山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

胆振線(倶知安)

【2018年4月29日(日)】胆振線
ワイスホルン(1045m)から下山し、午後は旧胆振線の駅跡めぐりに勤しんだ。
前日は、東京極、京極、脇方(支線)の各駅跡を確認したので、今日は京極の次の北岡駅から。
北岡駅は1960年(昭和35年)に開業した比較的新しい駅であった。
現地には、駅となりの踏切跡が道路上に残っていた。
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当時は1面1線の単式ホームで駅舎はなかったが、待合室はあったらしい。
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駅前にあった家屋。
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かつて空中写真を見ると、これは当時からあったものらしい。
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駅跡から眺めた羊蹄山(1898m)。
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次の寒別駅跡に向かう途中、道路の左手に築堤を発見した。
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川のすぐそばで畑の端っこにあったため、削平されることなく残ったのだろう。
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それでも、ところどころ途切れているのは、通路として開けたものなのだろうか。
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寒別駅跡の近くには倶知安町農協の大きな倉庫が2棟残っていた。
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屋根の下にはまだ残雪。
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雪解けの跡にはチオノドクサが咲き乱れていた。
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和名っぽいが学名の日本語読みで、原産地は地中海から小アジアあたりだそうである。
つまりは外来種ということだ。
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昭和の雰囲気を濃厚に漂わす駅前の集落。
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そして廃屋。
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でも、肝心の駅跡がどこにあるのか確認できない。
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地図を思い出しながら、線路跡らしき場所を歩いてみるが。
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とにかく、チオノドクサだらけだ。
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この木材は鉄道関連の残骸だろうか。
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倉庫の裏側に回り込んできた。
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もうフキノトウのトウが立ってきている。
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地図をもう一度確認すると、もっと道路の近くであることがわかり、そちらへ歩いてみたら、ありました!
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立派なホーム跡が残っていた。
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寒別駅は1919年(大正8年)11月15日の開業。
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1面1線の単式ホームだったが、かつては駅舎があったそうである。
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ホームは立派な石組みで築かれていた。
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ちょうど地形的に段差のある場所にあるので、このホームはおそらく取り壊されることはないだろう。
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駅近くにあった古い家屋。
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駅跡から望む羊蹄山。形に乱れが全くない。
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駅舎があったと思われる場所に立つのは、最近新築されたばかりの駐在所であった。
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駅前の商店は原田商店だった。
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この雰囲気からすると、往年はそれなりに賑わっていたように思える。
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寒別駅を後にして、次の参郷駅に向かう途中、今度は廃校を発見した。
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木造校舎の背後に端正な羊蹄山。絶景である。
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倶知安町立寒別小学校の跡であった。
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1911年(明治44年)6月、倶知安第一尋常小学校東特別教授所として開校したと碑文にある。
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閉校となったのは、1984年(昭和59年)3月である。
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昭和12年に改築されたとあるが、本体はもっと古そうだ。開校以来の建物なのだろうか。
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現在は「ふれあいファーム」の事務所として使用されている。
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かわいらしい玄関。
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これは廃材を使って作ったオブジェなのかな。
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ここにはクロッカスが咲いていた。
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校庭。
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校庭の端に跳び箱用の古タイヤが残っていた。
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学校の向かいにあった農園はふれあいファームではなく「道塚農園」だった。
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バス停は「東二号」。「小学校前」ではなかった。
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寒別小学校に別れを告げて、参郷駅近くまで来ると、また学校の跡らしきものがあった。
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ここは倶知安の学校教育発祥之地だそうだ。
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1896年(明治29年)4月、ここに倶知安村戸長役場が置かれ、9月には倶知安小学校(後の八幡小学校)が開校したらしい。
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校庭は再利用されず、そのまま残っている。
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避難場所ということか。
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奥に見えたのは倶知安神社である。
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八幡小学校も寒別小同様、1984年に閉校となった。近隣の小学校と統合されたのであろう。
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このレンガの校門は、1919年(大正8年)に設置されたもの。
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銘板ははずされている。2つあるということは、小学校と中学校が併設されていたのだろう。
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こちらはコンクリート製の通用門。
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近くのバス停は、さすがに「小学校前」ではなく「八幡」。
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道南バスは喜茂別行きが1日8本、伊達紋別行きが3本も運行している。
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学校の向かいに珍しい3階建ての建物。
北日本管財(株)ニセコ営業所とあるが、もう営業してはいないようだ。
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というわけで、やっと参郷駅へ。
ここも道路上に踏切の跡が残っていた。
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ということは、このダートの道は明らかに線路跡。
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北岡駅と同様、1960年の開業で、1面1線の単式ホームだった。
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駅舎はなく待合室があった。ちょうどこのビニールハウスのあたりだった。
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線路跡の真上に農業関連の大きな施設が立っている。その向こうはワイスホルン。
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踏切跡の手前に、何かの基礎が残っていた。これは明らかに鉄道関連の遺構だが、ちょっと用途が分からなかった。
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駅名の由来は「三号線」を恰好よくもじったものだというから、ちょっと驚いた。

次の六郷駅跡は珍しく、公園化されていた。
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ちょうどもよおしてきたのでトイレへ。
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公園にはホームが残され、客車が展示されている。
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六郷駅は寒別駅と同様1919年の開業。
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廃止時点では1面1線の単式ホームだったが、かつては相対式ホームを持つ駅だった。
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現役時代は駅舎があったらしい。
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駅名の由来は、参郷駅に似て、「六号線」に所在していたことに由来する。
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園内に、胆振線で活躍した9600型蒸気機関車の動輪が保存されていた。
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中村與三松氏の顕彰碑。胆振線生みの親だそうである。
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せっかくなので車両の中も見学させてもらおうと思ったら、入れなかった。
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いたずらする人や住みつく人がいるからかもしれない。
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一応、窓から覗かせてもらう。
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胆振線は結局、一度も乗ったことがないまま廃線になってしまった。
もったいないことをした。
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北海道らしくストーブも完備されていた。
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これにて本日の胆振線の旅は終了。
赤井川経由で札幌に戻ることにする。
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毛無峠は標高650m。結構高い。
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途中、展望台に立ち寄った。
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標高467mの三角点があり、丁寧な説明がなされていた。
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ここからは小樽市街が一望。
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港もよく見えた。
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これは朝里方面。
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やけに中国人が多かった。レンタカー利用者なのだろう。
というわけで、あとは帰るのみ。
朝里ICから札樽道経由で帰宅した。
胆振線の駅跡探はあと御園~伊達紋別間の半分を残すのみとなった。
サイクリングロードがあるところは、自転車で行ってみたい。

(おわり)
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胆振線脇方支線

【2018年4月28日(土)】胆振線
小喜茂別岳(970m)から下山し、13時半前に留寿都温泉に到着した。
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こちらは弱アルカリ性低張性高温泉で源泉は43.3℃。
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入浴料は300円で、石鹸もシャンプーも備え付けがなかったので、頭は洗えず、体もタオルでこするだけだった。
それでもさっぱりできた。
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時刻はまだ14時。約束の時間まであと3時間もあるので、しばらく車内で仕事関連のやりとりを済ます。それで30分。

じゃあ、胆振線の廃線跡でも歩くか!ということで、未踏の駅跡へ向かう。
その途中、国道230号沿いに大きな石碑があったので立ち寄った。
紅丸薯顕彰之碑である。
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紅丸いも発祥の地は留寿都だそうだ。
貧困に苦しむ農民たちを救うため村の増田勇次氏らによって開発され、腐りにくく、収穫も多いということで昭和13年に優良品種に指定された。
昭和20年代には全道のジャガイモ作付面積の半分を占めるほどになったという。

碑のある空間は紅丸公園ということになっており、オンコの木などが寄贈されていた。
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園内にあるこの句碑は作者が「知足」とある。
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芭蕉と交流のあった下里知足(1640~1704年)のことだろうか。
当時、蝦夷地に来ていたとも思えないので、下里だとしたら、「イモ」に関する句を借りてきただけなのかもしれない。
または、別人なのかもしれない。ネットだけでは調べ切れなかった。

ここからも羊蹄山(1898m)が望めた。
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橇負山(715m)とその右後ろに尻別岳(1107m)。手前は留寿都の町並み。
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では、胆振線の東京極駅跡へと向かおう。
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道々、羊蹄山が美しい。
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何度も、車を停めて撮ってしまう。
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この角度からの羊蹄山は、頂上がちょっと丸みを帯びている。
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胆振線は1986年11月1日に廃止された。
これまで、喜茂別をはさんで北鈴川から南京極まで4つの駅跡を踏査済みなので、今回は南京極の倶知安より東京極から始めた。
旧版地形図もガイドブックも何も持ってきていないので、スマホを駆使して現地を探した。

東京極駅跡近くには道南バスの東京極バス停があった。
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どうしても「東京」極と読んでしまう。
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駅跡を背に、駅前通り。とくに商店はなく、郵便ポストのみが駅があったことを伝えている。
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ちょうど喜茂別行きのバスがやってきた。
道南バスは胆振線廃止後、倶知安~伊達紋別間約80kmの路線を今も毎日3往復運行している。すごいと思う。いつか通しで乗ってみたい。
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駅跡はご覧の通り、何もない。更地になっているが再利用すらされていない。
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喜茂別方面の線路跡。奥に尻別岳が見える。
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ひっそりと郵便ポスト。
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次は京極駅跡。
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胆振線の中では急行も停まった基幹駅だが、全く跡形もなく、大型倉庫に様変わりしている。
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駅前の雰囲気はもはやまるでない。
胆振線沿線住民は鉄道に対して実にあっさりしていたのだなあと改めて思う。

京極駅跡近くから見た羊蹄山。
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この後、京極から分岐していた脇方支線の跡をたどる。
道道784号を東へ。
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ワッカタサップ川を渡る俱楽橋の横に、橋台の遺構を発見。
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脇方支線のものかと思ったが、よく見たら道路橋の跡だった。
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新しい橋が平成3年の完成なので、それ以前のものなのだろう。
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対岸にも残っていた。
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さらに奥へ。
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間もなく、鉄道の築堤のようなものを発見。
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その先になんとコンクリート製の橋脚が残っているではないか。
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まわりにはまだ雪が残っていたが、幸い長靴なので、河原まで歩いて行った。
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脇方支線は脇方地区にある倶知安鉱山で産出される鉄鉱石を運搬するために、1920年(大正9年)に日本製鋼所が敷設して、7.5km全線が鉄道院に寄付された。
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京極~伊達紋別間が全通したのは1941年(昭和16年)10月なので、支線の方が古いわけだ。
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倶知安鉱山は1916年(大正5年)に三井鉱山によって開坑された。
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その3年後、三井鉱山が出資する室蘭の北海道製鐵(現・新日鉄住金室蘭製鉄所)に譲渡され、この年に開山した。
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鉱山が1969年(昭和44年)に閉山になったのに伴い、脇方支線も翌年11月1日に廃止され、すでに50年近くが経過した。
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にも関わらず、このような遺構がしっかりと残っていて感動的だった。
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夏になるとヤブがひどくなるから、この時期が廃線歩きには適しているのかもしれない。
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道端の湿地には、内地の山岳地帯で見かけるような高山植物が咲いている。
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北海道では、それを身近なところで見られるので、実にありがたい。
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車を行き止まりまで走らせ、脇方駅跡周辺に到着した。
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この盛り上がりは築堤の跡。
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早速、歩いてみた。
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雪が腐っていて、時々踏み抜いてしまう。
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川を挟んで、ここにも橋台が残っていた。
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それだけ確認して引き返す。
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下流側に見えたのは線路とは関係ないのか。鉄橋なのでちょっと微妙。
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これはただの護岸である。
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築堤を戻って、道路に出ると、正面に廃棄物最終処理場がある。
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これが脇方駅の跡だ。
もはや、痕跡すら残っていない。

近くに校門らしきものがあった。
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表札は外されているが、脇方小中学校の跡である。
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1911年(明治44年)4月に開校し、1970年(昭和45)年10月に閉校した。
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この碑が建立されたのは、閉校10年後の1980年とのこと。
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鉱山が閉山して、入植者も離農。残るは校庭だけとなった。
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駅跡を少し歩いてみた。ここは廃棄物処理場の東側である。
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振り返ると、羊蹄山が見える。
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駅があった場所というだけの写真。
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あの建物は鉱山がらみのものだろうか。
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倉庫っぽいが、今となっては何だかよく分からない。
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小屋の向こうに黒い石碑が見える。
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日鐵鉱業倶知安鉱山の記念碑だった。
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開山1919年、閉山1969年とある。
ちょうど50年の操業だったわけだ。鉱山の寿命は短い。
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生産高は累計618万トンだったようだ。

道道784号は黒橋京極線。
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この先冬期通行止め。
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ただ、スノーモービルの走行跡が多数残っていた。
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それではさようなら。
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鉄見橋を渡って、O君との集合場所に向かうとしよう。
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途中、水芭蕉の群生地を発見。
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高原でもないのにびっくり。
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さすが北海道だ。
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往路で渡った俱楽橋の上流側に脇方支線の遺構があるのを発見した。
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さっきは下流側の道路橋にばかり気を取られていて、こちらに気付かなかったのである。
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あぶなかった。
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流れているのはワッカタサップ川。
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「脇方」の語源である。
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それにしても、素晴らしいロケーションだ。
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真上から見ると、草履のよう。
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おそらく撤去されることはないだろうから、完全に朽ち果てるまで残り続けるだろう。
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実に美しい遺構であった。
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O君とは、留寿都の肉屋さん「どんどん亭」で合流。
しゃぶしゃぶ用のラム肉と豚バラを買い込んで、洞爺湖ハウスへ。
野外テラスでバーベキューだと思っていたので、防寒のため重装備で来たのだが、まだ寒いから屋内でしゃぶしゃぶをすることになった。
それはそれで、ありがたい。
野菜も含め、2人でたらふく食べて満腹になった。

20:45からは洞爺湖対岸の花火を眺めて、22時過ぎには寝た気がする。
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(おわり)
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瀬棚線(4)

【2017年11月21日(火)】瀬棚線
瀬棚線の終点、瀬棚駅跡まで到着し、周辺を散策中。
浜に下りて、三本杉岩を観賞している。
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すぐ脇には馬場川の河口堰が見える。
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こちらは上流側から見た河口堰。
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前回も紹介した岩だが、やはり、これには名前が欲しい。
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トンネルの名称は「三杉トンネル」だから、岩の名前ではない。

旧瀬棚町のマンホール。
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バス停は三本杉岩ではなく「三本杉」。
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立象山(95m)に登るべく、登山口のある事比羅神社へ。
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「事比羅(ことひら)」なのに、「金毘羅」のように金マークがある。
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境内には殉難消防員之碑(昭和55年建立)。
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本殿にお参りもせず、登山開始。
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頂上まで567段の階段があるようだ。
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雪山登山だ。
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登るにつれ視界が広がってくる。
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三本杉岩は下で見るより、離れた一本杉との距離がある。
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奥尻島に天使のカーテン。
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くっついた二人も、よく見ると頭の形が若干違う。
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6分で半分登ってきた。
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下からは恐ろし気に見えた三本杉岩も、見下ろすとかわいい。
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ちょうど10分で登頂。
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三等三角点も確認できた。
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早速、展望台に上ってみた。
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なんと、ここは三本杉岩の1本が半分隠れる位置だった。
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瀬棚市街。
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瀬棚港と奥尻島。冬の日本海だ。
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頂上は雲に隠れているが、北に狩場山(1520m)。
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北東にカスベ岳(左、1050m)とメップ岳(右、1148m)。
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南東に遊楽部岳(1277m)。
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瀬棚港の蝋燭岩。
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三本杉岩は約1000万年前の火山噴出物の火道の名残とされている。高さは約30m。
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市街地の南には毛無山(816m)。
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頂上には車でも来られたみたいだ。でも登山道からの景色がいいので徒歩がお薦め。
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瀬棚町は北檜山町と合併したが、役場を北檜山に譲って、町名を取った(ひらがなだが)形だ。
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この町には風力発電用の風車がたくさんある。今日は風が弱めで助かった。
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眺望を満喫したところで下山開始。
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階段はジグザグと何度も屈曲している。
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帰りは5分で下りてきた。
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もう一度、別角度から三本杉岩を見にいこう。
途中、民宿海の家の前を通過。
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こんなにきれいな家なのに、当分の間、休業だそうだ。
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民宿三杉館は現役営業中。
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今度はタコではなく人魚のオブジェ。
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三本杉のうち二本杉。
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孤独な一本杉。
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二人組。
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アップ。
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海岸には、天皇陛下の御製。奥尻島の津波を詠んだものだ。
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「五年の昔の禍を思ふとき復興の様しみてうれしさ」

こちらは海難慰霊碑。
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輪掛岩。
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アップ。
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立岩。
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蝋燭岩と天使のカーテン。
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白波。
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歌碑と海難慰霊碑。
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さっきの人魚オブジェの裏側。
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人魚と三本杉岩。
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これにて観光は終了。もう15時を過ぎた。
すっかりお腹が空いてしまったので、さっき目を付けておいた食堂に向かう。
途中で見た民宿長栄。
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しかし、なんとランチタイム後の休憩時間に入っていた。
また、しくじった。他を探してみたが、どこにも開いている店は見当たらない。

諦めて、港に向かった。
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蝋燭岩(高さ24m)の根元に神社を発見。
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港から望む立象山。
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ひやま漁協の建物。
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フェリーターミナルも見学。
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しかし、営業していない。
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調べてみたら、瀬棚~奥尻航路は夏季(5月1日~10月15日)のみの運航のようだ。

南の毛無山を確認して、瀬棚港を後にする。
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昼食は結局セコマでパンを2個買って、車の中で食べた。
こんなことになるなら、長万部でかにめしを買っておけばよかった。

とにかく、帰途につく。
帰り道、往路では通過してしまった二つの「松」に立ち寄った。
最初は、荷卸の松。
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樹齢270年と推定されるイチイ(オンコ)で、会津藩士だった丹羽五郎が明治25年(1892年)にこの地に入植した際、この木の下に荷を下ろしたことから、この名で呼ばれているそうだ。
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横に「是より東 玉川里丹羽村」の境界標があった。
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国道をはさんで反対側に瀬棚線の廃線跡と思しき道路があった。
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このカーブは間違いない。
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続いて、今金町の常代の松。
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樹齢は1000年を超えると言われ、新・北海道名木百選に選ばれている。
こちらも開拓の歴史を見守ってきた存在である。

暗くなる前に美利河ダムに着いてよかった。
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北電のピリカ発電所。
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美利河ダムが架るのは後志利別川。
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その名はアイヌ語の「ツウシベツ(山の走り根・大きい・川)」に由来するらしい。

ついでに大量の旧石器が出土したピリカ遺跡にも寄ってみた。
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国指定遺跡である。
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ピリカ旧石器文化館はまだ冬期休業には入っていなかったし、閉館時間前だったのにしっかりとシャッターが下りていた。
入館時間は閉館の30分前までみたいな感じだったからだろうか。
まあ閉館まで10分しかなかったので、開いていても入らなかったが。

この後は寄り道せず、ひたすら伊達に向かう。
もう暗いので安全運転だ。
伊達のトヨタレンタカー営業所には17:30頃に到着。
伊達紋別駅まで送ってもらい、17:51発の室蘭行き普通列車に乗る。
東室蘭で特急すずらん11号札幌行きに乗り換え。
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上り列車がシカに衝突したとかで、こちらも影響を受け、20分程度遅れた。
不思議に思うのは、車内放送が「シカと衝撃したため」と言うことだ。
業界用語なのだろうか。それにしても、そんな表現に「衝撃」を受けた。

昼飯が遅かったので車内でお腹が空かなくてすんだ。
晩飯は、前から気になっていた札幌駅構内のそば屋「北海道そば蕎麦紀行」に入る。
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ここでは幌加内そばが食べられるのだ。
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山菜なめこそばをいただいた。汁もしょっぱくなく美味しかった。
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列車に乗らず、入場券で入った場合、それを提示すれば、その分負担してくれるということを知ったのも収穫だった。
というわけで、21時過ぎに帰宅。
何十年かぶりの冬道運転だったが、事故もなくよかった。
瀬棚方面はまた雪のない時期に行ってみたい。

(おわり)
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瀬棚線(3)

【2017年11月21日(火)】瀬棚線
瀬棚線の廃線跡めぐりの合間に、今金町のインマヌエルの丘に寄り道している。
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キリスト教徒を中心とした開拓者たちの共同墓地の入口には小さなお地蔵様が控えていた。
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手を合わせて、墓地へと進んでいく。
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墓地もすっかり雪景色だった。
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最も高い場所に十字架が立つ。
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上部に十字架が彫り込まれている墓標も。
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昭和59年段階での「神丘共同墓地」の名簿。
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洗礼名が記されている墓標も発見。
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1892年(明治25年)、この地に初めて入植した志方之善(1864~1905年)の墓地があった。
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志方は熊本の出身だが、両親もここに眠っているということなのだろうか。
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「神は愛なり」
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「主我を愛す」
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こちらの墓標は比較的新しい。
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十字架自体を墓標にしているタイプの墓もあった。
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この共同墓地にはキリスト教徒だけでなく仏教徒も埋葬されているようだ。
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その証拠に、キリスト教を示す十字架と仏教を示すまんじが隣り合って彫られている。
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日本ならではである。
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墓の写真ばかりですいません。
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文化の融合を示すこういう光景が好きなのである。
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長崎県の五島列島では角柱の墓標の上に十字架が立っていたが、ここにはそのタイプのものはなかった。
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この石碑は今金インマヌエル教会が建立したもの。
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アーメンの前に南無阿弥陀仏。平和の象徴だ。
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異なる宗教の共存。今、世界が学ぶべきことではないだろうか。
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ありがとう。神丘墓地。
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墓地から南下すると、瀬棚線の築堤跡らしきものが見えてきた。
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これは間違いない。
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この小島のような地形が神丘駅のホームの跡だったりするのだろうか。
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あたりに人気はなく、確認するすべはなかったが、帰宅してから調べてみると、どうやらそのようだ。

近くにあった今金インマヌエル教会に立ち寄った。
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ここが志方之善らによる今金町開拓発祥の地とされている。
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なぜなら、ここが志方と荻野吟子夫妻の住まいの跡だったからだ。
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当時の過酷な生活を詠んだ吟子の歌碑が立っている。
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「雲はらふ風につけてもこの頃をとしべつ原の朝夕の空」とあるのだが、隣の説明板には別の歌が紹介されていた。
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「窓たたく夜半の嵐にねぎめしてとしべつ原の寒さいかにと」
なぜだろう。

現在の建物は昭和43年(1968年)に建てられたものである。
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隣の小屋に、「教会敷地内での、一切の採捕を禁じる」の貼り紙。
まわりは畑なのか。誰か、作物を盗って行く人がいるのか。罰当たりな。
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それにしても、代々ずっと信仰を守り続けていくことは、とても尊いことだ。
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私は信者ではないが、敬意を払いたい。
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北には狩場山地が見えた。
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少し離れた場所に、今度は神丘発祥之地の石碑があった。
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ここは志方とともに内地から渡ってきた丸山要次郎が単身越冬した地なのだそうだ。
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廃線歩き再開。丹羽駅跡に着いたが、すでに跡形もない。
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こんなにきれいに消さなくてもいいのに。
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もしかしたら、この道が線路跡だろうか。
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廃止になる6年前の1981年には、なんと1日734人の乗客があったそうだ。
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今なら、絶対廃止にはならない数字だ。

次の北檜山駅に行こうとして、間違えてたどり着いてしまった温泉ホテルきたひやま。
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その後も、ネットからプリントした当時の地図を見ながら探すも見当たらず。
線路跡らしきものは見つけられたが
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駅舎跡は確認できなかった。
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後で調べたら、当時の駅舎はバスターミナルの営業所として今も利用されており、この裏にあった。
10分もさまよった挙句、見つけられず大失態。
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予め、もう少し調べて行くべきだった。
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10分ほどで瀬棚駅跡に到着。
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35年前はこうだった。
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国縫駅からちょうど48km。キロポストも残っていた。
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駅名標の隣に、旧国鉄瀬棚駅跡地記念碑。
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跡地には温泉施設「やすらぎ館」が建っていた。
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寒いので入りたいが、もちろんそんな時間はない。
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駅跡地は荻野吟子公園として整備されている。
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吟子は日本で最初の女医で、志方の後を追って今金に入り、しばらく瀬棚で開業していた。
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その荻野吟子の顕彰碑が立つ。
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渡辺淳一の「花埋み」のモデルにもなった方だ。
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私も読んだが、壮絶な人生である。
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明治時代にはすごい人がいたと思う。
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この石像はちょっと胸を大きく作りすぎているけど。
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近くの町医療センターは「荻野吟子記念」の名が冠されていた。
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では、荻野吟子が開業した医院の跡に向かおう。
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地形図が示す碑の場所と違うので、ちょっと迷ったが、見つけた。
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吟子は「セタナイの八景」なる詩を書いていることを知る。
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木の碑には「荻野吟子開業の跡」と刻まれていた。
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背後には瀬棚児童会館が控えていた。
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その裏には、象のような立象山(95m)。
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こちらはカバみたい。
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この後は名所の三本杉岩に行ってみることにした。
防波堤の手前に、タコのようなオブジェが。
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裏側に回ると、龕のような穴があるが、以前は何か置かれていたのか。
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防波堤の上にのぼって三本杉岩を望む。
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私的には、瀬棚と言えば、三本杉岩だ。
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実は1本だけ、ちょっと離れている。
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南の防波堤の向こうに見えるのは蝋燭岩。
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北に浮かぶのは立岩。
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その手前に輪掛岩。
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振り返ると立象山の頂上に展望施設が見える。
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あの海坊主のような岩には国道229号が貫いているが、地形図に名前は出ていない。
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浜まで下りてみた。
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冬の海である。
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それにしても見事な奇観であった。
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(つづく)
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瀬棚線(2)

【2017年11月21日(火)】瀬棚線
国鉄瀬棚線の廃線跡を歩いている。
最初は茶屋川駅跡。函館バスのバス停が目印だ。
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目の前は国道230号が走っている。
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この自販機は駅があった頃の名残なのだろうか。
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なんと、○ンドームの自販機まで。なんか現役っぽかった。
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その隣には、いかがわしい本の自販機もあった。こちらは厳重に守られている。
どういう所なんだ!
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ともかく背後にあると思われるホーム跡に行ってみる。
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2010年時点では崩れたホームが草に埋もれていたというが。
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その後7年も経過し、おまけに雪が積もっているので、遺構は確認できない。
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低い方が路盤だろうか。
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ここでは敷地の境界を示す杭と思われるものを発見しただけだった。
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バス停前には民家が1軒だけ。
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次の駅は美利河駅なのだが、まずは美利河ダム前バス停を確認。
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クアプラザピリカ入口に車を停めて、駅跡を探す。
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南にはクアプラザピリカのスキー場を望む。
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結構、雪が降ってきた。
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奥美利河温泉「山の家」は老朽化のため休業中。
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ピリカ遺跡は帰りに時間があったら行ってみよう。
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駅の跡ははっきりとは分からない。この辺ということにしておこう。
ちゃんと駅舎のある駅だったらしいのだが。
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長万部方面のバス停は小屋とバス停標識のデザインが瀬棚方面とは違っていた。
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路面は圧雪状態で、運転がちょっと怖い。
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次の花石駅跡は、この交差点のあたりのはずである。
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こちらは国道230号の旧道。
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花石バス停。
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廃線跡は国道230号の新道に変わってしまったが、当方はあえて旧道を行く。
花石郵便局。
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次の北住吉駅に向かう途中、「友愛の森げんき公園」なる公園があった。
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今金町と地元出身の篤志家石黒克彦氏が整備したもののようだ。
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このあたりは、かつて「シンコヘ」と呼ばれていた。
やがて甚五衛なる男がこの地で砂金採掘に成功して大金を得たことから、その名にあやかって「ジンゴベ」と言われるようになった。
その後、松浦武四郎が当地を訪れ、チャシ跡で土器やメノウ、勾玉などを見たことから「珍古邊」と漢字を当てた。
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その字に引きずられ、今度は「チンコベ」と呼ばれるようになる。

昭和4年(1929年)、瀬棚線が開業する際、花のように美しい石メノウが採れるということで、駅名は「花石」となり、以後、地名も「花石」となった。
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松浦武四郎がこの地を訪れたのは安政三年(1856年)のことである。
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その65年ほど前に、菅江真澄も立ち寄ったとみられている。
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なぜか古代の住居が想像復元してあった。
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そして、愛子さまのお印であるゴヨウツツジ(シロヤシオ)の苗が雪の中に植わっていた。
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向かいに今金町地域特産品生産センター。
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メノウのことである。
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隣にはその名も瑪瑙(めのう)寺。
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明治37年(1904年)に開校した今金町立花石小学校は平成19年3月に閉校した。
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建物はやけに新しいので今は何かに再利用されているのだろう。
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ゴールドラッシュ時代の名残、黄金神社。
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ハイカラな造りの美しい廃屋が残っていた。
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北住吉駅跡の近くにある北住吉バス停。
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瀬棚線が現役だった頃からあった建物だろうか。
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駅跡そのものは国道230号新道となってしまい、その痕跡を見ることはできない。
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次の種川駅跡近くで頑張っている商店「ファミリーストアさとう」。
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その前の信号を左折する。
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すぐに種川温泉休憩所。公衆浴場だ。
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駅跡はたぶん、このあたり。
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道路の脇に延びる平地が線路跡だろうか。
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瀬棚線は、痕跡を見つけるのが難しい。
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廃線からはや30年。訪ねるのが遅すぎた。
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最寄りのバス停は種川ではなく、種川温泉入口。
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今金町はメノウのほかに、男爵いもも特産だ。
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今金町の市街地に入り、八幡神社の前を左折すると、今金駅跡に出る。
そこは函館バスのバス停になっていた。
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近くには国鉄が現役だった頃の名残である農協の倉庫があった。
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駅を中心とする線路跡は公園として整備されている。
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レールと町内の駅の駅名標が復元展示してあった。
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まずは美利河駅。
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花石駅。
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北住吉駅。
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種川駅。
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今金駅と思われる駅名標は盗まれてしまったのか、枠しか残っていなかった。
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駅の跡には、なぜかオランダ風の水車が。
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とくに今金とオランダのどこかの町が姉妹都市だというわけではなく、今金の町の花がチューリップなので、チューリップと言えばオランダ、という単純な発想だったようだ。
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駅舎の跡に建てられたこの建物は、「デ・モーレンいまかね」という。
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「デ・モーレン」とはオランダ語で風車のことだそうだ。
ここに今金町商工会の事務所が入っていたので、町内の散策マップをいただいた。
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(これは観光案内板)

線路跡の散策路はオランダ通という名称になっている。
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今金の名はこの地を開拓した今村藤太郎と金森石郎の頭文字を採って命名されたが、町名が「いまかね」であるのに対し、駅名は「いまがね」だった。
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昔、北海道に住んでいた若い頃はてっきり「いまがね」だと思っていた。
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市街地の北西の方角に巨大なループ橋があるのが不思議であった。
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オランダ通を歩く時間は残念ながら、なかった。
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ウォーキングコースも取りあえず省略。
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あたりを一周してバス停に戻ってきた。
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せっかくなので中を見学。
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函館バスの路線図が掲示されていた。結構、営業エリアが広い。
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トイレをお借りして外に出ると、ちょうど瀬棚行きのバスが着いたところだった。
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お昼時になっていたので、市街地をぐるぐる回ったが、適当な食堂がない。
オランダ通と交差したところで、もう一度写真を撮って
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次の神丘駅に向かうことにした。
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神丘バス停は、神丘駅跡とはかなり離れた場所にある。
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「神丘」とは、日本最初の女医である荻野吟子(1851~1913年)の夫、志方之善らキリスト教徒が1892年(明治25年)に入植し、この地をインマヌエル(神のいる丘)と名付けたことに由来する。
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このバス停の近くには、「インマヌエルの丘」を開拓した先人たちの共同墓地があるので訪ねてみた。
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小高く見える、あの丘の上である。
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(つづく)
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