山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

名鉄三河線(4)

【2016年2月25日(木)】名鉄三河線廃線跡
力石トンネルを抜けると、これまたびっくり。
一体これは・・・。あと10年もたったら歩けなくなりそうだ。
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架線柱も森に溶け込んでしまいそう。
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それでも、しばらく歩くとやっと少し落ち着いた。
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28キロポスト
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竹林を抜けると、線路に人為的な通せんぼがしてある。
築堤の下に下りて、柵を越え、登り返して振り返るとこんな状態になっていた。
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この先のトンネルには入るなよ、というバリケードにしては、今までと雰囲気が異なる。
イノシシの防護柵だろうか。

しかし、この先はこれまでとうって変わって開けている。
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築堤の上なので、展望もよく気持ちいい。
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前を向いたり、後ろを見たり。
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西中金駅跡に近づくと、またしてもバラスが。
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今度はレールの外側にも敷いてある。
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制限時速は40km?
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左手に岩倉神社が見えたので寄り道。
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境内には村歌舞伎の舞台が残っていた。
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奥の平屋が旧西中金駅。
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ほんでもって、ようやくとうちゃこ。
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レールはもう少し続いている。
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三河線は実はこの先、足助まで延伸が計画されていた。
足助町追分付近まで5kmほど用地買収も終え、路盤工事も完了していたが、その先は用地買収が難航。昭和恐慌による経営の悪化もあり、計画は足踏み状態。
昭和16年に名鉄と合併した後も延長申請は続けてきたが、昭和33年にとうとう免許を返上。路線延長は夢と終わった。

さて、西中金駅跡。
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これは明らかに廃線後のもの。
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現役時代はこれだった。
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駅舎は昭和5年の建築。
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駅の開業は昭和3年だから、2年間は駅舎がなかったのか、2年で建て替えたのか。
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歩道拡張に伴い、線路側を少しカットしてホーム側に曳き家をしているという。

現在は「西中金ふれあいステーション」として再利用されているが、本日は平日のため休業だった。
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もともと猿投~西中金間は電化されていたが、閑散路線のため昭和60年からディーゼルのレールバスに転換されていたとのこと。
レールバス
乗ってみたかったが、鉄道に興味を持ち始めるのが遅すぎた。
あまりに遅く、廃線歩きや葬式鉄しかできないのが、ちょっと悲しい。
「遺跡」は嫌いじゃないからいいのだけど、やはり鉄道は走ってなんぼだから。

ここで廃線跡は踏破したことになるのだが、せっかくだから未成線も少し歩いてみることにした。
幸い徳田耕一編著「名鉄の廃線を歩く」(JTBパブリッシング)が手引きになる。
路盤の跡はほとんどが生活道路や農道に利用されているようだ。

かつての車止め地点。
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この先はしばらく国道の歩道が路盤跡だ。
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道路わきに、トヨペットコロナ(3代目、1960年代後半)の廃車が打ち捨てられていた。
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そのわりにロープで結んであるのが不思議だ。これは展示してあるのか。
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セブンイレブンの先で、国道から左に離れ、独立した生活道路になる。
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このいい感じのカーブがいかにも「廃線跡」だ。
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道幅も「鉄路」だったことを容易に想像させる。
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沿線の民家も雰囲気たっぷり。
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併走するのは力石川。
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もう10km以上歩いてきて、全く休んでいなかったので、このブランコで小休止。
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残りのおにぎりを1個食べて、10分ほどで出発。
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豊田市のマンホールはこんな小型のタイプもあった。
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路傍の石仏。
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よくよく考えると、旧道でもないのに、こんなに近くに国道が併走しているのも不自然。
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これも「廃線跡」の証拠である。

この道は延々と続く。
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単調なので結構疲れてきた。
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ホースを持っているのは水滴君かな。
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おお、もう少しだ。
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道は徐々に上っている。
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これは鉄道用の橋台と橋桁。未成線時代の貴重な遺構だ。

併走する国道153号は旧飯田街道ゆめロード。
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築堤になっているのが分かる。
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かなり勾配がきつくなってきた。
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この先で本来なら、国道をまたぐのだ。
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しかし、生活道路はここで行き止まり。

振り返ると、こんな景色。ここに鉄道が走っていたら、さぞかし美しかっただろうなぁ。
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対岸にはコンクリート製の橋台が残る。
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手前の橋台は破却されてしまったようだ。
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この先もしばらく「廃線跡」は続いているが、これで引き返すことにする。
同じ道は歩きたくないので、今度は国道を歩く。車が怖いけど。
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沿線の石祠や廃屋、それに石仏。
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途中、もう一つコンクリート橋を見つけてしまった。
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車だったら何か買って帰ってもいいのだけど。
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「廃線跡」を横から見るのもいい。
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途中のバス停で、帰りのバスの時刻を確認。西中金から乗る感じでちょうどよさそうだ。
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さすがに旧飯田街道だけあって、この手の石仏は少なくない。
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こちらは随分新しいけれど。
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途中から旧道めいた道に入る。
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時計を見たら、意外に時間がたっていて、びっくり。
バス停までの距離は正確にはわからないけど、乗り遅れる可能性が出てきたので、終盤は小走り気味に急いだ。

西中金バス停には、定刻の3分ほど前に到着。
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頑張って急いだのに、バスは10分近く遅れてきた。でも、その分、待合のベンチで一息つけたけど。
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バスは通学の高校生で満席。でも、バス停いくつか先で座れた。
時々うとうとしながら、猿投駅前で下車。

15:31発の三河線知立行き普通電車に乗り込む。目的地は上挙母(いわごろも)駅。
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ここに来るまでに、日帰り温泉はいろいろと検討していたのだが、三河線沿線の駅近くにあるということで、豊田挙母温泉おいでんの湯に決めていた。
15:47、上挙母駅着。
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ここから徒歩で10分ほど。
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「おいでん」とは、「よくいらっしゃいました」という意味の方言だそうだ。
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入浴料は600円なので比較的安い。
シルクの湯などいくつかの湯船にのんびりと浸かった。
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30分ほどで上がり、今度は愛知循環鉄道の新上挙母駅へ。
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運転間隔がありすぎて、20分近く待つ羽目に。
風が強くて湯冷めしそうなので、ホームでは待てず、ずっと階段で待機していた。
愛知循環鉄道に乗るのは、乗り鉄に来た時以来だから4年ぶりか。
どうしても起きていられず、うとうとしてしまった。

岡崎には17:23に到着。
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東京に行くには、名古屋経由の方が早いが、それだとお金が余計にかかる。
豊橋経由にすると、新幹線乗り継ぎの関係で、岡崎もしくは豊橋で1時間近く待ち時間が生じる。
岡崎駅周辺に適当な店が見つからなかったので、17:32の東海道線で豊橋に移動。
豊橋駅・駅ビルの名店街で店を物色した。

本当はディープな店を探したかったが、そんなに時間があるわけでもなく、塩鮪だしラーメンという看板に惹かれ、三河開化亭へ。
まずビールで喉を潤し、ギョーザで1杯。
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ラーメンは非常にさっぱりした味だったが、鮪のイメージは感じられなかった。
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食後、18:47発ひかり530号に乗車。
自由席だったが、苦もなく座れた。
引き続き、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読みながら沈没。
23時前に帰宅した。
久々の廃線歩きを堪能しました。
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名鉄三河線(3)

【2016年2月25日(木)】名鉄三河線廃線跡
枝下平岩のバス停の先に25キロポスト。
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そして、矢作川を渡る鉄橋に至る。ここも当然、進入不可。
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橋脚、橋台、橋桁、レールすべてそのまま残っている。
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長さは、131m。御船川の鉄橋を諦めたのに、ここを渡るバカはいない。
素直に迂回する。

戻る道すがら地域の氏神様である神明社があった。
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そのすぐ近くには薬王寺。
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門前には「秋葉山」「村中安全」と刻んだ常夜灯がたたずんでいた。
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文政七年(1824年)の建立で、もともと渡船場の近くにあったものを、大正期に移築したらしい。

両枝橋で矢作川を渡る。
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これは上流側。
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川面から顔を出しているのは「はかり岩」。
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かつては増水してこれらが水没すると、川止めにしたという。

対岸の道路から鉄橋を望む。
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実は、三河線の「山線」の廃止区間はすべて豊田市の市域内に収まっている。
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平成の大合併で、豊田市は愛知県で最も面積の広い自治体となった。
人口も42万人に達し、名古屋市に次いで2位である。

しばらく行くと、廃線跡が道路に近づいてきたので、頃合を見計らって移動。
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ここでは公開できないが、このあたりの線路上に女性用の下着と使用前の生理用品が大量に散乱していた。ここで何があったのだろう。

ほどなく三河広瀬駅にたどり着いた。
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産直市場、五平餅。待ってました!

おお、すぐそこじゃ。お腹がすいたぞよ。
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でもその前に駅構内探索を済ませる。
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この駅名標は現役時代のもののように見えるが、廃線跡のものだろう。
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名鉄の標記ではないし。
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ホームの一角は「広瀬駅前広場」というステージになっていた。
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線路跡はマレットゴルフ場に活用されていた。
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いよいよ駅舎へ。
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しかし、やな予感。シャッターが閉まっている。

新しい駅名標が掲げられているが、人影が見当たらない。
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中に入ってみると、なんと営業は土日のみだった。
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五平餅だけではなく、みたらし団子やおはぎもあったのに。
これは残念。というか困った。昼飯はどうする?

とにかく、むなしく室内を撮影。
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在りし日の三河広瀬駅。写真パネルと接写させてもらった。
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外に出て、駅前のバス停。
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この路面表示は分かりやすい。
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お、駅前旅館がある。もしかして・・・
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期待して入ってみると、なんと食堂っぽい作り。
奥の厨房にいたおじさんに「ここ食事はできるんですか」と声をかけると、「やってないねえ」という答え。
「この辺に食堂はありませんか」
「ないなあ」(実は、うなぎ屋が営業していた)
でも、棚に売り物のお菓子があったので、これでつなごうと、どれにしようか選んでいると、「橋渡った向こうにサークルKがあるよ」と教えてくれた。
歩いて5分ほどだという。
遠回りというか完全に別の道を行かなくてはならないが、往復10分くらいのロスは許されるだろう。
お菓子も300円とか高かったから、その方がいい。そうする。

広瀬駅にはおさらば。
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広瀬城跡には見向きもせず、広梅橋を渡る。
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このあたりが広瀬やな。
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先代の広梅橋の欄干が保存されていた。
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サークルKでは、フランクソーセージとエクレア、おにぎり2個を購入。
早速、歩きながら食べる。

そして廃線歩き再開。
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矢作川に沿った崖っぷちを進む。
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竹林の中で26キロポストを通過。
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うわ、随分荒れてきたぞ。
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再び竹林。
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踏切跡を渡る。
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この先はまたまたバラス。
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でも、それもわずかな区間だけ。
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田んぼの中を徐々に高度をあげていく。
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次の踏切跡の脇にお地蔵様。
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そして、広瀬トンネルへと向かう。
しかし、コンクリートで穴がふさがれていたら、大きく迂回しなければならない。
それを予感させる道だ。
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古い架線柱が残っている。
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切通し部分には小さな滝。
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幸い、トンネルはふさがれていなかった。
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トラ柵はあるものの、誰かが網を破っている。
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この網は普通、金属のものを使うはずだが、これでは入ってくれと言わんばかりだ。
私もこの抜け穴を活用させていただく。失礼しますよ。
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このトンネルは長さ241mもある。
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真っ暗になった時のためにヘッドライトも持って来てあるので、さっそく装着。
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トンネル内はそれほど荒れてなかったが、一部水漏れで足元がぬかるんでいる所があった。
で、5分ほどで、出口に。
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反対側も当然のごとく穴があけられていた。
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このあたりは廃線マニアも敬遠する人が多いのか、道がかなり荒れている。
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土砂崩れで完全に埋まっている所もあった。
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路面もかなりぬかるんでいる。
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木々もかなり繁茂していたので、何度か線路を離れて、林の中を迂回した。
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ヤブを抜けると、撤去された陸橋部分に出た。
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そのたもとにわりと新しいお地蔵様。
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反対側には明治36年建立の石仏がひっそりと立っていた。
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進行方向は築堤が続いている。
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えっちらおっちら登る。
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ここからスタート。
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しかし、ひどいことになっている。
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今回一番の難所である。
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ダウンを着ていたが、トゲなどが刺さって破ける恐れがあるので、脱いで歩いた。
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もう一つの隧道は力石トンネル。。
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こちらも例によって穴が空いている。
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こちらは40mなので短い。
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反対側は完全に網がはがされていた。
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(つづく)
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名鉄三河線(2)

【2016年2月25日(木)】名鉄三河線廃線跡
三河御船駅から枝下(しだれ)駅に向かって歩いている。
この踏切跡から先はレール間に細かいバラスが敷いてあった。
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やはり「遊歩道」として整備しようとしているに違いない。
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歩きやすくてとても助かる。

間もなく左下に、なにかが出現。
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御船石(おふないし)だ。
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洪水に見舞われた猿投(さなげ)の3柱の神のうち、2柱の神は猿投山にとどまったが、1柱の神は舟に乗って、御船川を下り、この地まで来たという。

昭和2年(1927年)、三河線工事の際、この石を埋めようとしたところ、作業員がケガをする事故がたびたび起きたので、このまま保存することにして、石碑を立てたのだという。
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この先は、レールがなぜか3本。
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さらに先に古墳が見えてきた。三河御船駅の案内板にあった滝1号墳だろう。
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振り返ると、きれいな弧を描く三河線。とても廃線には見えない。
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せっかくなので古墳も見学。
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直径17mの円墳で、古墳時代後期(6世紀半ば~後半)の築造。

東海循環自動車道の建設に伴い、ここから東に70mの位置にあったのを移築保存したのだそうだ。
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西側に開口している横穴式石室に入ってみた。
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古墳の石室に入ったのは何年ぶりだろうか。
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切石積みではないが、かなり緻密な造りである。

この先は御船川を渡る鉄橋なのだが、当然のようにトラ柵で侵入不可の状態にしてある。
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渡って行けそうな気もするが、間違えて落下したら命はない。
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あえて命をかけるような場所でもないので、素直に迂回する。
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ただ、かなり戻らないと道はない。
とりあえず右側から迂回しようと東海循環道の方に進んでみた。
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しかし、高速を越える道はあっても、その先が続いていないようだ。

すごすごと引き返す。
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再び古墳の横をすり抜けて線路に戻り、猿投方面に歩き出すと、林の中を下る道が切ってあるではないか。
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この道もかなり戻り基調で、随分遠回りさせられたが、御船川を渡る橋にたどり着くことができた。
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御船橋を渡って、東海循環道をくぐると左前方に神社が見えてきた。
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なかなか立派な神社なので寄り道して参拝していく。
御船八柱神社とある。
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鳥居の横にあるのは淡墨桜。
樹齢1400年に達し、国の天然記念物に指定されているようだ。

境内にはこのほかアベマキの古樹もあった。
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巨大な土地改良碑。
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この神社はその名の通り天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)ら八柱の神が祀られている。
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そういえば、今日はおにぎりや飲み物を買わないまま歩き出してしまった。
お昼は三河広瀬駅で五平餅を食べてつなぐつもりだが、そろそろ喉が渇いてきた。
廃線に自販機があるわけもなく困っていたが、神社の先の工事現場にあって、ひと安心。
アクエリアスをゲットできた。

さらに進むと、ようやく廃線跡に合流。
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踏切廃止の看板があった。
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右はさっきの鉄橋方面だが、そこまで丁寧に廃線跡を歩きつぶす必要もないだろう。
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左のやぶに分け入っていく。
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この先はこれまでの廃線跡より、かなり荒れている。
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草が繁茂してレールが見えにくくなっているほどだ。
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木も育ち始めており、いよいよ廃線ムード満点である。
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斜度は20‰。
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やはり手入れがされてないと、あっという間にこういうことになるのだろう。
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こうなるとゴミを捨てるのに抵抗がなくなる人も出てくるのだろう。
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かなり歩きにくい事態になってきた。
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そんな状態なのに、いきなりこんな案内の標柱が。
廃線跡を歩く人を想定しているのか?
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でも、樋門までは400mもあるようなのでパス。

見事な竹林の中を進む。このあたりは下草が刈られているようだ。
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24キロポストを通過。廃線の半分ほどを歩いてきたことになる。
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見逃した23キロポストは鉄橋のそばにあったのかもしれない。やはり行けばよかったか。

ちょっとした探検気分。
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と思いきや、またバラスが敷いてあるゾーンに。次の駅が近いようだ。
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石垣にみかん。
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今度は「第一水門」。近そうなので行ってみる。
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ちょっと下りると、満々と水をたたえる矢作川。
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よく分からないが、これが石組みの水門の跡のようだ。
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枝下用水路は地元の西澤真蔵らの尽力によって明治27年(1894年)に完成した。
昭和4年(1929年)の越戸ダム完成に伴い、役割を終えたとのこと。
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しばらくバラスの道を行く。
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間もなく枝下(しだれ)駅跡。
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これは遊び用のトロッコのようだ。手で押したら動いた。
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駅のホームもそのまま残っている。
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梅が満開。駅には梅や桜がよく似合う。
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駅名標は廃線後のもの。「駅跡」とわざわざ書いてある。
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三河線は猿投駅までは大正13年(1924年)までに開業していたが、その先は三河広瀬駅までが昭和2年(1927年)、西中金駅はその翌年に開通した。
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当初は付近で採れる粘土の需要が高まり、多くの引込み線が敷設されたという。
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駅周辺は「わくわく広場」として整備されている。
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枝下町自治区が自前の案内板を掲げていた。
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それとは別に廃線跡を「でんしゃみち」として整備する計画もあるようだ。
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地域住民の生活道路としても、観光客向けの自転車道としても利用できるものにすることを目指している。
サイクリングロードとなると舗装しなければならないが、レールはどうするのだろう。
できるなら、レールの上面の高さを路面の高さとして、レールが見えるような保存の仕方をしてほしい。
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こちらは、つり橋の跡だろうか。
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このあたりの川底には、枝下用水への水量を確保するための「牛わく」と呼ばれる施設があったらしい。
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これによって、さらに下流に古くからあった明治用水への取水量が少なくなり、騒動が持ち上がったとか。
結局、牛わくは撤去され、それを支えていた石だけが残っているとのこと。

このすぐ先の国道沿いには、駅名、地名の由来となった「しだれ桜」がひっそり。
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樹齢は推定150年だそうである。

その背後にある水車は観光用だろう。
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再び、廃線跡に戻る。
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すでに地元の方の散歩道になっているようだ。
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渡しの跡があるとかで河畔まで下りてみる。
春らんまん。
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この舟はさくらかな。浸水してるし。
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このあたりは、あの菅江真澄も訪ねてきたところらしい。
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対岸にある石組みは、渡し船をつなぐワイヤーを固定した台座。
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旧飯田街道で渡し船があったのは、ここだけだそうだ。

川に近い場所だけに石垣が目立つ。
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廃線跡に戻ると、路盤にまではみ出したバス停を発見。
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枝下平岩のバス停である。

(つづく)
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名鉄三河線(1)

【2016年2月25日(木)】名鉄三河線廃線跡
わけあって、24日夜、名古屋に勤務している息子に会いに行った。
翌日はまる1日自由だ。さてどうするか。
春日井三山を縦走するか、名鉄三河線の廃線跡を歩くか、どっちにするか迷ったが、まだ禁足期間ということもあり、廃線跡を選択した。
でも結果としては、山の方が楽だったかもしれない。
砂利で足場は悪いし、ヤブこぎが何か所もあったし、歩行距離は18kmに達してしまったのだから。

何はともあれ、朝は最寄り駅のJR勝川駅(中央本線)まで、息子に車で送ってもらった。
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まずは朝食。駅前のスーパーでパンを調達。電車を待つ間に食べてしまった。
ここは名古屋市ではなく春日井市だった。
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春日井市がサボテンの生産日本一だとは初めて知った。
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7:51発の普通名古屋行きに乗車。通勤時間帯とあって、かなりの混雑だ。
8:05に乗り換え駅である鶴舞駅に到着。
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駅前には「鶴舞公園」が広がっている。
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案内地図によれば、園内に古墳もあるようだが、今回はパス。
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地下鉄鶴舞線鶴舞駅へ。
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8:19発の名鉄豊田線直通豊田市駅行きに乗り込む。
ずっと「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の文庫版を読んでいたので、めずらしくあまり車窓は見ていなかった。

確か赤池駅あたりで地上に出て、乗り換えの梅坪駅には8:57に到着。
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ここから三河線なので本を閉じて、左側の車窓に注目。
猿投山(629m)が遠望できた。
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9:09、三河線の終点、猿投駅に到着。
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乗ってきた電車は折り返し知立(ちりゅう)行きに。
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廃止された西中金方面へはしばらく現役の線路が続いている様子だ。
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駅の外に出た。結構、立派な駅舎である。
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名鉄三河線は西中金と吉良吉田を結ぶ延長約64.8kmの路線だった。
中間点の知立をはさんで、西中金側を「山線」、吉良吉田側を「海線」と呼んでいた。
このうち、それぞれの先端部分、猿投~西中金間(8.6km)と碧南~吉良吉田間(16.4km)が閑散区間ということで、トカゲの尻尾切りのように2004年4月1日に廃止された。

山間部や田園地帯まで網の目のようなネットワークを築いていた名鉄は不採算路線・区間の整理を順次行っており、数え方にもよるがこれまでに30区間計156kmを廃止している。
この中で名鉄は2000年3月、谷汲線、揖斐線(黒野~本揖斐)、竹鼻線(江吉良~大須)、八百津線、三河線(西中金~猿投、吉良吉田~碧南)の5路線6区間の廃止を表明。
三河線を除く4区間が2001年10月1日に廃止された。
三河線の2区間についても沿線自治体が赤字補填をすることで廃止が延期されたが、結局2004年4月には廃止に追い込まれてしまった。
時の流れと言えばそれまでだが、寂しいことである。

私はこの路線にとくに愛着があるわけではなく、近年まで存在すら知らなかったくらいなのだが、以前読売新聞で連載していた「梯久美子の廃線紀行」を読んでから、いずれ訪ねてみたいと思っていた。
今回その機会に恵まれたわけだ。

駅前はバスターミナルになっている。
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廃止された区間は、「とよたおいでんバス」が後を引き継ぎ、足助まで結んでいる。

とりあえずまだ線路の上は歩けないので、線路に並行した道路を北上する。
豊田市のマンホールは市の花ひまわりであった。
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こちらは市章のみ。
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こちらは謎の幾何学模様。
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直近の踏切から猿投駅方面をうかがう。
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そして西中金駅方面。
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架線もつながっており、レールも光っているので、このあたりはまだ引込み線として使用されているようだ。
つまり、ここから立ち入るわけにはいかない。
住宅街を迂回する。

線路方向に向かう道があるたびに進入してみるが、行き止まり続き。
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でも、フェンス越しに覗き込むと、堅固な車止めが築いてあり、この地点が正真正銘のどん詰まりであった。
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架線のはずされた柱がむなしく天を突いていた。
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この地点で局地的にレールが外され、この先が廃線であることがはっきりと分かる。
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でも、フェンスを乗り越えて立ち入るのもはばかられたので、さらに迂回を続ける。
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駅から500mほどの地点で、ようやく入れる場所にたどり着いた。
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とくに「立入禁止」の標識もないので堂々と歩ける。
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レールは錆びているが、まだ廃線としては若い印象だ。
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この先、西中金駅までレールがはずされているところはほんのわずか。橋梁もトンネルもほぼ手付かずのまま「放置」されていた。
ただ、駅周辺は路盤に細かい砂利を敷いて歩きやすくしたり、駅を売店にしたり、地元の団体が廃線跡を「でんしゃみち」というサイクリングロードに整備する計画もあるようだ。
全体を通して歩くと、ところどころにヤブはあったが、廃線としてはたどりやすい部類に入るだろう。
廃止されて13年という年月は、廃線らしい雰囲気を味わいながらも、ちゃんと歩けるちょうどいい頃合なのかもしれない。

線路は徐々に高度を上げていく。
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21キロポスト。三河知立駅からの距離と思われる。
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三河線は大正3年(1914年)に開業した三河鉄道がルーツ。
最初に開通したのは刈谷新(現刈谷)~大浜港(現碧南)間。
翌年、刈谷新~知立(現三河知立)が開通し、順次北へ路線が延びていったという経緯があるので、現在の電車のターミナルは知立駅だが、原点である三河知立駅が「起点」となっているのだろう。

こんな風景を見ると、現役路線だと言っても疑わない人もいるのではないか。
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このカーブは半径300m、「55」は制限時速のことだろうか。
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実はそれほど鉄道には詳しくないもので。

このあたりは林の中を走る路線じゃないので、植物の繁茂もゆっくりのようだ。
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しかし切通しに差し掛かると途端にこんな状態。
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踏切跡を通過すると
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間もなく三河御船駅跡に到着する。
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駅舎はなく、ホームの一部に屋根があるだけの駅だったようだ。
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反対側から。
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駅名標は外されていた。オークションにかけられたのだろうか。
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駅前は広場状になっている。
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ハボタンも植えられていた。地域の方々が廃線後もお世話をしているのだろう。
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手書きの観光案内板がまだ残されている。
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「名鉄三河線」の文字の頭に「旧」と加筆されていた。

近くにあると思われる浄厳寺の道標?
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どういう霊場の何番札所なのか、上部が破断しているので分からない。

ここはサクラの季節になると、花見客でにぎわいそうだ。
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この先は田園地帯を行く。
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なんと「どうぞ歩いてください」と導くように、入口の階段がある。
気分的にありがたい。
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開かずの扉。
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落葉の道を進む。
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22キロポスト通過。
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それほど深くない切通しを抜けると
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初めて「入るな」の警告が。
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ごめんなさいしてそのまま進む。
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「入るな」だけあって、竹が線路まで張り出している。
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木の架線柱は切断されていた。
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間もなく、とっても雰囲気のいい場所に出た。
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左手の奥には猿投山が望める。
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そして踏切跡。
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なんとこの先は、歩きやすいように細かいバラスが敷いてある。
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ガードレールもこの部分だけ開いており、どう考えても「どうぞ歩いて下さい」の意味に解釈できる。
それでは遠慮なく(今までも遠慮しなかったけど)。

(つづく)
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碓氷峠アプトの道

ようやく11月のことが書けます。

よく晴れ上がった10日、ノンフィクション作家の梯久美子さんと廃線跡を歩いてきた。
場所は群馬県と長野県の県境・碓氷峠に通じる旧信越本線。横川駅から熊ノ平駅跡まで約6kmの道のりである。現在は「遊歩道アプトの道」として整備されている。

高崎11:21発の信越本線横川行きの電車の中で待ち合わせ。
所沢に住んでいる私は高崎まで八高線で行こうかとも思ったが、たまにはゆっくり寝ていることにして、結局新幹線にした。高崎ごときで新幹線に乗ったのは初めてのような気がする。

梯さんは2010年1月から読売新聞に月1回、「梯久美子の廃線紀行」という連載をしている。今回もその取材で、記事は11月24日の夕刊に掲載された。
私は梯さんとは同好の士であり、いい機会なのでお付き合いさせていただいた。

横川には11:54に到着。
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ホームには「峠の釜めし おぎのや」の売店があった。
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ここで釜めしを買って、お弁当代わりにしたかったが、食べ終わった後の釜の処理に悩みそうなので、最初から助六寿司を買っておいた。
梯さんは「重い」のを理由に断念したそうだ。

横川駅はなかなか風情のある駅だ。
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開業は1893年(明治26年)4月。現在の駅舎は大正8年に建てられたもので、正面をやや改装してある。

駅を出て、左に歩くと、すぐ「碓氷峠鉄道文化むら」。
ちょっと勉強していきたい気もするが、スタートがもうお昼なので、今回はパス。
車両にはそれほど関心がないし。
ただ、受付で「碓氷線絵地図」というガイドマップを購入。100円だったか200円か。

さて正午ちょうど、アプトの道を歩き始める。
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園内ではSL「あぷとくん」が家族連れなどを乗せて走っている。
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これとは別に、廃線跡(複線のうちの下り線)を利用したトロッコ列車「シェルパくん」が、ぶんかむら駅から、まるやま駅を経由して、とうげのゆ駅まで走っている。
複線のうちの上り線を遊歩道としているので、トレイルはしばらくトロッコ列車の線路と並行して続いている。
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歩き始めてすぐ、道をそれて、碓氷関所跡に立ち寄った。
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碓氷峠は旧中山道最大の難所で、その江戸側からの登り口にあたる坂本宿のはずれに関所が設けられた。
残っているのは関所の東門で、門扉や門柱などは江戸時代に使用されていたものとのこと。
全体は昭和34年に復元されたという。

トレイルに戻り、レールを残して舗装してあるゆるやかな登りを歩いてゆく。
左手には、園内に展示されている古い車両の数々。
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スタートが遅かったのか、もう戻ってくる人がたくさんいる。
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シェルパくんも戻ってきた。

上信越道の高~い橋梁をくぐって、間もなく右手にレンガ造りの立派な建物が見えてくる。
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旧丸山変電所である。
これを含め、旧信越本線の橋梁や隧道群は「碓氷峠鉄道施設」として国の重要文化財に指定されている。

丸山変電所には2棟の建物があり、手前が蓄電池室、奥が機械室。
信越本線の横川~軽井沢間は明治26年に開業したが、わずか11.2kmの間に標高差553mを登る66.7パーミルの急勾配なので、アプト式が採用された。
しかし、その後の輸送需要の増大と隧道内での排煙問題を解決するため、明治45年に日本の幹線としては初めての電化が行われた。
これにより、両駅間の所要時間は80分から50分に短縮された。
丸山変電所はこれに伴い、発電所からの電気を機関車に供給するために建設されたわけだ。

左手にある「まるやま駅」でお昼とする。
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まだ2kmほどしか歩いていないがお腹がすいた。

30分ほど休んでまた歩き始める。
しばらく行くと、線路が分岐している場所に出た。
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当然いずれも廃線跡を利用しているのだが(話がややこしい)、右奥に向かっているのが新線(粘着運転)、左が旧線(アプト式)のルートである。

信越本線はさらなる輸送力増強とスピードアップのため、列車と線路の歯車をかみ合わせて登るアプト式ではなく、新線を建設し、線路と車輪の摩擦力のみで登る通常の「粘着運転」に切り替えた。昭和38年、私が生まれた年のことだ。
これでアプト式は廃止となり、旧線もレールをはずされることになった。
機関車も新しく登場したEF63形によって、所要時間はさらに短縮され、約20分で峠を越えられることになった。昭和41年には複線化も完成する。

かつてこの機関車を増結するために、横川駅ではしばらくの停車時間があった。
これを利用して、乗客たちは争うように「峠の釜めし」を買ったのである。
長野新幹線が平成9年に開業して、信越本線の横川~軽井沢間が廃止されると、そんな昭和の風景は完全に姿を消してしまった。仕方のないことだが、とても残念だ。

で、当然、アプトの道は旧線の方を遊歩道化したものだ。
われわれは旧線をたどる。
「とうげのゆ駅」を過ぎると、石造りのトンネルが見えてくる。
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第1号トンネルである。トンネルは碓氷峠越えの中間点、熊ノ平駅まで10個ある。
いずれも実に美しい。明治の人はいい仕事をしているなあと本当に思う。
ちゃんと調べていないが、この時代に作ったトンネルで天井が大規模に剥がれ落ちた事故などなかったのではないか。
笹子トンネルの事故は、国交省や高速道路会社だけでなく、私たち日本人の何かが退化していることを象徴しているように思えてならない。

北原白秋の歌碑「碓氷の春」を過ぎて、トンネルをくぐる。
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幅は単線の分だけ。壁はレンガで組まれており、当時の蒸気機関車の煤であちこちが黒くなっている。

トンネルを抜けると見事な紅葉が待っていた。
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軽井沢側の出口はレンガで固めており、石は2本のラインとして残している。
どうですか、このゆとりというか遊びというか。
今ならこんなささやかなトンネルでも、当時は国家的な事業であり、それにふさわしいものを作らなくてはいけないという自負が明治人にはあった気がする。
それは、安全性はもちろん、見た目(デザイン)にも色濃く表れている。
それにしても、古色を帯びたトンネルの、なんと紅葉に映えることよ。

左手には妙義山の荒々しい岩稜が見えてきた。
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これを当時の乗客たちは煙にまぎれながら見たのだろう。

私が山にみとれていると、梯さんは手前の鉄塔を見て、「あのケーブルって、どうやってかけるのかしら」と首をひねっている。
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う~ん、確かに。地面を這わせるわけにもいかないし、ロケット弾でケーブルを飛ばすわけにもいかない。ちょっと思いつかない。
土木の人って、ほんとに頭がいい。今度誰か教えてください。

レンガの第2橋梁を渡り、第2号トンネルを抜けると、左手に碓氷湖が見える。
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人気の観光スポットのようだ。
碓氷湖はダム湖だが、ダムが竣工したのは昭和32年なので、車窓から湖が見下ろせた期間は旧線が廃止される昭和38年までのわずか6年間だった、と今尾恵介さんが「新・鉄道廃線跡を歩く2 南東北・関東編」で言及している。

紅葉の木漏れ日が気持ちいい。
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第3、4、5号トンネルは連続しており、トンネルの向こうにトンネルが見える。
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めずらしい光景で、何枚もシャッターを切った。

トンネル内には電灯が灯っているが午後6時には消灯するのだとか。
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第5号トンネルを抜けると、めがね橋の愛称で親しまれている碓氷第3橋梁に出る。
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長さ91m、高さ31mのレンガ造り4連アーチ橋で、その全容は上からは見えにくいが、古代ローマの水道橋の上を歩いているような気分を味わえる。
私は歩いたことはないけれど。

左眼下には国道18号線の旧道が走る。
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めがね橋がお目当ての観光客が結構多い。

右手には新線の橋梁が見えた。
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あれも廃線になってしまったのかと思うと、やけに淋しい気持ちになる。
新幹線はあのさらに3km先の山の中を走っているという。
長野新幹線は安中榛名駅を過ぎて、長大なトンネルに入ると、軽井沢まで地上に出るのはわずか2回だけ。それもほんの一瞬だ。
煤に包まれるのもいやだが、これはこれで実に味気ない。
まあ、JR関係者は「まったく勝手なことばかり言うわい」と思うかもしれないが。

ちょうど紅葉真っ盛りにぶつかったこともあり、観光客やハイカーでここは大にぎわいだ。
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この先は碓氷峠最長の第6号トンネル(長さ551m)に入る。
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このトンネルの坑門は石とレンガをうまく配置したデザイン。何だかうれしくなってくる。

アプトの道は従来、このめがね橋までだったが、今年、熊ノ平駅まで1.2km延長された。
どうせなら、軽井沢まで通行可能にしてもらいたいものだ。
大金をかけて整備する必要はない。この先はマニア向けとの位置づけで、最小限の安全対策でいい。鉄道マンは先人たちのチャレンジの歴史をきちんと残し、国民に伝えていって欲しい。

第6号トンネルはさすがに長いだけに、排煙用の穴が天井に空いている。
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第6号トンネルを出て、振り返る。
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この紅葉に、作詞家の高野辰之が感激したというのもうなずける。
信州中野出身の高野は、碓氷峠越えの景色を歌にした。
「秋の夕日に照る山もみじ~」
で始まる唱歌「紅葉(もみじ)」である。

シンプルなデザインの第7号トンネル
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第8号トンネルからは9号、10号が前方に見える。
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そして最後の第10号トンネル
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これを抜けると熊ノ平駅跡。
ここで新線(複線)も合流し、スイッチバック用の旧線トンネルもあるので、4つのトンネルが口を開けているめずらしい光景を見ることができる。
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ここでまたまた感激したのは、コンクリート造りの旧変電所である。
丸山変電所と違い、モダニズムの箱形建物なのだが、これが廃墟となると実にいい味を出している。
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梯さんは、「まだそこまで私は行っていない」と呆れていたが、きっと近い将来、目覚めることでしょう。

熊ノ平駅は横川~軽井沢間が開業した13年後の明治39年に開業。
上下線のすれ違いと、蒸気機関車への給水・給炭の目的で設置された。
しかし、アプト線(旧線)の廃止と、新線の複線化により、昭和41年、信号場に降格となり、平成9年に廃止となった。

ここには新線のレールも架線もホームも当時のまま残されており、実はレンガ造りのトンネルや橋梁など明治の遺産よりも哀愁を覚える。
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梯さんも同じような感慨があったようだ。
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「廃線紀行」の記事をこんな文章で結んでいる。
「レールが紅葉と同じ色に錆びている。もの寂しい風情だが、そこが何ともいえずいい。きれいに整備された道も、絵になる橋もよかったが、廃線の醍醐味は、時の流れに取り残されたようなこの静けさにあると改めて思った」

軽井沢方面には簡単な柵があるだけで、たぶん歩こうと思えば歩けるのだろう。
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でも、今回はタイムアップ。
梯さんもお疲れのご様子なので、ここからはタクシーを呼んで引き返すことにする。

途中、めがね橋を下から眺められるところで止めてもらい写真撮影。
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こうして見ると、やはりかなりの勾配だ。
明治25年の作品。レンガを200万個以上使った全国最大のアーチ橋だそうだ。

横川駅まで戻ってきたが、電車の時間まであと30分ほどある。
駅前のおぎのやに入って休憩。
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釜めしを食べるほどお腹も空いていないし、時間もない。
ちょっと変わったスイーツをいただくことにした。
私は「峠の釜めしアイス」
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釜めしをイメージしたフルーツアイスだが、製造は熊谷のお菓子屋さん。
カチカチに氷っていて、スプーンを入れるのに少々時間がかかった。
直径6cmほどの大きさで500円はちょっと高めか。
味はまあ普通でした。

4:31発の高崎行きで横川を後にし、大宮で食事をして帰宅した。
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今年1月、愛知・田口線以来の廃線歩きだったが、何と行っても紅葉がすばらしかった。
自然とよく溶け合う明治の遺産に感服した1日だった。
梯さん、ありがとうございました。
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