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山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

1906函館本線(下)

【2019年6月8日(土)】函館本線
道の駅「みそぎの郷きこない」に向かって、国道5号を南下中。
途中、栄浜というバス停横に、ユニークなモニュメントを発見した。
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縄文時代の竪穴住居を模したと思われる石製品の拡大レプリカである。
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1998年8月22日に、近くの栄浜Ⅰ遺跡で発見された約4600年前(縄文時代中期)の遺物がモデルである。
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縄文人は抽象表現やデフォルメは得意だが、写実的な造形はあまり残していない。
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これが写実的かどうかは議論があるかもしれないが、特段、装飾を加えず、実際にあるものの模型を作ったのだとしたら、極めて珍しい。
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竪穴住居を表現した縄文時代の家形石製品は全国でもここでしか発見されていない。
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技術的に製作は可能だが、そういう発想がほとんどなかった時代の遺物という意味でオーパーツとも言えるものである。
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実物は横14.9cm、幅11.2cm、高さ14.8cmの大きさである。

栄浜Ⅰ遺跡があるのは八雲町。
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全国で唯一、日本海と太平洋に接している町である。
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家形石製品のモニュメントのまわりにはルピナスが咲き誇っていた。
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本日、最後の駅舎は本石倉駅。
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栄浜バス停に寄り道したが、石倉駅から12分で着いた。
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この駅に駅舎はなく、歩道から階段で直接ホームへと上がる。
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時刻表によれば、1日6往復の運行である。
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反対側のホームの後ろにある建物は駅舎ではなく、石倉郵便局。
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本石倉駅は1944年(昭和19年)9月10日、本石倉信号場として開設された駅である。
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ホームから函館方向を見ると、鉄路に沿って国道5号が走り、駒ヶ岳が望める。
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反対側の下りホームには待合室があった。
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長万部方面はすぐトンネル。
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ちょうど、特急スーパー北斗15号札幌行きがやってきた。
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あっという間に通過して行った。
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さようなら~
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一旦ホームから下り、高架をくぐって反対側のホームに向かう。
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坂道を登っていく形になる。
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コンクリートの銘板を見ると、1973年(昭和48年)に何らかの工事が行われたようだ。
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駅前にある民家。玄関前のフキの繁茂ぶりから見て、もうお住まいではなさそう。
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しかし、キッチンにはまだ洗剤などが置かれている。お年寄りがいらっしゃるのだろうか。
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奥の家はおそらく完全に廃屋だ。
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下り線のホームへ。
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この駅が仮乗降場となったのは1948年(昭和23年)7月1日のこと。
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その後、一時また信号場になったが、1973年12月11日に旅客の取り扱いを再開している。
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この時にここと石倉駅間を複線化しているので、さっきの銘板は複線化工事の竣工を示しているのだろう。

待合室に駅ノートがあったので、久々に開いてみた。
昨年の地震直後のJR北海道の対応を批判したコメントもあった。
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しかし、表紙が「石倉駅」になっていたので、「本」を書き加えておいた。
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ノートに書き込みをするような人はいっぱしのテツだと思うが、誰も気づかないとは嘆かわしい(笑)。

ちなみに駅に昇格したのは、国鉄からJR北海道に移管された1987年(昭和62年)4月1日のことである。
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これで一応、函館本線の駅舎めぐりを終えて、濁川温泉に向かったのだが、そちらは別稿に譲るとして、先に進む。
森駅は撮影済みなので、近くにある森桟橋跡を訪ねた。
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1872年(明治5年)、函館と札幌を結ぶ札幌新道が開かれた際、静狩・礼文華の山道を避け、森~室蘭間は海路となった。
ここは、その際の桟橋となった場所である。
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桟橋は長さ255mもあり、干潮の時なら、列車から林立する桟橋の杭の遺構を見ることができる。
1881年(明治14年)の明治天皇北海道巡幸の折は、函館ではなくここから上陸しており、桟橋の先に「明治天皇御上陸記念碑」が建立されている。
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これも列車からよく見えるのだが、海岸へは線路が遮っており、随分遠回りしないと行けそうにない。時間の関係もあり、今回は諦めた。

明治天皇巡幸に先立つこと3年前の1878年には、英国の女性旅行家イザベラ・バードがやはりここから室蘭を経て、アイヌの一大拠点平取に向かったという。
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桟橋跡の碑近くにあった民家たち。
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おそば屋さんの「よしのや」は元気に営業していた。
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森町のマンホールは駒ヶ岳と桜。
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ついでに、森町の役場もコレクションしていこう。
これは森町公民館。旧役場なのかもしれない。
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その隣に、そんなに真新しくはないが町役場。
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「森町役場」ではなく「森町庁舎」となっていた。
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駐車場の隅にあった佐野雨田翁の像。
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佐野雨田は新潟県出身で、森町(当時は森村)の初代村長だそうである。
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役場の斜め向かいには青葉ヶ丘公園があった。
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1915年(大正4年)に開設された公園で、園内にはソメイヨシノなどの桜の木が約1000本も植えられているという。
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この後は、前回、線路の反対側からしか撮影できなかった姫川駅跡を再訪した。
しかし、道がよく分からず、近くの養蜂場の方に聞いてみたら、親切に教えてくれた。
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関係ないが、「はち」だけど「ふくろう」である。
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道の分岐点には、ローマ字で書かれた姫川駅への道標があった。
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というわけで、18時過ぎに到着。
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姫川駅は1913年(大正2年)に姫川信号所として開設され、1951年(昭和26年)に仮乗降場となった。
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1987年4月1日のJR移管とともに駅に昇格したが、2017年3月4日に廃止され、現在は再び信号場になっている。
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1991年12月24日に改築された駅舎はもう跡形もなく撤去されており
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現在はホームへの階段が残るだけだ。
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もともとは2面2線の相対式ホームがあったそうだ。
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もちろん、それらも完全に撤去されている。
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廃止直前の乗降人員は1日平均で1人以下であった。
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そんな駅にも快速が停車していた時代もあったのだ。
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さあ、これで寄り道はすべて終了。
森のレストラン「グリーンパーク」の前を通って、一路、道の駅きこないに向かう。
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ちなみにここから姫川駅に行こうとする人がいたらしく、こんな看板も残っていた。
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ついでに、駒ヶ岳の雄姿も押さえておいた。
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大沼や新函館北斗駅の近くを通過し、函館江差道に乗ってしばらくすると、バックミラーに見覚えのある車を発見。
もしや、H君の車がもう追いついてきたのかと思ったら、やっぱりそうだった。
追い越し車線区間で抜かれたとき、助手席にいたO君が手を振っていた。
あとは、そのままH君の車についていく。
途中、コンビニで翌日の朝食などを調達して、その後は私が先導。
19:15頃には、道の駅に到着した。
車中泊のための寝床の準備をして、近くの飲み屋の「おてもやん」へ。
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まずは明日の大千軒岳登山の成功を祈念して乾杯。
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奥まった部屋に案内されたので、料理が遅かったり、お酒のおかわりがなかなか来なかったりと(そのくせ、大将の返事だけはいい)、あまり気持ちよくは飲めなかった。
ただ、刺身やコマイの開き、豚タン串、串揚げなど、料理はみな美味しかった。
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ハイボールはロックではないかと思うくらい濃かったのが印象的だった。

3時間近く飲んだが、明日があるので22時過ぎにはお開き。
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コンビニに寄って、車に戻った。
同衾するO君とひと言ふた言おしゃべりしたが、二人ともあっという間に沈没してしまった。
お互いのいびきも気にならないくらい、翌朝まで爆睡した。

(「濁川温泉」につづく)
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1906函館本線(中)

【2019年6月8日(土)】函館本線
八雲町から森町にかけての函館本線の駅舎を訪ねている。
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山越駅を後にして、野田生駅に着いた。
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駅前通りは、それなりに往年の雰囲気を残している。
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野田生駅は山越駅と同様、1903年(明治36年)11月3日に「野田追駅」の名称で開業した。
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今の名称になったのは、1959年(昭和34年)10月1日のこと。
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この駅舎は1988年12月3日に改築されたものだ。
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現在は、普通列車のみ1日上下6本ずつ運行されている。
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駅名は所在地の地名によるが、語源はアイヌ語の「ヌプタイ(野・林)」もしくは「ノットアオイ(岬を負う所)」など諸説がある。
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1992年4月1日に簡易委託が廃止され、完全に無人化された。
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ホームは2面2線の相対式である。
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函館方面。
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1番線ホームは途中で途切れていた。
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それにしても、シンプルな駅舎だこと。
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構内踏切を渡って、2番線に行ってみよう。
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ここも中央の線路が撤去されている。
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2番ホームの裏側には、駅舎を通らずに構外に出られる通路があった。
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踏切への階段は上下線とも最近、改修したようだ。
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このホームはもともと島式で、かつては3番線もあったのかもしれない。
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改めて函館方面。
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よくよく見ると、先代の駅舎の基礎が残っていた。
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近くにあった野田生会館。
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敷地内にあった案内板は、野田生の由来を「ノタオイ(頬のいくつかある所)」としている。
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北海道には集落ごとに、こうした開拓記念碑がある。
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こじんまりした野田生神社。
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最近建て直したのか、とてもきれいだ。
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境内には白いツツジやら、赤いツツジやら。
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せっかくなので参拝させていただいた。
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次の落部駅に向かって、国道を南下していると、駒ヶ岳(1131m)がきれいに見えてきたので、ビュースポットのパーキングに車を停めて、しばし撮影タイム。
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左が砂原岳(1112m)、右が剣ヶ峯(1131m)である。
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海に突き出している埠頭は落部漁港。
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函館本線のトンネルは上下線2本に分かれていた。
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寄り道したが、野田生駅から十数分で落部駅に到着。
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駅前には高校生諸君に呼びかける指導の言葉があった。
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バイク通学可だったようだ。

駅前はここもイチイのロータリーになっている。
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この駅舎は1945年(昭和20年)10月、複線化に伴い現在地に移転してきたものらしい。
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その後、1991年12月に若干改築されている。
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1986年11月に簡易委託駅となっているが、この日は営業時間外のためスタッフは不在だった。
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駅事務室。
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待合室。
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開業したのは、山越駅や野田生駅に遅れること8年。
1911年(明治44年)8月5日のことだった。
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2013年の乗車人員は1日平均で約30人。これだけいれば廃止は免れそうだ。
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北海道新幹線が札幌まで延伸されれば、当然、JRは在来線を手放すことになる。
それまでに、あまりたくさん駅を廃止してしまうと、後継の第3セクターが迷惑するだろうから、極端に利用者が少ない北豊津や東山のような駅でなければ廃止することはないだろう。

ホームは2面3線の島式・相対式の複合型。
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駅の背後には道央自動車道の高架橋が見える。
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駅名は所在地の地名に基づくが、語源はアイヌ語の「オテシペッ(川尻・梁・川)」「オテシウンペッ(川尻・梁・ある川)」などに由来するとされる。
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ここから9km内陸に入ると銀婚湯温泉がある。私も去年行ったことがある。
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ホームはカーブを描いていた。
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特急が高速で駆け抜けるので、レールは傾いている。
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2番線は貨物列車の待避に使われるのだそうだ。
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構内踏切を渡って、2、3番線に行ってみた。
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のどかな3番線ホーム。
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札幌方面。
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函館方面。
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近くに、「乙部(おとべ)」という町もあり、ちょっと紛らわしい。
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それでは、1番ホームに戻りましょう。
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すると、札幌方面から貨物列車がやってきた。
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かなりのスピードである。
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この貨物列車も長大な連結だった。
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それでは落部駅からお暇。
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国道に出た。
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銀婚湯ばかりが有名だが、近くの上ノ湯温泉には「パシフィック温泉ホテル清龍閣」も営業している。
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15時半、落部駅から7分で石倉駅に到着した。
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駅のまわりはマーガレット畑。
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石倉駅は野田生駅、山越駅などと同様、1903年(明治36年)11月3日に開業。
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現在の駅舎は1988年に改築されたものだが、入口前には先代の駅舎の基礎が残っていた。
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1986年11月1日には無人化されている。
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駅舎の間取りは野田生駅に似ている。
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ホームもマーガレットだらけだ。
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駅名は所在地の地名によるが、語源はつまびらかではない。
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アイヌ語起源ではなく、『駅名の起源』(鉄道省札幌鉄道局編、1939年)では「付近一帯に石地が多い為」としているそうだが、『北海道地名漢字解』では、榎本武揚配下の石倉三左衛門に由来するとしているらしい。
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ホームは2面2線の並行型。
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ホームからは駅舎越しに駒ヶ岳を望むことができた。
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札幌方面。
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函館方面。ホームの函館寄りはヤブとマーガレットで埋め尽くされていた。
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レールが外されたところはフキやイタドリの畑に。
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駅名標もイタドリで見えない。
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現役のうちから廃線の雰囲気を色濃く漂わせていた。
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でも、そんな駅が私は好きだ。
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美しいではないですか。
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2011~15年の乗降人員は1日平均で10人以下とのこと。
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駅というより植物園のようだった。
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駅前の海岸からの眺め。
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駒ヶ岳の真上に雲が浮かんでいた。
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それでは、さようなら。
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(つづく)
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1906函館本線(上)

【2019年6月8日(土)】函館本線
写万部山(499m)から下山後、長万部町内をあちこち寄り道して、JR函館本線国縫駅の函館寄りにある豊津信号場に向かっている。
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ここは今年の正月に八雲駅から国縫駅までの駅舎を巡ったとき、うっかり通過してしまったところだ。
今回はちゃんと国道から入る入口を見つけることができた。
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ダートの道の突き当りに北豊津信号場はあった。
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こちらは、北豊津駅時代の旧駅舎(待合室)である。
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開業は1944年(昭和19年)7月1日。
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しかし、2017年3月4日に廃止され、信号場に格下げされてしまった。
ホームなどはすべて撤去されている。
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電話は信号場の施設として残されたのだろう。
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現役時代は2面2線の相対式ホームであった。
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2011~15年の1日平均乗降人員は10人以下だったという。
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1986年11月1日に無人化されていた。
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駅の反対側に家屋があったが、遠目に見る限り廃墟である。
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1991年12月24日に改築された駅舎というわりには、かなり古い印象だ。
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見学中、ちょうど特急スーパー北斗10号函館行きが通過していった。
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さよ~なら~
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では、次の駅へ移動しましょう。
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この先は八雲駅まで撮影済みなので、食事のできそうな店を沿道に探しながら南下。
適当なところが見つからないまま、山崎駅まで来てしまった。
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この駅の前にログハウス風のレストランがあることは知っていたので、そこに入ってみることにした。
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幸い、営業中であった。
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でも、よく見ると、ログハウスではなく、普通の板張りであった。
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お店の名前はキッチンアウル。アウルがowlだとしたら、フクロウのことだ。
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ここは焼きスパゲティが売りのようなので、焼カレースパなるものを注文した。
どんなものが出てくるのか。
待つ間、道新を読んだり、道路地図帳で今後のルートを確認したりしていたが、お客さんが私より先に2組入っていたこともあり、随分待たされた。
ちなみに、私の大学の同窓生で檜山振興局長になった方がおり、その人の記者会見の記事が道新に載っていた。
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40分近く経って、やっと出てきた。
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想像していたものとは全く違った。
スパゲティの上にカレーをかけ、チーズをのせてオーブンで焼いたものだった。
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新鮮な味で、わりと美味しかったが、同じ味のものを食べ続けるには量が多すぎた。
でも、残さず食べて、ごちそうさま。値段は確か900円だったはず。

食後は八雲町役場を撮影すべく、国道5号から市街地に入る。
函館本線の踏切でつかまったら、前の車のナンバーがちょうど1000番だった。
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列車は長万部行きだろうか。さよ~なら~
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八雲町役場は「標札」の立派さのわりに小さく地味だった。
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そもそも正面玄関が裏口のようなのである。
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わりと古い庁舎なのだろう。
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庁舎の前には、旧尾張藩主徳川慶勝公の命により、明治11年(1878年)に八雲の開拓が始まったことを伝える石碑が立てられていた。
「我八雲この所より開かる」
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この地を「八雲」と名付けたのは慶勝公だそうである。
出典は「古事記」で、須佐之男命が出雲国須賀で、新婚の宮を造った時に詠んだ歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」にちなむとされている。
その歌碑が、役場の敷地内に立つ。
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慶勝公がこの地が豊かな郷を作り、平和な家庭を築こうという願いを込めたものだと考えられているそうだ。
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このほか、町内の牛乳生産五万石の達成(1962年)を記念した乳牛の像もあった。
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なんかかわいい。
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八雲町のマンホールはちょっと他とは違って、グローバルさを感じさせるデザインだ。
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では、駅舎めぐりを再開。
八雲駅のひとつ函館寄りの駅である山越駅へ。
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駅前に「山越停車場」という看板が掲げられている。
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駅前ロータリーの植え込みが味わい深い。
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イチイだろうか。
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この樹木の前の案内板には駅のことではなく、「山越内関所」のことが書かれていた。
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蝦夷地は寛政十一年(1799年)に幕府の直轄地になり、道南に多くの和人が住むようになったことから、享和元年(1801年)、箱館にあった関所をこの地に移したのだそうだ。
当時、日本最北の関所だった。

駅舎は1989年に改築されたものだが、完全に関所をイメージしたものになっている。
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その3年前、1986年11月1日から無人駅である。
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待合室に山越内関所の復元模型が展示されていた。
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かなり精巧に作られている。
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壁に掲示されているのは、関所の絵図。
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ホームに出てみた。
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2面3線の複合型ホームだったようだが、真ん中の線路が撤去されている。
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駅名は所在地の地名によるが、語源はアイヌ語の「ヤムクシナイ(栗〔を拾うために〕通行する川)」、または「ヤムウシナイ(同)」、「ヤムウクウシナイ(栗を採る・いつもする沢)」などの諸説があるという。
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1903年(明治36年)11月3日、「山越内駅」として開業。
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翌年10月15日に、「山越駅」に変更された。
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見学中、今度は貨物列車がやってきた。
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コンテナがときどき櫛の歯が抜けたようなところもあったが、長大な編成であった。
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ホームの端っこの方はイタドリが猛烈な勢いで繁茂していた。
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2011~15年の乗降人員は1日平均10人以下とのこと。
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廃止にはならないだろうが、かなり厳しい数字である。
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なぜ、こちらのレールを撤去して、相対式ホームにしなかったのか不思議だ。
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この島式ホームも長大で幅が広い。賑やかかりし頃の名残なのだろう。
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線路脇にはマーガレットが咲き乱れていた。
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上下稜線ホームへの連絡は構内踏切で行う。
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ここは関所ではないのだが、どうしてもそういう位置付けにしたいらしい。
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駅前はすぐ国道5号線である。
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国道を走っているのは函館バス。
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バス停も関所風だった。
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駅の数百㍍函館寄りにまたまた関所風の施設があった。山越中央会館だ。
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このあたりが、かつて関所があった場所のようだ。
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中央会館の南に諏訪神社の参道がある。
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本殿は線路の反対側。
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なので、参拝するには跨線橋を越えていかなくてはならない。
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今回は時間の都合により、パスさせてもらった。
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鳥居のかたわらに、「山越内関所之跡」の碑があった。
文久元年(1861年)に関所は廃止されて、通行は自由になったそうだ。
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碑の手前に夜泣き石。
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この石は罪人を斬る際に腰掛けさせていた石で、夜のなると石の下からしくしく泣く声が聞こえてきたという伝説があるという。
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関所が置かれる前から、ここには幕府の会所があり、当時の井戸が残されていた。
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ここは関所が廃止されるまで、蝦夷地と和人地の境界だったわけだ。
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もともと、当地は「ヤムクシュナイ」と呼ばれていたが、「山越内」という漢字を当てたことで「ヤマコシナイ」と言われるようになったという。
「内」が取れて、「山越」になったのは昭和31年(1956年)のことらしい。
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(つづく)
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1905根室本線(下)

【2019年5月2日(木)】根室本線
2泊3日の日高・十勝の旅の最終日は、根室本線の駅舎めぐりをしている。
ただ今、幕別駅を見学中。
ここも間口の広い駅で、写真が撮りにくい。前に障害物があると、なおさらだ。
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幕別はパークゴルフの町なので、それらしき彫像が駅前に設置されていた。
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タイトルは「和の里」。
「十勝大平原に憩いパークゴルフで微笑む一家の永久に幸せを願う里の象徴」だそうだ。
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日本語もちょっとおかしいし、意味が分かるようで分からない。
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幕別町は忠類村と合併したので、南北に細長い。
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この建物は駅の隣にある幕別パークプラザ。
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駅前に幕別大通。
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通りに面して、カシマ写真と幕別町農協。
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駅周辺を押さえたところで、待合室を見学。
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ここは業務委託駅だが、休日につき、窓口が閉まっていた。
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お陰様でホームの見学もできる。
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幕別駅は1905年(明治38年)10月21日、止若(やむわっか)駅として開業。
1963年(昭和38年)11月1日、幕別駅に改称された。
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駅名改称にあたり、天北線にも「幕別」があったことから、まず天北線の「幕別」を「恵北」に改め、その1か月後に「止若」を「幕別」に変更したという。
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構造的には、2面3線の単式・島式複合ホームである。
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幕別町は「パークゴルフ発祥の地」だそうだが、今や高木菜那・美帆姉妹の故郷と言った方が通りがいいかもしれない。
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基本的に上下線とも駅舎側の1番線を使用する。
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待合室を通らず直接構外に出られる臨時改札のような施設もあった。
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では、跨線橋を通って、2、3番線に行ってみよう。
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跨線橋の壁はすっきりシンプル。
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跨線橋から駅舎を望む。
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ぱらぱらと人々がホームに出てきたということは、そろそろ列車が到着するのだろう。
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駅の裏側はパークゴルフ場になっている。
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2番線(左)と3番線。
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交換および追抜き待避をする場合のみ、2番線や3番線を使用するのだそうだ。
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この跨線橋が設置されたのは1951年(昭和26年)7月。
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再び待合室に戻ってくると、ほとんど人がいなくなっていた。
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駅に連絡しているのは十勝バスと町営バス。
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列車の音が聞こえてきたので、あわててホームに駆け込む。
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帯広行きの普通列車だった。
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1両編成である。
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浦幌発の列車だった。
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全員、乗車を完了し
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9:17に発車。
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列車を見送り、次の稲士別駅跡へ向かう。
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15分ほどで到着。近くの踏切脇に車を停めたら、今度は特急列車がやってきた。
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札幌発釧路行きのスーパーおおぞら1号である。
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あっという間に走り去っていった。
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で、駅の跡なのだが、痕跡がよく分からず、なかなか場所を特定できない。
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踏切名は「幕別町東14号」となっており、ちょっと離れているのか。
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このお宅が駅前民家のように見えたが、駅は線路の反対側にあったはずなので、ちょっと違う。
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さっき、ここに来るとき、道路脇に入るアスファルトの突起のようなものがあったが、きっとそこかもしれない。
戻ってみたら、それらしき空間が確かにあった。
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稲士別駅は2017年3月4日に廃止されたが、現役時代はこんな待合室があったようだ。
240px-稲士別駅(ウィキペディアより)

ホームなどは跡形もなく撤去されている。
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廃止前5年間の1日平均乗降人員は1人以下だったという。
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信号場などとして第二の人生がない限り、JR北海道による撤去は誠に素早い。
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安全性を考慮してのことなのだろう。

駅前近くにあった集合住宅。
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次は札内駅。知らぬ間に気温は17℃近くまで上がっていた。
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ナビに頼っていたら、駅の反対側に案内されてしまったので、アーチ状の覆いが設置された歩道橋で正面へ移動する。
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これは駅前(駅裏?)倉庫。
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温室効果で中は暑いくらい。
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窓から1枚だけパチリ。
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駅前に出た。
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札内駅の駅舎はちょっと風変わりなデザインである。
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待合室に入る前に駅前通りをひと通り確認。
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真ん前に札内農協金融店が堂々と立っていた。
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奥の方には農協の生産資材店舗も見えた。
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幕別町のマンホール。
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ウッドペッカーとはキツツキのこと。ここではクマゲラを指しているらしい。
クマゲラはパークゴルフのマスコットという位置付けで、町の鳥というわけではない。

その無色バージョン。クマゲラが幾何学模様のようで、ちょっと分かりにくい。
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この地図を見ると、線路を基準にした道路と国道を基準にした道路が混在しているのが分かる。
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駅舎の釧路側の風景。
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札内駅は幕別駅に遅れること5年、1910年(明治43年)1月7日に開業した。
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現在の駅舎は1974年(昭和49年)12月5日に改築されたものである。
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ファサードのせり出しが格好いい。
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ここも業務委託駅だが
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休日のため窓口はお休み。
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なので、ホームも見学。
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すぐ裏にある農協の馬鈴薯倉庫(集荷貯蔵所)もよく見える。
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今度は上りの特急列車がやってきた。
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釧路発札幌行きの特急スーパーおおぞら4号である。
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札内の地名は、アイヌ語の「オ・サッ・ナイ」(川尻のかれている川)」に由来する。
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札内川が増水するごとに流れを変え、水が減ると一帯が河原となることにちなむらしい。
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2面2線の相対式ホームである。
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こうして見ると、駅名表示がかなりしつこい。
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特急等の通過列車は上下とも2番線を使用、普通列車は原則上下とも1番線に停車する。
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ということは2番線に乗降する人はほとんどいないということになる。
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それでも一応、構内踏切で行き来はできるようになっている。
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2番線から見た駅舎。
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かつては他にもレールはあったようだ。
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というわけで、待合室に戻ってきた。
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時刻表を確認してから退去。
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これにて本日のミッションは終了。まだ10時前だが札幌に帰ることにする。
こちらは帯広市内で発見した十勝農事試作場跡の案内板(信号待ちの時に車内から撮影)。
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音更帯広ICから道東道に乗り、一路西へ。
途中、占冠PAで休憩。
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さすがにGWだけあって、いろんな店が出ていた。
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エゾシカ肉のハンバーガー「馬鹿バーガー」が600円!
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改元記念で、あまおうソフトが100円引きだった。
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施設内に、南を上にしためずらしい地図を発見。道内の高速道路の概略を示してある。
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十勝エリアを拡大。知らないうちに、帯広・広尾道が大樹まで伸びていた。
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裏の方には、ひっそりと「ハイウエイガーデン」が整備されていた。
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まだ、チューリップがちらほらと咲き始めたばかり。これからが楽しみだ。
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ガソリンは音更で高速に乗る前に入れたので大丈夫。
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おやつにザンギを買って、運転再開。

千歳が近づいてくると、正面に札幌近郊の山々のスカイラインが見えてきた。
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少し引いてみると、こんなふうに名山が並んで見えるのを知って感激した。
左端が定山渓天狗岳、その右の小さな突起が神威岳、そのすぐ右が烏帽子岳、写真中央の双耳峰が百松沢山である。

13時過ぎに、札幌市内に入った。
お昼は清田のひこま豚食堂で食べることにした。
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しかし人気店だけあって、30分ほど車内で待つことに。

いわゆる無菌豚のお店だが、それほどバカ高いわけではない。
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オーダーしたのは、定番の豚丼。
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とろとろのゆで卵と混ぜて食べると絶品だった。

食後、秀岳荘白石店にも寄ったが、なんかセールをやっているのか、駐車場に入れない車が並んでいるくらいだったので、断念した。
帰宅したのは15時前くらいだった。
今日で連続温泉記録はついえたが、行ったことのないところをあれこれ行けて、楽しい旅だった。
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1905根室本線(上)

【2019年5月2日(木)】根室本線
道の駅忠類の夜が明けた。
よく寝た、よく寝た。もう6時だから、9時間も寝てしまった。
ガスがかかっているが、これは朝霧だろう。
陽が高くなるにつれて晴れてくるに違いない。
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トイレを済ませて、さっそく朝食。
昨日、近くのセコマで買っておいたパンを車内でいただく。
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なんと牛乳のチコパックが売り切れで豆乳にせざるを得なかった。

朝食後は朝のお勤め。
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マンホールは当然ナウマン象だった。
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7:20頃に出発。まずは保存されている旧広尾線の忠類駅に立ち寄った。
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ここには、ちょうど10年前の夏に来たことがあるのだが、当時と全く変わっていなかった。
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忠類駅は昭和5年(1930年)10月10日の開業。
昭和62年(1987年)2月1日、57年にわたる歴史に幕を閉じた。
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寂しげな駅前通り。
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駅舎は鉄道資料館になっているが、まだ閉館期間中だった。GWなのに。
まあ、この時間ではいずれにしても開いていなかっただろうけど。
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この駅舎はホーム側から見た方が、現役時代の雰囲気を感じ取ることができる。
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駅舎の裏には線路が残されており、かつての車両も展示されていた。
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移設保存されている踏切。
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安易に再開発しないで、こういう形で残してくれると鉄道ファンにはとてもうれしい。
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しかし、通常は町の一等地だけに遊ばせておくわけにもいかないのだろう。
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せめて石碑などモニュメント程度は記念に残しておいてほしいものだ。
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広尾線には大学時代に1度だけ乗ったことがある。
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1983年の夏だったので、もう36年も前のことだ。
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廃止から32年が経過し、ホームが倒れかかっている。
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安全確保のため周囲には柵が巡らされていた。
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忠類という地名は、アイヌ語の「チウ・ルイ・トープツ」(流れの速い川)に由来する。
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う~、たまりません。
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残しておいてくれてありがとう。
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中もちゃんと見学したいが
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固く閉じられているので窓越しに撮るしかなかった。
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壁には2年間の無事故を讃える表彰状が飾られていた。
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また来る機会はあるだろうか。私の人生も残り少なくなりつつあるからなあ。
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それでは、さようなら。
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この後は根室本線の駅舎で未撮影となっている池田~帯広間の駅を一つ一つつぶしてく。
最初の駅である利別駅に向かう途中、忠類村の市街地を見下ろせる丸山(271m)に登ってみた。
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登ったと言っても、この山には頂上まで車で行けてしまうので、運んでもらった形だ。
頂上には、NHKの中継施設があった。
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石碑だけの丸山神社。
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大正2年(1913年)の建立とある。
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足元には四等三角点がひっそり。
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展望台の下に秋の眺望写真パネルが設置されていた。
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街を貫く国道236号線と奥には日高山脈もよく見える。
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さて、今日もこんなふうに見えるでしょうか。
さっそく展望台に登ってみた。雲が多いが、見事に晴れ上がった。
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季節は違うが、ほぼ写真パネルと同じだ。
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中心街。奥に道の駅が見える。
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南東の方角。
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東の方角。
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あの白い霞の向こうが太平洋である。
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名も知らぬ山。
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南西の方角。
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十勝らしい農場風景が広がる。
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山頂には、かわいい桜が咲いていた。
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何桜かは、ちょっと分からない。
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なんと同時にツツジも。
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では、下山開始。
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道道15号を北上し、1時間近くかかって利別駅に到着。
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間口の広い駅である。
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利別駅は1904年(明治37年)12月15日、北海道官設鉄道の駅として開業した。
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利別駅周辺は利別川の河川改修に伴い線路の付け替え及び駅舎の移動が行われており、現在の駅舎は1967年(昭和42年)に600m帯広側に新設されたものだ。
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1984年(昭和59年)2月1日には無人化されている。
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このお知らせは、「JR北海道」のところが上書きになっている。
国鉄時代から掲示されているものなのかもしれない。
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年間どのくらいのお客さんが利用しているのだろうか。
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1日上り13本、下り14本が運行しているが。
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ホームに出てみよう。
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懐かしい改札。ここに駅員が立っていた時代もあったのだ。
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1面2線の島式ホームである。
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なので、ホームに行くには構内踏切を渡らなければならない。
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きれいな踏切だ。
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「利別」という地名はアイヌ語の「トゥㇱペッ」(綱・川)に由来するとされる。
ただ、なぜ「綱」なのかには諸説あり、かつて釧路アイヌと十勝アイヌの境界争いに際し、十勝アイヌが河口に綱を張って釧路アイヌを通さなかったから、という説や、蛇が多くいる、あるいは蛇のような川を意味しているという説があるらしい。
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帯広方面。跨線橋はホームに通じるものではなく線路で隔てられた両側を結ぶものだ。
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北に横たわるのはフンベ山(170m)。
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いくつも並ぶホーローの駅名標がほほえましい。
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こちらも昔懐かしいホーロー製。
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ホームはわりと幅広かった。
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1944年(昭和19年)には、帯広緑ヶ丘飛行場(旧帯広空港)から陸軍第1飛行師団の修理工場が近くに疎開して第6野戦航空修理廠が設置されており、そこへ通じる軍用線が敷設されていた。
ちょうど跨線橋からフンベ山方面である。
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必要以上に広い駅前通り。街はずれに駅が移動したのに伴い整備されたのだろう。
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一応、レンガで化粧もされていた。
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それでは、さようなら。
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次は幕別駅だが、その途中にあった十勝川温泉への案内看板。
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幕別駅には10分で到着。
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駅前には立派な石造りの倉庫があった。
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となりの「さつない」だけ真新しいのは、稲士別駅が廃止されてしまったからだ。
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ブルーの跨線橋がまぶしい。
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車を駐車場に停めて、横から攻める。
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駅前通りは再開発されているようだ。
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この駅舎は1957年(昭和32年)12月6日に改築されたものと思われる。
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三角帽子の時計が愛らしかった。
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(つづく)

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