山と鉄

山歩き、乗り鉄、廃線・廃道歩き、廃村歩き、駅舎探訪などの日々を記録します

根室本線2(下)

【2017年8月7日(月)】根室本線
JR根室本線東鹿越駅の待合室にはどなたが置いたのか、あめ玉のサービスがあった。
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古本も用意されている。
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なぜか蝶々の標本も。
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そして、かなやま湖で釣れたイトウの魚拓。
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近所にあまり住民もいないようだし、廃止になったら再利用も難しいのかなあ。
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駅前のバス停は町営のデマンドバス用。
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真ん前が、かなやま湖だった。
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それでは、東鹿越駅よ、さらば。
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次の幾寅駅に着くと、駅前でお祭りが開かれていた。
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そのせいで駅舎の前に車がたくさん。タイミングが悪かった。
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幾寅駅なのに、「幌舞駅」と駅名板がかかっている。
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そうか、ここは映画「鉄道員(ぽっぽや)」で「幌舞駅」としてロケが行われた駅だった。
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本当の駅名は建物の端っこに小さく書かれている。
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まわりには、観光用にロケセットがいくつか残されていた。
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だるま食堂。
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ひらた理容店。
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車両も保存されていた。
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北紡毛糸は本物のようだ。
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北海道の駅は軒並み、風情のない駅に建て替えられているので、ここが数少ない木造駅舎として選ばれたのだろう。
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それにしても、よくそれらしく作ったものだ。
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映画は高倉健の主演で1999年に公開された。
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私も見たが、なかなかよかった。
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このトイレはセットなので使用禁止。
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幾寅駅は1902年(明治35年)12月6日、金山駅と同様、北海道官設鉄道十勝線の駅として開業した。
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2012年時点の1日平均乗降客数は114人。わりと多い。
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今は、この駅をはさんだ東鹿越~新得間で代行バスが運行されているので、列車の姿を見ることはない。
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JR北海道は、富良野~新得間を、廃止を含めた見直し検討区間にしているので、おそらく災害復旧をするつもりはないのだろう。DSC_7106_201709151933281be.jpg

内心は、このままバス転換になだれ込みたいところに違いない。
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ただ、この駅は「観光地」になっているので、取り壊されることはほろまい。いや、あるまい。
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個人的にはレールも残しておいてほしいのだが。
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北海道に転居して、まだ数か月ちょっとしか経っていないが、不在にしていた36年の間の変化は恐るべきものがある。
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地方の人口減少のすさまじさである。
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至るところで、学校、商店、ガソリンスタンド・・・様々なものが猛烈な速さで閉鎖されている。
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こればかりは止めようがない。
そしてそれは鉄道も例外ではないのだ。
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「鉄道員」公開から、間もなく20年。
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当初こそ観光客が押し寄せたのかもしれないが、おそらく今は地元が潤うほどのお客さんは来てくれていないだろう。
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私には、せめて1回乗ることと、記録に残すくらいのことしか、もはやできない。

悲しい思いを胸に、今宵の宿泊地に向かう。
糠平湖の北にあるタウシュベツ川橋梁を訪ねることも今回の旅の目的の一つなので、なるべく近づいておきたい。
ただ、橋梁見学だけだと時間を持て余してしまうので、午前中はお隣、然別湖の南岸にある白雲山(1186m)に登ることにした。
近くに道の駅はないか、と道路地図を広げて探してみたら、あるじゃないか。
然別湖のちょうど入口にあたる鹿追町瓜幕地区に「道の駅うりまく」があった。
「宿」はここに決定。
すると、必然的に入浴は新得町の屈足温泉ということになった。
これも地図で見つけた温泉で、初めて聞く温泉だった。
読み方は「くったり」である。「ぐったり」ではない。

屈足温泉に行くには国道38号で狩勝峠を越えることになる。
狩勝峠を通るのは、いつ以来のことだろうか。
日没後に狩勝峠(644m)に着いてみると、ドライブインの「天望閣あくつ」がシャッターを下ろしている。すでに廃業しているようだ。
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道東道ができてから、ここを通る車はおそらく激減したことだろう。

ちなみにここは新日本八景の一つ。
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石狩側に見えたのは椎空知山(しいそらちやま、943m)かしら。
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地形図などに「稚空知山」とあるのは誤記のようだ。

ここから帯広までは59km。
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国道を挟んで反対側に展望台があるので行ってみた。
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ここを新日本八景に入選させることに尽力した坂井辰吉氏の顕彰碑が立っていた。
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新日本八景とは、1927年(昭和2年)に当時の大阪毎日新聞と東京日日新聞が募ったもので、狩勝峠は平原部門で選ばれた。
ちなみに、ほかの7景も紹介しておこう。
海岸部門:室戸岬(高知県)、湖沼部門:十和田湖(青森、秋田県)、山岳部門:雲仙岳(長崎県)、河川部門:木曽川(愛知県)、瀑布部門:華厳の滝(栃木県)、温泉部門:別府温泉
当時の国民の関心は高く、投票総数は当時の人口の1.5倍にあたる約9300万通に及んだという。
相当な組織票があったに違いない。
そうそう、坂井翁は当時、帯広商工会副会頭だった方だ。

顕彰碑の隣には「十勝小唄」の歌碑があった。
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十勝毎日新聞社の創業者、林豊洲の作詞だそうだ。

そのさらに隣が、狩勝峠の堂々たる看板。
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十勝側に見えているのは前佐幌岳だろうか。
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一応、パノラマ案内板があったが、ちょっと分かりにくかった。
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駐車場に停めておいた車に戻り、ここで晩ご飯にする。
もう、ろくな食堂はないだろうと判断し、さっきコンビニで弁当を買っておいたのだ。
食べているうちに、みるみるガスが濃くなり、視界が数十mくらいになってしまった。
北海道の峠のガスは猛烈に濃い。
子どもの頃、日勝峠で経験したガスは本当に前の車のテールランプが頼りで、親父も「前の車が落ちたら、こっちも落ちる」と怖いことを言っていた。

食後、とにかくゆっくりと狩勝峠を下り、「湯宿くったり温泉レイクイン」に着いたのは、あたりも真っ暗になった午後7時半。
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ソフトクリームとのセット券が安かったが、すでにソフトクリームの販売は終了しているとのことで断念。でも入浴料は480円と安かった。
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弱食塩泉で源泉の温度は30℃。
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今日は車から出たり入ったりして、随分汗をかいたので、本当にさっぱりした。

8:15に出発。8時半には「道の駅うりまく」に到着した。
車中泊と思しき車も数台あった。
寝る前に、この日の写真を整理したりしたかったのだが、パソコンを開いた途端、猛烈に眠くなり、何もできなかった。
10時前には寝てしまった気がする。

(おわり)
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根室本線2(上)

【2017年8月7日(月)】根室本線
国鉄富内線の日高町駅跡から、JR石勝線占冠駅に向かう。
その前に、日高神社を遠巻きに参拝。
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占冠までの国道237号線は「日高さくらロード」の愛称で呼ばれているようだ。
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日高峠(500m)を超えて上川管内占冠村に入る。
間もなく、廃校のグランドらしきものが見えてきた。
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占冠村立双珠別小学校の跡だった。
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同校は1908年(明治41年)9月に双珠別教育所として開校。1997年3月に閉校となった。
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現在は、研修施設「双民館」として再利用されている。
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「道の駅自然体験しむかっぷ」でトイレに寄り、午後4時半過ぎに占冠駅に到着。
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石勝線の駅なのに、「根室本線」の項に入れて、すいません。
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この駅は石勝線の開通(1981年10月1日)と同時に開業した。
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その翌年の夏、東京から帰省した時にここを訪ねている。すごい雨の日だった。
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占冠駅は特急列車しか停まらない珍しい駅である。
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石勝線の新夕張~新得間は普通列車が運行されていないのだから仕方がない。
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2016年3月に石北線の奥白滝、旧白滝、下白滝の3駅が廃止されるまでは、新夕張~占冠間の34.3kmが在来線の駅間距離としては最長だった。
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現在は石北線の上川~白滝間の37.3kmが最長である。
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「しむかっぷ」の名の由来は、アイヌ語の「シモカプ」(静かで平和な川の上流)と言われるが、諸説あるようだ。
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人口わずか1200人の小さな村の駅としては信じられないほど長大なホームだ。
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占冠の人口は石勝線の開通後、トマムリゾートのオープンなどにより1000人以上増えて1990年には2700人を超えたが、今は減少の一途をたどっている。
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かつては駅構内に大阪屋食堂があり、駅弁も販売されていたが、今は撤退している。
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2014年時点の1日乗降客数はわずか14人で、現在は簡易委託駅になっている。
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駅前に占冠村物産館があった。
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営業時間は17時までと書かれていたが、まだ16時半すぎなのに営業は終わっていた。

国道237号をそのまま北上、金山峠(490m)を越えて南富良野町の金山地区に入った。
右手の学校グランドに「113年間ありがとう」の文字を発見。
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南富良野町立金山小学校である。
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2016年3月に閉校したばかりだった。
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北海道を回っていると、こういうところばかりだ。
「廃」のつくものは嫌いどころか好きなのだが、これだけ多いとさすがに気が滅入ってくる。
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気をとり直して、根室本線金山駅へ。
駅舎に着くと同時に列車がやってきたので、あわてて車から飛び出し、カメラを構えた。
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ちゃんと乗降客がいた。
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でも、2012年時点での1日平均乗客数はたった15人だそうだ。
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金山駅は1900年(明治33年)12月2日、北海道官設鉄道十勝線の駅として開業した。
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現在、次の駅の東鹿越から落合までの区間は昨年の台風の被害のため運行不能となっており、代替バスが運行している
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つまりこの列車は東鹿越行きだ。
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この方はここですれ違う予定の17:18発滝川行きを待っているようだ。
ザックが置かれているので、夕張岳に登ってきたものと思われる。
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私は今日はテツなので雑念を振り払い、駅構内撮影に専念する。
この赤レンガは危険物倉庫。
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あれれ、行き違い列車が着かないうちに、下り列車が行ってしまった。
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そうか、17:18発は「運行日注意」だったので、この日はなかったのか。
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となると、あの方は今の列車の折り返しに乗ることになるのだろう。
次は17:51発富良野行きだから、あと30分以上待たなければならない。
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ディーゼルエンジン音も消え、ホームには静寂が訪れた。
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金山という駅は名古屋にもあるが、大都会のあちらとは大違いだ。
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これが駅舎。紹介が遅くなりました。
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「金山駅」の文字がどこにもない。
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隣接して建つのは、金山保線区の建物らしい。もう現役ではないように見える。
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待合室。
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無人駅なので、もちろん窓口は閉鎖されている。
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「全中部北海道ナンバーワン入選」という北海タイムス社贈の鏡があったが、何の賞なのかは不明。
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駅前にバス停があった。民間ではなく町営で、しかもデマンド方式の運行だ。
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「フルムーン」をPRする手書きの看板。とてもJRになってからのシロモノとは思えないほどレトロだ。
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では、金さん、さようなら。
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次の東鹿越駅に行く前に、かなやま湖に立ち寄った。
展望台に、山名林蔵(1898~1973年)なる方の歌碑があった。
香川県の出身で、南富良野村の村会議員や教育委員長を務めた方のようだ。
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「この谷の底ひに冷ゆる陽のいろの青白くしてこぶし咲くなり」

かつてはダム湖がどこも賑やかな観光地だった時代があった。今は一部を除いて見向きもされない。
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金山ダムは高さ57mの中空重力式コンクリートダム。
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1967年(昭和42年)に完成した。
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このダムの建設により、根室本線13km、集落約300戸が水没したという。
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ダム湖の広さは9.2平方km。
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財団法人ダム水源地環境整備センターが選定するダム湖百選に選ばれている。
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展望台があちこちにあったが、「駐車公園」という名称は珍しい。
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このトイレは鉄道車両を再利用したものなのだろうか。
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湖畔の道路でキタキツネを発見。でもエサをねだってきたわけではなかった。
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湖畔にある一大レジャー施設「かなやま湖森林公園」の入口。
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保養センターでは日帰り入浴もできるようだ。
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トラス橋の鹿越大橋で、かなやま湖を渡る。
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対岸に石灰石を採掘している鹿越鉱山が見えた。
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東鹿越駅手前の線路。
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東鹿越駅ホームの向こうにそびえるのは、おそらく二ノ山(791m)。
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改めて、東鹿越駅へ。
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もう午後6時近いので蛍光灯が灯っていた。
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当駅は1941年(昭和16年)12月29日、国鉄の東鹿越信号所として開設された。
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JR北海道は2016年6月、翌年3月のダイヤ改正に合わせて廃止する意向を地元に伝えていたが、8月の台風被害で東鹿越~落合間が不通となって、この駅が滝川駅からの暫定的な終着駅になったこともあり、とりあえず存続している状態だ。
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現在、代替バスは東鹿越~新得間で運行されている。
つまり運行可能な落合~新得間も鉄道はお休みしていることになっている。
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ホームには鹿越鉱山で採掘されたものと思われる石灰岩がオブジェとして設置されていた。
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かつては、ここから日鉄鉱業東鹿越鉱業所と王子木材緑化鹿越鉱業所に通じる専用線が存在していたそうだ。
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2011年からの5年間の1日平均乗降客数は1人以下だというが、どなたが掃除しているのか、わりときれいな駅だ。
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これは駅名標ではないようだが、ほとんど判読不能。
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貨物の取り扱いがあった頃の名残か、ホームが長大だ。
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駅が廃止になったら、駅舎は取り壊しだろうか。
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いや、富良野~新得間自体が廃止検討対象になっており、線路そのものが危ない。
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この「踏切」を渡ったのも、今日は私1人なのかもしれない。
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(つづく)
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室蘭本線・石勝線(下)

【2017年8月7日(月)】室蘭本線・石勝線
石勝線夕張支線の清水沢駅を見学している。
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待合室で写真展が開かれていた。これは1977年の写真。
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「清水沢駅の思い出展」という手作りの展示だ。
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1982年でも、まだこの賑わい。炭山祭のスナップである。
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同じ年の商店街。
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キハ22形気動車(1977年3月)。
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清水沢鉱山の選炭機(1976年8月)。かつては、こんな風景だったんだなあ。
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先代の駅舎(1956年)。この年に今の駅舎に建て替えられたとのこと。
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1番ホームが現役だった頃の、ホームの階段(1970年元日)。
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それにしても、町というのは、こんなにも寂れてしまうものかと愕然としてしまった。
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次は鹿ノ谷駅。
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駅前には石造の倉庫らしきものが残る。
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淋し気な駅前通り。
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でも、夕張市のマンホールは元気に「バリバリゆうばり」。
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駅舎は、入口も改札口も開放されている。
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附属の建物の跡。
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私はマニアではないので、こういう施設が何なのかよく分からない。
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清水沢(南)方面。
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夕張(北)方面。
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鹿ノ谷駅は1901年(明治34年)12月1日に開業した。
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無人駅になったのは1984年(昭和59年)4月1日。
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歩道橋が線路をまたいでいる。
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1日の平均乗客数は1998年時点で47人。
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今はこの座席が全部埋まることなどないのだろう。
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今年の7月26日付の道新で、この駅が大きく紹介されていた。
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さっきの歩道橋に登ってみた。すき間からどんどん草が生えている。
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歩道橋から夕張方面を望む。
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夕張駅の写真は依然撮ってあるので、今回は省略。
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歩道橋から見た鹿ノ谷駅の駅舎。
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この駅には札幌の野幌を起点とする夕張鉄道が乗り入れていたが、1975年(昭和50年)に廃止されている。
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ここも廃線になったら取り壊されるのだろうか。
どうか何らかの活用方法を考えてほしい。
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夕張市なら、それができるはずだ。
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実は、鹿ノ谷駅と清水沢駅の間に夕張鉄道の若菜駅という駅があった。
新潮社の「日本鉄道旅行地図帳 乗りつぶしノート」を見ていたら、そのことに気づいたので、探してみることにした。
由仁方面に行く道が分岐するこのあたりが、ちょっと怪しいと感じ、車を停める。
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でも、線路を見ると、その面影は全くない。
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向かいには夕鉄バスのターミナルはあるのだが。
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少し車を走らせて、「街」らしいところまで来て、再び車を停めた。
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目の前に若菜交番がある。このあたりも匂う。
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道をはさんで、向かいには「ミュージックパブ・ルパン」。
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賑わいの痕跡。いい匂いだ。

その裏に珍しい3階建ての木造住宅。
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やや、この踏切の名前はなんと「若菜駅前通り踏切」ではないか!
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線路の周辺には駅舎の面影はないが
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ここで間違いなさそうだ。
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「若菜十番地」。記憶しておこうではないか。
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満足して、日高方面に向かう。
その前に石勝線開業に伴って廃止された国鉄夕張線登川支線の駅跡も確認しておきたい。
楓駅の場所ははっきりしなかったが、夕鉄バスの楓駅前というバス停は発見した。
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山腹には炭住らしき建物も見える。
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登川支線の楓駅跡は確認できなかったが
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石勝線の楓信号所は確認できた。
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その車止め。
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遠くにスノーシェッド。
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終点の登川駅跡も「登川」のバス停はあったが、駅跡は判然としない。
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やはり旧版地形図と突き合わせてみないと、ここだと断定できない。
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これは石勝線のスノーシェッドだが、その中に入っていく階段と扉があった。
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それにしても、こんなところにトイレが必要なのだろうか。
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少し車を走らせると、夕張市立登川小中学校の跡地を発見。
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登川小学校は開校が1913年(大正2年)だが、閉校は1986年だからもう随分前のことだ。
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中学校の閉校は翌1987年だった。

このまま国道274号、通称「石勝樹海ロード」を走る。
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旧富内線の駅跡も改めてすべて撮影したいが、通り道にある日高町駅跡だけは、とりあえず確認しておこう。
ただ、駅跡周辺にはほとんど痕跡がないので、なかなか分からない。
近所のおばちゃんに聞いて、やっとわかった。
なんと、ここだそうだ。しかし、ほんとかね。
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これは駅前通りの痕跡か。
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しかし、このあたりに駅があったとは全く想像できない。

そもそも駅周辺に商店などはなかったのだろか。
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廃止は1986年(昭和61年)11月1日だから、すでに30年以上経っているわけだが、これほど面影を残さない駅も珍しい。
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「国鉄富内線の跡」という石碑だけが、ひっそりと残されていた。
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日高町のマンホール。
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町のマスコットキャラクター「クルミちゃん」が両手でクルミを持っていた。

(つづく)
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室蘭本線・石勝線(中)

【2017年8月7日(月)】室蘭本線・石勝線
JR石勝線の駅舎をめぐっている。
こちらは滝ノ上駅。
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開業は1897年(明治30年)2月16日。
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1日の乗客数は1998年時点でわずか17人。
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かつては回りにあった集落もほとんどなくなってしまった。
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この線路を特急列車が頻繁に通過していくのだが。
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隣の十三里(とみさと)駅が廃止されてしまったので、駅名標が修正されている。
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帯広方向に見えるのは、石狩と日高を分ける境界の山々である。
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待合室は小ぎれいに清掃されている。
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列車は1日6往復。
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駅の向かいには、閉校となった夕張市立滝の上小学校の跡地があった。
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校庭の隅に、石碑がひっそりとたたずんでいる。
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かつての校門跡。2011年3月に閉校となったようだ。
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十三里駅跡と思われる場所に来てみた。
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1962年(昭和37年)12月25日に開業したが、2016年3月26日、東追分駅と同じ日に信号場になっている。
240px-十三里駅駅建物(かつての様子)

2009~14年までの6年間の1日平均乗降客数は0.4人だったそうだ。
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近くのスノーシェッド。
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国道274号を挟んで向かいには、メロン農家の小野農園があった。
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次の駅は新夕張駅。
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1981年(昭和56年)10月1日の石勝線開業に伴い、駅名が紅葉山から新夕張に変更された。
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バス停の名は「駅前集会所」ではなく「宮前集会所」。
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駅前に栗下食堂という店があったので迷わず入った。お腹が空いていたのだ。
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店に入って初めて知ったが、夕張はカレーそばが名物のようだ。
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そういうことなら、それを頼むしかない。
出てきたのは、大量のカレーが汁となった蕎麦だった。
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カレーは美味しかったが、蕎麦は手打ちではない感じだった。
それにしても熱くて汗だくになった。

夕張はもちろんメロンの町だ。
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新夕張駅前には「道の駅 夕張メロード」が展開していた。
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顔はめパネルかと思って駆け寄ったら、はめる穴がなく、肩すかし。
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せっかくなので、ひやかしてみよう。
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店内には、旧大夕張鉄道の「遺品」が展示されていた。
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スイーツで気になったのは阿部菓子補の「たんどら」。
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石炭をイメージした黒いどら焼きだ。
今、お昼を食べたばかりなので買わなかったが、ちょっと後悔。

それでは駅舎めぐりを再開。
石勝線の夕張支線に入って、最初の駅は沼ノ沢駅。
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向かいの藤屋商店はとっくに廃業している。
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駅に併設のレストラン「おーやま」も、もう営業していないようだ。
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沼ノ沢駅は1905年(明治38年)11月15日に北海道炭礦鉄道の貨物駅として開業。
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旅客営業を始めたのは5年後の1910年。
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「おーぬま」が駅の管理も行っていたはずなのだが。
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それでも、きれいな花が生けてあった。
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運行は1日5往復。
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線路の一部は埋め立てられ、花壇になっている。
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かつてこの駅から真谷地炭鉱に向けて北海道炭礦汽船の専用線が分岐していた。
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夕張方面。
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勾配は3.3‰。
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1日の乗客数は1998年時点で74人だったそうだ。
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夕張支線が廃止になったら、駅は取り壊されるのだろうか。
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夕張市の人口はピーク時には11万人を超えていたが、現在は8651人(2017年3月31日現在)
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市としては全国で2番目に人口が少ない都市になってしまった。
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もう十分、廃線の雰囲気を湛えている。
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待合室には、かつての清水沢駅の写真が貼ってあった。
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では、隣の南清水沢駅に移動。
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ここも猛烈な寂寥感が漂う。
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新夕張(南)方面。
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夕張(北)方面。
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南清水沢駅は1962年(昭和37年)12月25日、国鉄の駅として開業した。
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夕張市が最も栄えていた頃だ。
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近くに道立の夕張高校があるだけに、1日の乗客数は1998年時点で128人を数えていた。
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そういうこともあるからだろう、ここは無人駅ではなく、新夕張駅が管理する簡易委託駅になっている。
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でも夏休み期間中だからか、まだ午後1時半なのに、もう窓口の営業は終了していた。
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隣の駅は「みずさわ」ではなく、「しみずさわ」。
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近くに、スーパーフレッシュ市場店なるお店があったが、ここも廃業しているようだった。
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徒歩で3分ほどのところに夕張高校が見えた。
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次は清水沢駅。
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ここは1897年(明治30年)2月16日に開業した。
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駅前は、かつては随分賑やかだったことが伺える。
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今はもちろんシャッター街になっている。
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というか、見るも無惨な状態だ。
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それでも夕張は頑張っている。応援したいと思う。
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この駅からはかつて、三菱大夕張鉄道や北炭の石炭積み込み線など多数の路線が乗り入れており、国鉄が駅舎から最も離れた線路を使っていた。
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そのため、現在ホームから駅舎までが、ものすごく遠い。
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実に奇妙な状態になっている。
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駅舎のホーム側が階段状に低くなっているのも特徴的だ。
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ホームまで行ってみた。
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幅の広いホームに屋根付きの待合所がある。
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廃止になった三菱や北炭の線路跡はバラスで埋め立てられていた。
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駅名標の枠はさびてしまって真っ赤っか。
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名所案内の方は、なぜか真新しい。
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これは積雪を図る物差しかしら。
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歩道橋も草木に埋もれてしまいそうだった。
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歩道橋から見たホーム。
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よくよく見ると、この駅舎はかなり大きい。
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裏側の外観は正面と見まごうばかり。
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夕張方面。
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美しいカーブだ。
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商店街の中でも北側の方は、まだ現役のところが多かった。
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最後に問題。これを解読できますか?
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答えは「ファッションプラザ アキヤマ」でした。

(つづく)
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室蘭本線・石勝線(上)

【2017年8月7日(月)】室蘭本線・石勝線
この週は夏休みを取って、北海道内を放浪することにした。
10日(木)の夜に札幌で飲み会があるので、それまでには戻らねばならず、3泊4日の旅だ。
宿は取らず、決まった旅程も組まず、車中泊で気ままな旅に出る。
天気を見ながら、登山も間にはさむつもりだ。

初日はゆっくり、朝9時過ぎに出発した。
本日の主たる目的は、廃止が決まっている石勝線夕張支線の各駅訪問だ。
JR北海道は昨年11月に11路線13線区について「廃止」を含め見直しを検討する旨を発表しており、もたもたしていると記録に残す前に駅舎などが消滅してしまいかねない。
急がねばならないのだ。

でも、夕張に至る途中にある駅舎にも立ち寄りつつ行くことにした。
最初は室蘭本線の由仁駅である。
ちなみに室蘭本線の岩見沢~沼ノ端間も廃止検討区間である。

長沼経由で、ほぼ夕張鉄道跡に整備された道路をたどった。
途中、ヤリキレナイ川の看板があったので思わず止まって写真を撮った。
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以前、安居良基著『世界でもっとも阿呆な旅』(幻冬舎)で知った地名だ。
この本は、世界の珍地名の現地を訪ねるユニークな旅を収録した本だ。
例えば、アメリカの「オナラスカ」、アルゼンチンの「マルデアホ」など。
それはともかく、ヤリキレナイの語源については、「ヤンケ・ナイ」(魚のいない川)もしくは「イヤル・キナイ」(片割れの川)との説があるという。

10時半に由仁駅に到着。
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これは由仁町のマンホール。
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由仁町に来るのは、乗り鉄を除くと、自転車で夕張に行く途中に通った大学時代以来のような気がする。
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駅の東側に由仁町文化交流館があり、そこから立派な連絡橋で西側の駅舎に行くことができる。
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連絡橋(跨線橋)から苫小牧方面を望む。
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新しい駅舎。
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もともとは、マンサード屋根に水平な車寄せが付いたアメリカンスタイルの木造駅舎があったそうだ。
160px-由仁駅駅舎

それが2006年に取り壊され、翌年建設された由仁町ふれあい交流施設が駅舎代わりになっている。
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駅自体の開業は1892年(明治25年)8月1日。
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北海道炭礦鉄道の室蘭~岩見沢間開通と同時に開業した。
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現在の「駅舎」の愛称は「ポッポ館ゆに」。
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駅前にはロータリーっぽい広い空間になっていた。
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駅前通りはこんな雰囲気。
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駅を背にして右手に、駅前食堂の「食事処まるやま」が営業していた。
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正面左側には菓子店や文房具店など。
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タウンマップの上にはナウマンゾウ。化石が発見されたのかな。
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ここには中央バス(本社・小樽)と夕鉄バス(同・夕張)が乗り入れている。
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かわいい木造の模型。「Yu2」とは「由仁」のことなのだろう。
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由仁駅見学を終えて、次の駅、古山へ。「ふるやま」ではなく「ふるさん」だ。
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この駅舎は国鉄時代の1982年(昭和57年)に改築されたもの。
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古山駅は1943年(昭和18年)9月25日、古山信号場として設置された。
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駅に昇格したのは、3年後の1946年4月1日。
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変わった読み方なのは、近くを流れる「振寒(ふるさむ)川」からきているかららしい。
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「フル・サム」はアイヌ語で「丘のかたわら」を意味するそうだ。
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1992年度の1日乗降客数は48人とのことだから、それから四半世紀経った今は、その半分にも満たないのではないだろうか。
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待合室には木製のベンチが置かれていた。
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運行は1日7往復。岩見沢行きの最終は22:22だ。
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引き続いて、三川駅。古山駅とほとんど同じ形だ。
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駅前にあった加賀屋旅館。昔ながらの駅前旅館がまだ現役だ。
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こちらは駅前倉庫。
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線路脇に打ち捨てられたコンテナ。
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三川駅は、由仁駅より5年遅れて1897年(明治30年)2月16日に開業。
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1日の乗降客数は1992年段階で190人。
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「三川」の駅名は、当地が愛知県(旧三河国)からの入植者によって開拓されたからで
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「三河」のままにするのは、故国を汚す恐れがあるので避けたという。

駅前広場はなぜかこんなに広い。
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苫小牧方面。
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ホームには花壇があった。地域の人がお世話をしているのだろうか。
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線路沿いにはオオハンゴンソウが繁茂していた。
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駅舎のホーム側。
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こちらの待合室は、どこの駅にもあるベンチだった。
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「町」でもない「三川」に固有のマンホールがあった。
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ここで室蘭本線を離れ、石勝線の川端駅へ。
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こちらは駅前にきれいな花壇があった。
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川端駅は1894年(明治27年)8月1日の開業。
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駅舎を見学しようとしたら、いきなり特急スーパーとかちがやってきたので、あわててホームに走った。
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間一髪で間に合ったが、あっという間に走り去って行った。
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駅の両側にはスノーシェッドが設置されている。
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駅舎の横には、どこかのダムの模型の残骸が放置されていた。近くにある川端ダムだろうか。
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隣にあった東追分駅は2016年3月26日に旅客扱いを停止し、信号場になってしまった。
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従って、隣の駅は「追分」に訂正されている。
以前、夕張支線を乗り鉄した時、東追分駅での停車時間を利用して撮影しておいてよかった。

川端駅は2面3線の相対式・島式ホームを持つ。
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跨線橋から帯広方面を望む。
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廃線の雰囲気を醸し出す、さびついた車止め。
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駅の裏には、パークゴルフ場&レストハウス「ユニトピア川端」が廃虚となっていた。
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車両は、1988~95年に運転されていたSL列車、C62ニセコ号で使用されていたスハ43系客車だそうである。
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このパークゴルフ場が1998年に開業するにあたり、ここで第2、いや第3?の人生を送ることになった。
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しかし、2010年にオーナーの死去に伴い廃業したらしい。
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駅からの連絡通路は施錠されておらず、自由に行き来することができた。
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あちこち撮影していると、今度は11:36発の夕張行き普通列車がやってきた。
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到着したのは11:29。
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なので、7分停車していた。
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でも、その間に上り列車と行き違うわけでもなかった。
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定刻通り発車し、ゆっくりと遠ざかって行った。
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再び静寂が訪れた川端駅。
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乗降客はいなかった。
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駅の近くに、廃校になった由仁町立川端小中学校の跡地があったので寄ってみた。
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川端小学校は1899年(明治32年)、川端教育所として開設。
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2012年3月に閉校した。
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校舎もまだ新しいのだが。
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次の滝ノ上駅に行く途中、右手に赤レンガの立派な建物があった。
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1925年(大正14年)に旧北海道炭礦汽船(株)が自家用発電設備として建設した旧北炭滝の上発電所である。
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現在は北海道企業局の所有となっている。

お腹が空いたので国道274号線沿いにあった夕張市農協銘産センターに寄ってみた。
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夕張メロンが美味しそうだったが、食堂がないので、すぐに立ち去った。
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滝ノ上駅近くのスノーシェッドを経て
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間もなく、滝ノ上駅に着いた。
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(つづく)
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