりは畑なのか。誰か、作物を盗って行く人がいるのか。罰当たりな。
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それにしても、代々ずっと信仰を守り続けていくことは、とても尊いことだ。
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私は信者ではないが、敬意を払いたい。
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北には狩場山地が見えた。
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少し離れた場所に、今度は神丘発祥之地の石碑があった。
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ここは志方とともに内地から渡ってきた丸山要次郎が単身越冬した地なのだそうだ。
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廃線歩き再開。丹羽駅跡に着いたが、すでに跡形もない。
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こんなにきれいに消さなくてもいいのに。
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もしかしたら、この道が線路跡だろうか。
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廃止になる6年前の1981年には、なんと1日734人の乗客があったそうだ。
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今なら、絶対廃止にはならない数字だ。

次の北檜山駅に行こうとして、間違えてたどり着いてしまった温泉ホテルきたひやま。
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その後も、ネットからプリントした当時の地図を見ながら探すも見当たらず。
線路跡らしきものは見つけられたが
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駅舎跡は確認できなかった。
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後で調べたら、当時の駅舎はバスターミナルの営業所として今も利用されており、この裏にあった。
10分もさまよった挙句、見つけられず大失態。
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予め、もう少し調べて行くべきだった。
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10分ほどで瀬棚駅跡に到着。
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35年前はこうだった。
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国縫駅からちょうど48km。キロポストも残っていた。
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駅名標の隣に、旧国鉄瀬棚駅跡地記念碑。
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跡地には温泉施設「やすらぎ館」が建っていた。
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寒いので入りたいが、もちろんそんな時間はない。
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駅跡地は荻野吟子公園として整備されている。
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吟子は日本で最初の女医で、志方の後を追って今金に入り、しばらく瀬棚で開業していた。
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その荻野吟子の顕彰碑が立つ。
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渡辺淳一の「花埋み」のモデルにもなった方だ。
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私も読んだが、壮絶な人生である。
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明治時代にはすごい人がいたと思う。
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この石像はちょっと胸を大きく作りすぎているけど。
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近くの町医療センターは「荻野吟子記念」の名が冠されていた。
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では、荻野吟子が開業した医院の跡に向かおう。
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地形図が示す碑の場所と違うので、ちょっと迷ったが、見つけた。
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吟子は「セタナイの八景」なる詩を書いていることを知る。
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木の碑には「荻野吟子開業の跡」と刻まれていた。
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背後には瀬棚児童会館が控えていた。
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その裏には、象のような立象山(95m)。
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こちらはカバみたい。
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この後は名所の三本杉岩に行ってみることにした。
防波堤の手前に、タコのようなオブジェが。
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裏側に回ると、龕のような穴があるが、以前は何か置かれていたのか。
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防波堤の上にのぼって三本杉岩を望む。
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私的には、瀬棚と言えば、三本杉岩だ。
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実は1本だけ、ちょっと離れている。
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南の防波堤の向こうに見えるのは蝋燭岩。
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北に浮かぶのは立岩。
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その手前に輪掛岩。
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振り返ると立象山の頂上に展望施設が見える。
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あの海坊主のような岩には国道229号が貫いているが、地形図に名前は出ていない。
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浜まで下りてみた。
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冬の海である。
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それにしても見事な奇観であった。
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(つづく)
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瀬棚線(2)

【2017年11月21日(火)】瀬棚線
国鉄瀬棚線の廃線跡を歩いている。
最初は茶屋川駅跡。函館バスのバス停が目印だ。
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目の前は国道230号が走っている。
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この自販機は駅があった頃の名残なのだろうか。
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なんと、○ンドームの自販機まで。なんか現役っぽかった。
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その隣には、いかがわしい本の自販機もあった。こちらは厳重に守られている。
どういう所なんだ!
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ともかく背後にあると思われるホーム跡に行ってみる。
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2010年時点では崩れたホームが草に埋もれていたというが。
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その後7年も経過し、おまけに雪が積もっているので、遺構は確認できない。
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低い方が路盤だろうか。
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ここでは敷地の境界を示す杭と思われるものを発見しただけだった。
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バス停前には民家が1軒だけ。
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次の駅は美利河駅なのだが、まずは美利河ダム前バス停を確認。
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クアプラザピリカ入口に車を停めて、駅跡を探す。
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南にはクアプラザピリカのスキー場を望む。
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結構、雪が降ってきた。
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奥美利河温泉「山の家」は老朽化のため休業中。
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ピリカ遺跡は帰りに時間があったら行ってみよう。
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駅の跡ははっきりとは分からない。この辺ということにしておこう。
ちゃんと駅舎のある駅だったらしいのだが。
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長万部方面のバス停は小屋とバス停標識のデザインが瀬棚方面とは違っていた。
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路面は圧雪状態で、運転がちょっと怖い。
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次の花石駅跡は、この交差点のあたりのはずである。
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こちらは国道230号の旧道。
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花石バス停。
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廃線跡は国道230号の新道に変わってしまったが、当方はあえて旧道を行く。
花石郵便局。
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次の北住吉駅に向かう途中、「友愛の森げんき公園」なる公園があった。
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今金町と地元出身の篤志家石黒克彦氏が整備したもののようだ。
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このあたりは、かつて「シンコヘ」と呼ばれていた。
やがて甚五衛なる男がこの地で砂金採掘に成功して大金を得たことから、その名にあやかって「ジンゴベ」と言われるようになった。
その後、松浦武四郎が当地を訪れ、チャシ跡で土器やメノウ、勾玉などを見たことから「珍古邊」と漢字を当てた。
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その字に引きずられ、今度は「チンコベ」と呼ばれるようになる。

昭和4年(1929年)、瀬棚線が開業する際、花のように美しい石メノウが採れるということで、駅名は「花石」となり、以後、地名も「花石」となった。
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松浦武四郎がこの地を訪れたのは安政三年(1856年)のことである。
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その65年ほど前に、菅江真澄も立ち寄ったとみられている。
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なぜか古代の住居が想像復元してあった。
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そして、愛子さまのお印であるゴヨウツツジ(シロヤシオ)の苗が雪の中に植わっていた。
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向かいに今金町地域特産品生産センター。
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メノウのことである。
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隣にはその名も瑪瑙(めのう)寺。
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明治37年(1904年)に開校した今金町立花石小学校は平成19年3月に閉校した。
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建物はやけに新しいので今は何かに再利用されているのだろう。
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ゴールドラッシュ時代の名残、黄金神社。
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ハイカラな造りの美しい廃屋が残っていた。
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北住吉駅跡の近くにある北住吉バス停。
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瀬棚線が現役だった頃からあった建物だろうか。
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駅跡そのものは国道230号新道となってしまい、その痕跡を見ることはできない。
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次の種川駅跡近くで頑張っている商店「ファミリーストアさとう」。
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その前の信号を左折する。
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すぐに種川温泉休憩所。公衆浴場だ。
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駅跡はたぶん、このあたり。
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道路の脇に延びる平地が線路跡だろうか。
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瀬棚線は、痕跡を見つけるのが難しい。
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廃線からはや30年。訪ねるのが遅すぎた。
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最寄りのバス停は種川ではなく、種川温泉入口。
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今金町はメノウのほかに、男爵いもも特産だ。
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今金町の市街地に入り、八幡神社の前を左折すると、今金駅跡に出る。
そこは函館バスのバス停になっていた。
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近くには国鉄が現役だった頃の名残である農協の倉庫があった。
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駅を中心とする線路跡は公園として整備されている。
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レールと町内の駅の駅名標が復元展示してあった。
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まずは美利河駅。
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花石駅。
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北住吉駅。
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種川駅。
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今金駅と思われる駅名標は盗まれてしまったのか、枠しか残っていなかった。
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駅の跡には、なぜかオランダ風の水車が。
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とくに今金とオランダのどこかの町が姉妹都市だというわけではなく、今金の町の花がチューリップなので、チューリップと言えばオランダ、という単純な発想だったようだ。
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駅舎の跡に建てられたこの建物は、「デ・モーレンいまかね」という。
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「デ・モーレン」とはオランダ語で風車のことだそうだ。
ここに今金町商工会の事務所が入っていたので、町内の散策マップをいただいた。
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(これは観光案内板)

線路跡の散策路はオランダ通という名称になっている。
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今金の名はこの地を開拓した今村藤太郎と金森石郎の頭文字を採って命名されたが、町名が「いまかね」であるのに対し、駅名は「いまがね」だった。
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昔、北海道に住んでいた若い頃はてっきり「いまがね」だと思っていた。
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市街地の北西の方角に巨大なループ橋があるのが不思議であった。
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オランダ通を歩く時間は残念ながら、なかった。
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ウォーキングコースも取りあえず省略。
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あたりを一周してバス停に戻ってきた。
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せっかくなので中を見学。
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函館バスの路線図が掲示されていた。結構、営業エリアが広い。
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トイレをお借りして外に出ると、ちょうど瀬棚行きのバスが着いたところだった。
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お昼時になっていたので、市街地をぐるぐる回ったが、適当な食堂がない。
オランダ通と交差したところで、もう一度写真を撮って
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次の神丘駅に向かうことにした。
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神丘バス停は、神丘駅跡とはかなり離れた場所にある。
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「神丘」とは、日本最初の女医である荻野吟子(1851~1913年)の夫、志方之善らキリスト教徒が1892年(明治25年)に入植し、この地をインマヌエル(神のいる丘)と名付けたことに由来する。
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このバス停の近くには、「インマヌエルの丘」を開拓した先人たちの共同墓地があるので訪ねてみた。
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小高く見える、あの丘の上である。
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(つづく)
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瀬棚線(1)

【2017年11月21日(火)】瀬棚線
この日は訳あって、せたな町に行くことになった。
道すがら、瀬棚線の廃線跡をたどる。
自宅から車だと疲れてしまうので、伊達でレンタカーを借りることにした。
朝早く起きて、札幌6:53発の特急スーパー北斗4号に乗車。
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駅の売店で買った助六寿司を食べて、あとはずっとその日の朝刊を読んでいた。
8:33、定刻通り伊達紋別駅に到着。
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伊達市の名は亘理伊達家当主だった伊達邦成が明治政府から有珠郡の支配を命じられ、開拓を担ったことに由来する。
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もともとは紋鼈(もんべつ)と呼ばれていたので、駅名は伊達紋別となった。
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ここは私が幼稚園の時に1年だけ住んでいたことがある町である。
駅にレンタカー屋さんからのお迎えが来ていたので、それに乗って営業所へ。
8:50頃、国道37号を長万部に向かって出発した。
せっかく伊達から走り出したので、道の駅あぷたの奥にある歴史公園に寄った。
ここは、江戸時代に開かれた蝦夷牧(有珠虻田牧場)の跡である。
幕府の箱館奉行戸川安論が蝦夷地の警備や物資の運搬に使役する馬を育成するため、文化2年(1805年)に開設した牧場だ。
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なだらかな斜面に多数の石碑が林立している。
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どれも馬頭観世音である。
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中央に立つ小屋の中には、入江馬頭観世音碑が納められている。
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牧場開設の際、地元の福井政之助と村田卯五郎が馬の守護を祈って建立したものだそうだ。
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当初は2千数百頭を放牧していたが、文政5年(1822年)の有珠山大噴火による熱雲のため約1500頭が焼死、弘化2年(1845年)3月の大雪では900頭余りが凍死したと伝えられる。
明治2年(1869年)に廃止された。

丘の上の方に「ペットの碑」なるものがあるらしい。
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登ってみよう。
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途中、幕府の虻田場所請負人、和田屋茂兵衛の墓碑があった。
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茂兵衛は1822年の有珠山大噴火の際に絶命したそうだ。
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アイヌ文様が施されている。トイレでも何でもない。謎のオブジェ。
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これらの石はまさか噴火の際に飛んできた火山弾ではあるまい。
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虻田町先住アイヌ民族慰霊碑。
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1980年(昭和55年)に虻田町(現・洞爺湖町)と北海道ウタリ協会(現・北海道アイヌ協会)が共同で建てたものだ。
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虻田は歴史的に、和人とアイヌの関係が良好だった地区と聞いている。

丘の上からが有珠山(737m)が望めた。
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これがペットの碑。2000年の有珠山噴火で犠牲となったペットを慰霊するためのものだった。
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公園内には、菅江真澄の歌碑もあった。
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「蝦夷見ても くもりも 波の月きよく 吹く口びわの声の涼しさ」
口琵琶とはムックリのことだそうだ。

真澄は寛政三年(1791年)6月7日に当地を訪れ、月明かりの浜でメノコが奏でるムックリの響きに心惹かれ、この歌を詠んだそうだ。
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ついでに道の駅あぷたによると、寛政八年(1796年)9月15日の英国船プロビデンス号来航に関する案内板が掲示されていた。
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松前藩は船に退去を求めたが、船員がホロナイヌプリから薪を切り出したり、モロラン(室蘭)の港を調査したりするなど、勝手な振舞いをしたことも、幕府が蝦夷地を直轄地とする背景となったらしい。

ここは支笏洞爺国立公園。
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ユネスコの世界ジオパークでもある。
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道の駅あぷたには、アイヌの民俗資料の展示コーナーもあった。
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ほたてっ子カレーにそそられたが、1箱800円はちょっと高かった。
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車を走らせて、虻田市街を通過、清水団地バス停のあたりまで来ると
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虻田の海岸線がきれいに見えた。
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雪の中、虻田洞爺湖ICから道央道に乗る。

45分ほどで長万部駅に到着。
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長万部名物は、かにめしだけかと思ったら、折詰そばなんてものもあるようだ。
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駅前をうろつくのは学生の時以来のような気がする。
あれは大学2年だったから、1982年の暮れ。東京から帰省する途中だった。
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駅舎の外観は当時とかなり変わっているが、おそらく同じ建物だろう。
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長万部のマスコットキャラクターまんべくん。
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駅舎の中も見学。
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あれこれ見ものはあるのかもしれないが、今回は長万部観光が目的ではない。
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でも、かにめし本舗だけは見届けておこう。
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お昼は温かいものを食べたいので、駅弁はよしておいた。
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向かいは見事なまでのシャッター街。
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長万部が「湯の郷」とは知らなかった。
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そっか、二股ラジウム温泉も長万部か。

では、旧瀬棚線の旅を始める。
瀬棚線は1987年(昭和62年)3月16日に廃止された。
起点は国縫駅だが、すべての列車が長万部発だった。
だから、この中ノ沢駅にも瀬棚線の列車が止まった。
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中ノ沢駅は1904年(明治37年)、北海道鉄道の紋別駅として開業した。
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10年後に「中ノ沢駅」に改称している。
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現在は1日6往復の運行。
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瀬棚線が廃止される直前の1987年1月、旧駅舎が取り壊され
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ヨ3500形の車掌車を改造した駅になってしまった。
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ちなみに駅前には「御宿仲乃澤屋」があった。
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ライダーハウスのようだ。1泊1000円。
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ホームは2面3線。
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1日の平均乗客数は2人(2013年度)。
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かつては快速アイリスの停車駅だった。
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快速アイリスは1966年(昭和41年)10月に運行を開始した急行せたなの後継列車。
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私が一度だけ瀬棚線に乗ったのは1982年12月。廃止される5年前だ。
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上野から夜行急行の八甲田か津軽に乗り、連絡船を乗り継いで、函館から長万部までは特急で来たはずだ。
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かつて発売されていた周遊券は指定の周遊圏内であれば特急の自由席が乗り放題だった。

というわけで国道5号に戻り、瀬棚線の分岐駅だった国縫駅に向かう。
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国道5号を右折すると、右手に国縫神社。
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そして公民館的な存在なのだろうか、国縫地区振興会館。
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駅前の民家。商店でも何でもなかった。
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国縫駅は駅舎が残っていた。
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1903年(明治36年)11月、北海道鉄道の森~熱郛間開通に伴い開業。
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1986年(昭和61年)11月に無人化された。
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1日平均の乗客数は4人(2013年度)なので、こんなにイスは要らない。
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かつては石炭ストーブが設置されていたのだろう。
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地元の方々が花を植えたり、清掃をしたりしてくれているようだ。
ありがとうございます。
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かつて使われていた鉄道荷札が懐かしい。
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ホームは2面3線。
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こんなに利用者がいないと、北海道新幹線が札幌まで延伸するまでに廃駅になってしまうかも。
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特急が頻繁に行き交う路線だけに、さすがに廃線の雰囲気はないけれど。
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跨線橋を渡ってみた。
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ポスターも何もない。宣伝効果ゼロだからなあ。
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このレールの外側が瀬棚線のレールがあった敷地だろう。
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ホームの幅がやけに広い。
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それがまた哀愁を誘う。
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JR北海道も大変である。
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おそらく路線廃止協議と並行して、利用客の少ない駅は順次廃止していくだろう。
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では、瀬棚線の廃線跡をたどることにする。
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(つづく)
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旧名寄本線

【2017年9月16日(土)】名寄本線廃線跡
ピヤシリ山(987m)から下山し、西興部村の集合場所へ向かう道すがら、旧名寄本線の廃線跡をたどった。
名寄から遠軽方面に一つ目の中名寄駅は駅舎がそのまま原位置に保存されていた。
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すぐ横には路盤跡と思われる空き地も残っている。
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名寄本線は名寄から遠軽に至る延長138.1kmの路線だ。
中湧別から湧別まで4.9kmの支線があった。
駅の数は起点、終点を含め40。
同線は1915年(大正4年)に湧別軽便線として開業。
全線が開通したのは1921年(大正10年)のことである。
1989年(平成元年)5月1日に廃止され、74年の歴史に幕を閉じた。

今年は廃止されてから28年ということになる。
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駅舎の中には入れなかったが、中を覗くと、「3人以上で名寄本線を利用した紋別市民の方に乗車運賃の1/3を助成いたします」という廃線検討時(?)の看板などが「保管」されていた。
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盛土状態になっているのはホームの跡だろうか。
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駅舎の基礎部分の横に、「国有鉄道」時代の標柱が残っていた。
廃止されたのはJRになってからである。
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駅の東側の路盤はすっかり削平され、一面の水田になっていた。
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もはや沿線の交通機関はバスのみである。
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水田の中を流れる平和川に、コンクリート製の橋台が残っていた。
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これは貴重な遺構である。
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取り壊すのもお金がかかるだろうから、撤去はされないと思うが、このまま残しておいてほしい。
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きれいに残っている駅よりも、こちらの方に哀愁が漂っていた。
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かつて線路をまたいでいた中線跨線橋。
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当時の線路跡はどっちの道路なのか分からないが用水路とともにまっすぐ東へ続いていた。
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これは西の方向。この先に中名寄駅がある。
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次の上名寄駅は、駅跡に駅名標が残されていた。
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現在は、名士バスの上名寄12線のバス停になっている。
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たぶん昔からあったと思われる駅前のお店「渋谷商店」。
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上名寄跨線橋を越える。
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眼下には、やぶ化した線路跡。
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反対側はもう樹木が繁茂している。
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この辺が矢文駅のあったと思わるあたり。
DSC_0946_2017110221181785e.jpg

全く痕跡が残っていないので、古い地形図を頼りに見当をつけるしかない。
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あのイタドリの生えているラインが線路跡だろう。
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築堤になっていたからか耕地には転換されていない。
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次の岐阜橋駅はこのあたりか。
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下川駅跡は下川町バスターミナル総合センターになっていた。
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ガイドマップには線路跡が点線で示されている。
DSC_0952_20171102211755891.jpg

立派な鉄道記念碑も建っていた。
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この道路がおそらく線路跡。
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やはり市街地の廃線跡は道路に転用されることが多い。
DSC_0955_20171102211758bee.jpg

下川町のマンホールはミニ万里の長城と、町発祥のアイスキャンドル。
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駅前の雰囲気をかすかに残す商店街。
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二ノ橋駅の跡は全く分からなかった。
DSC_0959_201711022117345cf.jpg

位置的にはこのあたりのはずだが。
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でも、それらしき痕跡を見つけることはできなかった。
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次の幸成駅跡は幸成バス停が目印。
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しかし、バス停そのものがヤブの中に消えてなくなりそうになっていた。

一ノ橋駅跡には上名寄駅と同様、駅名標が残されていた。
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駅跡はかなり開発されている。
DSC_0968_20171102211638813.jpg

この夫婦松は駅舎の横あたりにあったものだろうか。
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駅前の大きな家屋。昔は旅館だったのかもしれない。
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駅名標の裏に説明が。駅員が8人もいた時代があったとは。
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国道239号の天北峠(300m)を越える。
DSC_0970_20171102211641fc1.jpg

峠には名寄本線の跨線橋が残っている。
DSC_0972_20171102211644e91.jpg

この奥は林道だが、この下を名寄本線が走っていたのだ。
DSC_0977_201711022114290b8.jpg

下を覗いてみると、切通し状になった線路跡がなんとなく分かる。
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ただ、もう木々が成長してしまって、写真ではよく分からない。
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下りてみたいところだが、下り口も見当たらないし、もうそんな時間はない。
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この先はまた次の機会にということで、道の駅にしおこっぺ花夢に向かった。
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(おわり)
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