【2015年5月9日(土)】医王山
見返りの大杉から小さなこぶを越えた先に凍結した池が出て来た。
龍神池だそうである。年中涸れることはないらしい。
うう、またしても雪渓が出現。
ずぶずぶしないだけありがたい。
北陸はこの時期、低山でもこんなに残雪があるんだなあ。
ササの葉も雪に埋まって、その重みで折りたたまれていたらしく、まだ折り目が残っている。
こちらにもショウジョウバカマ。
もう一度雪渓を越える。
最後の階段。
12:42、医王山の最高峰、奥医王山(939m)に到着。
ここも一等三角点だった。昨日に続いて縁起がいい。
木の上の方にも山名板が。
頂上直下には白山医王大権現の祠があったが、雪のせいだろうか、押しつぶされていた。
ここにも展望台があったので、登ってみた。
富山平野南部。
白兀山(896m)。
笈ヶ岳(1841m)方面。
ここでお昼にしようと思ったのだが、とうとう雨が落ちて来た。
展望台を屋根代わりにしようと思ったが、今度は虫がひどい。
やむなく避難することにした。
夕霧峠までは来た道を戻る。
再び龍神池。
帰りは、ゆっくり新緑を愛でる。
見返りの大杉まで戻って来た。
もう午後1時を回ったので、ここで遅めのお昼にする。湯涌温泉の商店で買ったパンだ。
幸い、雨も止んだようだ。
ツツジとエゾユズリハが印象的。
さっき歩いてきた稜線とこれから歩く林道が見える。
これはそのさらに下の方。
例の階段をとんとん下り、夕霧峠まで下りてきた。
ここからは林道歩き。
昨日まで雪があったかのような地面の様子。
フキノトウが芽吹いている。
縁石の傾きも豪雪のせい?
残雪の上に轍があるが、ここまで車が来られるのだろうか。
いや、やはり雪が道を覆っている。
さっきの轍は別の道から来た車だろう。ここは通れず引き返したはずだ。
と思ったら、なんと無理やり通っている。
これも突破したみたいだ。
おお、あちらから車がやって来た。
「この先無理ですか?」と運転手に聞かれたので、突破した車があったようだが、やはり危ないので、「無理ですねえ」と答えておいた。
しかし、通行止めのトラ柵くらい置けばいいのに。道路管理者は何をしているのか。
奥医王山の西斜面。
ネコヤナギにしては大きいが。
アセビの花。
タニウツギ。
これは何だっけ。
さっき登山道で通った「しがらくび」を通過。
ここから登山道へはすぐ。
めずらしく野鳥のつがいを捉えた。名前は分からない。
白骨樹と新緑。
というわけで、夕霧峠から45分ほどの林道歩きで西尾平に到着。
ゲートのところで山菜採りをしている人がいた。
これで今回の山行は終了。あまり天候には恵まれなかったが、骨折以来初めて雪の感触を味わい、久々の北陸の山を楽しめた。
日本300名山&新・花の百名山のようだし。
さて宿に戻ろう。
登山後、入浴だけさせてもらう約束をしていたのだ。
途中の見上峠。
宿にはそろそろ団体さんが到着する時間だったが、何とか間に合った。
急ぎ汗を流して、再び運転席に。
これから富山駅に向かうわけだが、指定をとってある新幹線にはまだ早い。
行ったことのない越中八尾にでも寄ろうか。
と言いつつ、散策ができるほど時間があるわけではない。
町並みを車に乗ったままのろのろと流し、JRの越中八尾駅に立ち寄る。
ここは「おわら風の盆」の町。混んでいる時はいやだが、いずれゆっくり訪ねてみたい。
旧八尾町のマンホール。町の木ツバキのデザイン。
17:45、富山駅前のレンタカー屋さんに車を返却。
18:12発のかがやき512号に乗車。
プリン体ゼロのビールと駅弁「富山湾」で車中打ち上げだ。
中身はこんな感じ。
おつまみになるおかずが多いのを選んだ。
デザートは甘金丹。仙台の「萩の月」によく似ている。
1泊2日の観光・山行を終え、夜10時すぎに帰宅。
ゆっくりする暇もなく、あすは早起きして御正体山に登らなければならない。
即沈没で翌日に備えた。
【行程】2015年5月9日(土)
西尾平(10:12)~前山(10:30)~しがらくぼ(10:37)~白はげ山(11:06撮影11:11)~蛇尾山(11:41休憩11:44)~夕霧峠(11:57撮影・休憩12:12)~見返りの大杉(12:22休憩12:26)~奥医王山(12:42撮影・休憩12:49)~見返りの大杉(13:05昼食13:22)~夕霧峠(13:28)~西尾平(14:15)
※所要時間:4時間3分(歩行時間:3時間12分)
※登った山:4座(前山、白兀山、蛇尾山、奥医王山)
※歩行距離:7.2km
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【2015年5月9日(土)】医王山
西尾平から登り始めて、しがらくびを通過した。
この渦巻風の葉っぱがたくさんあったのだが、何だろう。
ここから白兀山(しろはげやま、896m)までは標高差200m近い登り。結構きつい。
でも、相変わらず、いろんな花々が励ましてくれる。
オオカメノキ。
タムシバ。コブシによく似ている。
道はかなりえぐれているところもあった。
まだ雪が残っていて、びっくり。でも、実はこんなもんではなかった。
大池平への道を左に分けて直進。
まもなく見晴らしのいい場所に出た。
眼下には新緑の海が広がる。
その向こうには金沢平野と日本海。
左前方にこれから登る奥医王山(939m)。谷筋の残雪が美しい。
その右肩奥には笈ヶ岳(1841m)方面。
白兀山はもう目の前。
よく踏まれた道を進む。
左手にたっぷり残雪が。これがこの先、行く手を阻むことになるとはまだ知る由もない。
登り始めて1時間弱で、白兀山頂上。
ここに老夫婦が先客として休んでいた。
「どちらから?」と聞かれたので、「西尾平からです」と答える。
「西尾平? ビジターセンターの方かい?」
「いいえ、あっちです。前山の方」
と説明しても分からなかったようで、「きっとビジターセンターだよ」と旦那さんが奥さんに呟いていた。違うんだけどなあ。
ここには古い堂宇があったようだが、それが朽ちているのを憂えた金沢市内の菅野俊雄さんという方が有志とともに、この新たな堂宇を建てたとのことである。
その左には、もうひとつ小さな石仏があった。
展望台があったので登ってみた。
相変わらずの曇り空だが泣き出さないでくれているのでありがたい。
眺めはさっきの場所とさほど変わらない。
これはこの後通過する約920mのピーク。
タムシバとオオカメノキの白い花が鮮やかだ。
さあ、夕霧峠に向かおう。
この先、登山道に残雪が迫ってきてドキリとする。
雪解け水で路面も結構ぬかるんでいる。
ややや、大丈夫かな。こちとら、トレランシューズでもちろんアイゼンなんて持って来てないんだけど。
右手に林道が見下ろせたのだが、なんとまだ雪が高く残っていて、とても車が通れる状況ではない。
昨日、何も知らずに、ここを越えて来ようとしたら大変なことになっていた。
それにしても、林道を走っていて、「この先、雪のため通行できません」的な標識は全くなかった。
石川県ってそういうものなんだろうか。
南斜面の道は乾いた快適な道なのに
北側に回り込むと、とうとうこの有り様。
これが1か所だけでなく、どんどん出現してくる。
道もぬかるみ始めた。
やばい。土の部分が細すぎる。
平らな雪の上ならまだいいが、傾斜があるとスリップが怖い。
もう、ほとんど雪渓歩きになってしまった。
これらを何とかクリアしているうちに、地形図に「医王山」と書かれているピーク(本当は山域全体を示している)を巻き始めていることに気付く。
どこかにピークに通じる踏み跡はないかと、右を気にしながら歩いていたら、ありました。
ちょっとヤブっぽいが、それを抜けると、テントが1つ張れるくらいの広場に出た。
ここがピークのようだ。
あたりを見回すと、山名板が木にくくりつけられていた。
随分高いところにあるので見逃すところだったが、蛇尾山(920m)というらしい。
登山道に戻る。もう少し雪に我慢したら林道に出た。
ここでやっと富山方面の展望が開けた。
展望台があるので登ってみる。
眼下にイオックス・アローザスキー場。
福光あたりの見事な散居村。
アップにしてみよう。
軒下に小さな石仏がひっそりとたたずんでいた。
夕霧峠まで下りて来た。
ここで小休止。行動食をつまむ。
峠の富山側もまだしっかり雪が残っている。
スキー場にもバンカーのように残雪が点々とある。
さて、本日のメインイベント奥医王山(939m)への登りにかかる。
最初は浄土坂という288段の階段。これで標高差60mほどを稼ぐ。
振り返れば、スキー場のリフト乗り場と展望台。
100段目通過。
階段は容赦なく続く。上から誰かが下りて来た。
おお、イワカガミ。
蛇尾山。
息を切らして288段登り切った。「がんばったね」。
登り切った場所は少し平坦になっており、ベンチがあったので、またまた休憩。
さっきと似た表情の石仏が見守っている。
ここは「見返りの大杉」という場所だ。
ただその大杉は枯れてしまったのか、もうない。
その代わり、エゾユズリハの大木があった。
若葉が萌え出し、花を付けている。
こちらでもタムシバが満開。
ヤマザクラ。
さて、奥医王山に向かおう。
(つづく)
【2015年5月9日(土)】医王山
金沢の奥座敷・湯涌温泉の「お宿やました」で朝を迎えた。
昨日の晴天とは打って変わって、どんよりした雲が垂れ込めており、雨もしとしと降っている。
でも朝食の8時半まで、ずいぶん時間があるので温泉街の散策に出かけた。
宿の向かいにあるのが、入浴施設の「総湯 白鷺の湯」。
そのすぐ脇から薬師寺へ登る階段がある。竹久夢二も歩いた道だそうだ。
その途中には足湯がある。
まずは、湯涌稲荷大明神に参拝。
これは源泉臼。
養老二年(718年)、この山里に1羽の鷺が舞い降り、身を伏せて動く気配がないことを不審に思った里人が近づいてみると、そこに湯が涌いていることを初めて知った。
ただちに井戸を掘ってみると、枠にしたこの石臼にあふれかえるほど薬湯が涌き上がったという。
たぶん江戸時代くらいのものなのだろうが、古色を帯びた味わい深い遺構だ。
こちらは竹久夢二の歌碑。
「湯涌なる山ふところの小春日に目閉じ死なむときみのいふなり」
夢二は全国あちこちに足跡を残しているが、ここには大正六年(1917年)9月、愛人の笠井彦乃と逃避行に訪れている。
地蔵堂はガラス戸に覆われている。
雪害防止であろう。
境内を見学して、もと来た道を戻る。
下った右手が、金沢湯涌夢二館。
日本料理さかえや
カレーパンが名物らしい茶房しばらく。
この人形、最初は本物かと思った。
民宿うえのや。
温泉街の奥の方。
かなや。
高尾食堂。
うつわ・雑貨の日暮らしのディスプレー。
木造の古い家屋。
湯のかわ喜船商店。
ここで昼食のパンを調達した。
昨夜、宿の仲居さんに、この辺でパンやおにぎりを買える店はないかと聞いたら、「10km先のコンビニまで行かないとない」と言われたが、なんだ、目と鼻の先にあるじゃないか。
湯涌温泉のバス停。
アニメ「花咲くいろは」のポスターが貼ってあった。
改めて地図を見ると。温泉街はこんな風になっている。
右折して、湯の川を渡る。
この先は、たぶん新しく開発した温泉街。
まずは足湯のお出迎え。
右手に「湯の出」。
左手に「戸田屋」。
左手奥に「秀峰閣」。
右手奥には「あたらしや」。
このメインストリートの両側にこれらの大型旅館が並んでいる。
突き当りに、金沢湯涌江戸村。古民家を移築したテーマパークだ。
当然まだ開いていない。
さて宿に戻ろう。
お宿やましたは、夢二が逗留した旅館なのである。
ついのんびりしてしまった。着いたら、もう8時40分。
朝食も彩り豊かで、しかも量も多くなく、上品であった。
さて遅くなった。出発、出発。
と言っても、医王山の登山口までは、ここから車で30分ほどだ。
医王山には登山口が四方八方にある。
私はこのうち西から登る見上道を選んだ。その方が、「登った山」を効率よく稼げるからだ。
本来なら見上峠から登るべきなのだろうが、時間短縮のため、その上の西尾平まで車で上がる。
10時すぎに到着。トイレと軽いストレッチを済ませ、10:12出発する。
幸い、朝方ぱらついていた雨も止んだようだ。曇り空だが見通しはきく。
早速、タニウツギのお出迎え。
右手には、笈ヶ岳(1841m)方面の山々が望める。
雪解け直後だけに、いろんな春の花が目を楽しませてくれた。
ユキツバキ。
白いスミレ。
タチツボスミレ。
チゴユリ。
いくつか分からないお花も。
湿地にカエル君発見。卵も大量にあった。
登山道は最初だけ、くいっと登るが、その後はだらだら。
20分もかからずに前山(724m)に着いた。
地形図には「墓地」の記号が表記されているが、それらしきものはない。これのことだろうか。
とくに展望もないので、そのまま通過。
ショウジョウバカマを発見。
これはコゴミ?
こちらも関東に負けず、新緑が濃くなっている。
いったん下った鞍部が「しがらくび」という名の場所。
ここでさっきの林道に出ることもできる。
(つづく)
8月26日午前8時。妙高山に向かっている。
外輪山を乗り越え、一旦火口原に下りてから、標高差400mを登り返す。
大倉乗越からは外輪山の内壁を斜めに下る。
すでに山頂付近にはガスが湧いている。
火打で見たようなうっすらしたものではなく、しつこく居座ってしまいそうなやつらだ。
急いで下ろうとするが、めずらしい高山植物に邪魔される。
白いホタルブクロってあるんだろうか。
奥の黄色い花はたぶん、ミヤマコウゾリナである。いずれも初めて見る。
道は急峻なところも通る。
この道は下りのはずだが、登りもあって、かなり手こずってしまった。
長助池に行く道と山頂へ行く道の分岐には8:20に到着。
ここで、2人の方が休んでいた。
近くのザックに「sapporo」の文字があるので、色めいて「札幌からですか」と聞くと、地元ですという。札幌ザックはここからピストンしている人のもののようだ。
私は先に行くことにする。
この上は大きな岩の連なる涸れ沢のような道が続く。
道が巻いたりすることはほとんどなく、ひたすら直登が続く。
それを標高差400mはかなりきつい。
最初は密林の中だが、頂上に近くなると、白樺の明るい林になる。
ただ木の形ははなはだ変だ。
木々の間からは岩壁が見えてくる。
火口丘の上面に出ると、巨大な溶岩の岩山がいくつも出現する。
ちょうど鳥海山の頂上付近に緑が進出してきたようなイメージだ。
洞窟の中には祠が祀られていた。
で、9:25登頂。
標準タイム1時間40分のところ1時間ちょっとで登ったが、間に合わず。
ガスのため大展望は望むべくもなかった。
こういう時私は、がっかりした気持ちになって気分が落ち込むのを防ぐ作用が自然に働くらしい。むしろ感情が動かなくなるのである。こういう時は人間が冷たくなる。
ここは三角点があるので、山頂ということになっているが、最高地点はあと10分ほど南に歩いた妙高大神のある場所で2454m。ここは2446mである。
とりあえず、ザックを下ろして周辺の岩山に登り、外輪山や頂上付近の写真を撮る。
ガスはかかっているが、真っ白というわけではないのだ。
これは外輪山の三田原山。
標柱周辺。右奥は最高地点。
火口丘の頂上はこんな雰囲気。
ミヤマキオンやシシウド、ミョウコウトリカブトが咲いている。
さあ、もう急いでも仕方がない。
ゆっくり腰を下ろして、まだかなり早いが昼食の支度。
フリーズドライの五目御飯にお湯を注ぎ、一口二口食べてみるが、やはりそれほどお腹が空いていないのか、それとも心が閉じているからか、食が進まない。
メモを付けて、歩き始めることにする。
噴火直後に残った溶岩の巨石が林立する。下界から見上げる妙高からは想像もつかない世界だ。
これには日本岩という名称がついている。
妙高大神には将軍地蔵が祀られている。
赤いのはペンキが飛び散ったのではなく、地衣類のようだ。
相変わらず展望は利かないので、潔く下山する。
こちら側の方が溶岩の露出が激しい。
そして、大倉口と負けず劣らず急である。
ロープ場やクサリ場もいくつかある。
クサリ場付近の狭い登山路で、下からまた団体さんが来たのでしばらく待っていたが、誰も順番を譲ってくれる人がいない。
団体さんとは別の若者グループが下から追いついてきて、(ああ彼らなら譲ってくれるだろう)と辛抱強く待っていたのだが、彼らの先頭がロープに手をかけたのを見て、さすがに切れた。
「こっちはずっと待ってるんですから、そろそろ譲ってください!」
若者は恐縮したように道を譲ってくれたが、我ながら、(自分がこんなことを言うなんて)と後で驚いた。たぶん、相当心が閉じていたに違いない。
ただ、このことがあってから、私の後ろで待っていた人と言葉を交わすことになる。
この男性は私より年上だが50代だろう、地元の方だそうで、何度も妙高に登っているという。
妙高中学校の生徒が作ってくれた標識が合目ごとにある。
八合目(2120m)には風穴がある。
顔を近づけてみると、本当に涼しい風が吹いてきた。
七合目には光善寺池がある。
天狗堂(6合目・1930m)まで下りてきたところで、小休止。
ここでさっきの方に追いつき、下りのルートのことで質問。
北地獄谷麻平分岐から燕温泉に至る道には谷コースと尾根コースの2つがあるが、どちらがいいか。
彼の答えは明快だった。
谷コースの方が道もいいし、左手に外輪山の神奈山(1909m)が見える。滝も谷コースから見えるとのこと。
最初は尾根コースを行くつもりでいただけに、いい情報を得た。ありがとうございます。
5合目(1800m)から下が胸突き八丁。
そこを下りきった川原で彼が休んでいて、声をかけてきた。
「見たい滝って、惣滝のことじゃないですよね」
「はい。称明滝と光明滝です」
「なら、さっき言った道で大丈夫です」
親切な人だ。
ここを流れる沢は北地獄谷と言うだけあって、岩の色が茶色くおどろおどろしい。
水も湯の花(硫黄分)を含んでいるのか、白濁している。
もしかしてお湯じゃないかと思って触ってみたら、冷たかった。
分岐は4合目(1590m)。
ここからまだ標高差500mも下らないといけない。
道のりは長い。
やっとお腹が空いてきた。称明滝が見えるところで食事にしよう。
間もなく、音が聞こえ、お目見え。思った以上に高い滝だ。
滝つぼ近くまで歩き、さっきの残りの五目御飯を平らげる。
出発して間もなく、次の光明滝も見えた。
下りもこうしてアトラクションを用意してくれると、飽きないで済む。
このあたりから道は舗装となり
間もなく、赤倉温泉の源湯にたどり着く。
水場もあってうれしい。
この舗装はおそらく源湯の管理のため、バイクで来られるようにしたのだろう。
これが頂上まで続いていると困るが、いい加減集中力が減退している身としては、こういう道はありがたい。
地元の人が左手に見えると言っていた神奈山がやっと見えてきた。
まだ雲はからんだままだ。
下界に下りてくると、もうススキが穂を出していた。
高原はもう秋の気配である。
燕温泉の手前に露天風呂の「黄金の湯」がある。
ここは観光客にも人気のようで、女性も結構出入りがあった。
男湯はこうなっている。
単なる立ち寄りなら入ってみたかったが、こちらは2日間の汗を流さねばならず、シャンプーやせっけんがある所じゃないとだめだ。
で、1時20分、登山口でありバス停のある燕温泉に到着。
ここは宿が5軒しかない小さな温泉街だが、けっこう観光客が来ていた。
バスの時間まで1時間半近くあるので、まずは風呂である。
いくつか物色して、岩戸屋という旅館に入る。
男湯は「観音風呂」という。
さっぱりしたところで、冷たいものを。
温泉街の最も上にある土産物屋さんで市販のソフトクリームを食べる。
ほんとは食事をしたいところだったが、それほどの時間はなかった。
バス停には昨日、笹ヶ峰まで一緒のバスだった単独行の女性が待っていた。
やはり公共の交通機関で縦走しようとすると、このコースになる。
聞くと、今朝火打に登って、それから妙高にも登る予定だったが、ヒュッテの人に時間的に止めた方がいいと言われ、妙高は登らず、燕新道を下ってきたのだという。
今回はガスっていたし、それが賢明だったでしょう。
バスは30分ほどで、信越本線の関山駅に到着。出発地だった妙高高原駅のひとつ直江津側の駅だ。
外に出るとめちゃくちゃ暑い。
駅舎はメルヘンチックな印象。高原のペンションをイメージしたのだろうか。
あまりの暑さに、近くの商店でめずらしくビールを調達しようとしたが、何と空いている店がない。
仕方なく、駅の自販機で缶ジュースを買って、つなぎとする。
長野まで起きていて車窓を見ているつもりだったが、牟礼あたりで沈没。眠りに落ちた。
長野駅で今度こそビールとつまみをゲットし、新幹線に乗り込む。
始発だが、かなりの混雑。軽井沢では立っているひとも少なくなかった。
大宮からは武蔵野線直通の快速むさしの号に乗ることができ、午後7時すぎには帰宅することができた。
頂上の眺望には恵まれなかったが、基本的にはずっと晴れて、変化に富んだ山行を楽しむことができた。
よしとしましょう。
8月25日午後3時、火打山登頂。
百名山であるが、若者の2人組がいるだけ。いたって静か。
もう午後も遅いこんな時間だからだろう。
山頂は直径30㍍ほどの広場になっており、真ん中のケルンの中に石仏が埋もれている。
30分ほど待ったが、ガスが切れないので下山を始める。
登ってみて思うのだが、深田久弥がなぜ、この山を百名山に数えたのか少々納得がいかない。確かに、妙高、火打、焼山とつづく頸城(くびき)三山の中で、火打が最も高い。
焼山は2400m、妙高は2454m、そして火打が2462mである。
北アルプスを除くと、日本海側では最も高い山だそうだ。
深田は「日本百名山」の中で、こう述べている。
「その悠揚とした姿にすっかり惚れてしまった眼を隣へ移すと、妙高や焼のキチンとした纏まりがかえって見劣りする」
しかし、これは火打を選ぶためのこじつけのように思える。
深田は間違いなく、妙高を先に選んだであろう。
そして火打も入れたいがために、先輩の妙高をけなすようなことを言ったのだ。
火打は古来より、街道から遠く、見過ごされてきたことは深田自身が認めている。
そんな山を「発見」して、ぜひすくい上げたかったのだろう。
でも、公平に見て、頸城三山から2つも採用するのはやり過ぎの感がある。
火打がダメというわけでは全くないが、妙高だけでよかった気がする。
ついでに言えば、高妻山を入れたのも賛同できない。
北信のあの近辺であれば、山容からしても歴史からしても文句なく戸隠だろうと思う。
標高が高妻より450mも低いことが大きな減点となったのだろうが、戸隠にはそれを補って余りある魅力がある。
火打の山頂からくっきりと北アルプスが見えたら、こんなことは思わなかったのかもしれないが。
火打が中腹に高谷池や天狗の庭という希少な湿原を抱えたすばらしい山であることは、あわてて付け加えておく。
さてさて、下山。
私の嫌いなピストンだが、今回ばかりは致し方ない。
途中、アサギマダラがアザミの蜜を吸っていた。
こちらはクジャクチョウ。
下るに従い、日本海側のガスが晴れてきて、雷菱(2276m)と呼ばれる火打山の支脈が見えてきた。立派な岩稜である。
穏やかな山容の火打にも、こんな荒々しい一面があったのだ。
再び、天狗の庭に降りてくると、ワタスゲが傾いた日の光を受け、さっきより一層輝いている。思わず、木道に腰を下ろして、しばらく撮影会を開いてしまった。
ヒュッテに近づくと、ものすごい嬌声が聞こえてきた。
例の団体さんである。テラスやベンチで酒盛り。もうビールの缶がいくつも空いており、みなさん大騒ぎだ。
山の恥はかき捨てか・・・と嘆息する。
楽しいのは分かる。しかし、ここは温泉ホテルの宴会場ではないのである。
静かに山を楽しみたい人の方が多い。
もっと想像力を持ってはもらえないものだろうか。
こちらはもう一度、水場へ行って、顔を洗い、部屋に入って寝室を整える。
ありがたいことに、ここは布団1枚分の幅が確保されている。
今日はほぼ満員のようだが、布団に2人詰め込むようなことはしていない。
両隣も単独の人のようで、うれしい。今夜は安眠できそうだ。
その隣の一人は、私と同じく笹ヶ峰から登ったそうだが、登り始めたのが8時で時間に余裕があったので、先に妙高に登ってきたのだそうだ。
「バテました」と笑っていた。
しばし歓談した後、私は1階食堂に下りて、壁に貼ってある高山植物の写真でお勉強。
メモ帳に絵と特徴を書きながら、区別しにくいものを整理していく。
売店で、バッジと高山植物のイラストマップも買った。
そうこうしている間に夕食の時間。5時15分なので、わりと早い。
メニューはカレーライスとハヤシライスが食べ放題。
私はもともと下にいたので、早めに並ぶことができ、数少ないイス席を確保できた。
老夫婦と相席だった。
カレーはかなりおいしかった。ライスも結構盛ったので、それだけでお腹いっぱいになったが、ハヤシも食べてみたくなり、少しお代わり。
デザートのパイナップルの缶詰がヒットだった。
(夕食後のひとときを楽しむ登山者たち)
(夕暮れ、雲に包まれた焼山)
食後は火打山の四季と高山植物という2本のビデオが上映され、見ているうちに、どうしてももう1回火打山頂からの眺めが見たくなった。
よし、明日早起きして、もう1度行ってみよう。
日の出は5時過ぎなので、4時前に出れば十分。すぐ下ってくれば、6時の2回目の朝食に間に合う。天気予報は晴れ時々曇か霧とのこと。早朝は問題ないだろう。
スタッフに一応断ると、朝食は5時半のみで明日は2回目はないとのこと。
6時に戻って来られても、片づけた後になるというので、朝食はキャンセル。
昼食用にもらう弁当は明日の朝に受け取れるというので、それを朝食代わりにすることにした。
7:40就寝。布団が比較的清潔なので、シュラフは使わなかった。
さすがに、あの団体さんももうお休みのようだ。夜まで騒がれてはたまらない。助かった。
おかげで熟睡でき、3:30起床。
アタックザックで出発。
外はまだ真っ暗で、満天の星が輝いている。
東の空高く、オリオン座があった。こんな真夏でも、この時間には冬の星座が出ているのだ。マイナス1等星のシリウスの明るさといったら、金星並み。
夏に見る冬の大三角形もすばらしい。
カシオペア座は天の川にあったということも発見。
早起きは3文どころか、百万ドルの得の気分である。
歩き始めてすぐ、雨具を履く。上は防寒用にすでに着ていたのだが、やはり朝露が激しい。
暗い中をヘッドライトで歩くのは、あまり経験がない。
今年2月に天狗に登った時以来か。
そもそも、景色を見るのが目的で山歩きをしているので、基本的に夜は歩かない。
ただ、今回は昨日すでに歩いているし、帰りは明るいのだから問題はない。
それでも、何度もライトを消して、空を見上げ、星空に見入った。夜の山歩きも悪くない。
天狗の庭を過ぎると、火打の中腹に雲が細くたなびいている。
なんという幻想的な風景。ぜひ写真に撮りたいが、三脚がないので諦める。
最初はあせってさくさく歩いていたが、夜明け前に山頂に着いても意味がないので、ペースを落とす。
頂上に近づくにつれ、なんとガスが再び山頂を流れ始めた。
4:50登頂。残念ながらガスの中である。
2度登って2度ともダメかあとがっかりしたが、とりあえず日の出まで待ってみる。
東の空が赤く染まりだしたが、日はどこから昇るのか分からない。
このガスも太陽が出れば消えるのかもしれないが、こちらは6時までに下山しなくてはならず、そうのんびりもしていられない。
日の出を待たず、先着の2人と後発の1人を残してヒュッテに戻ることにする。
わずかに下っただけで、ガスの下に出、ちょうど御来光を見ることができた。
妙高と黒姫(右)もガスの中から、うっすらと姿を見せてきた。
本当なら黒姫の上に富士山が見えるのだそうだ。
朝霧の中のアザミも美しい。
おお待望の北アルプス! 右が白馬三山、左手には五竜や鹿島槍を確認できる。
今日はやはり湿度が高いようだ。日本海に近いことも関係しているのだろう。
こちらは百名山、例の高妻山。
振り返ると、火打山はもう5時半だというのに、まだ薄いヴェールをまとっている。
待っても無駄だった。と肩をなで下ろす。
ところがその3分後。ガスは消えてしまった。
ナンタルチア~!
しかし、私の性分では40分も粘れなかっただろう。
結局、のんびり日程で1回しか登らないあの団体さんたちが最後に笑うことになるのだ。とほほ。
まあいい、気を取り直して前進。あの一糸まとわぬ妙高を見よ。
あそこから、360度のパノラマを楽しめばいいのだ。がはは
ああそれにしても、この青空。無念じゃ
と思いきや、またしてもガスが。背後にある影火打が一気に雲に隠れてしまった。
その間、わずが3分。ほんとにめまぐるしい。
見れば、その1分後には火打にも再びガスがまとわりついてきた。
しかし、結局6時には完全に雲もとれた。ようやく安定期に入ったようだ。
一喜一憂してしまったが、6:10ヒュッテに到着。
お弁当のレトルト釜飯を受け取り、パッキングをして6:30に出発。
静かに噴煙を上げる焼山を後に見て、妙高へ向かう。
道は右だ。
まずは茶臼山への緩やかな登り。
空には秋のような雲が広がる。
茶臼山には25分ほどで到着。山頂というより峠という印象。
それでも標識は一応あった。
この先間もなく、黒沢岳と外輪山に挟まれた湿原が眼下に広がる。
黒沢池である。
道端のオヤマリンドウの青がまぶしい。
この花はめったに開かない。いつも、つぼみのような状態のまま咲いている。
池のほとりには黒沢池ヒュッテがある。そこまで標高差170mほどを下る。
途中、昨日騒いでいたのとは別の団体さんを抜かす。
なんと、日本海からこちらにもガスが襲ってきた。
まさか、妙高までは覆い隠してしまわないでしょうねえ。
昨日はずっと大丈夫だったので、今日も大丈夫でしょう。
7:15黒沢池ヒュッテに到着。玄関前のベンチを借りて朝食とする。
さっき受け取ったレトルト釜飯。本当は、今朝炊いた御飯のおにぎりか何かを期待していたのだが、まあ文句は言えない。通常、小屋の弁当は1000円だが、ここは500円で済んだのだから。
一応、器に移して味わっていただく。
変わった形のヒュッテの中を見学させてもらおうと思い、扉を開けたら、人相の悪いじいさんが「何の用?」と、怒った調子で言う。
気の小さい私はつい「あ、あの、中を見学させてもらおうと思って」と言いながら、ろくに見ることもできず、引き下がってしまうが、後でムラムラと腹が立ってくる。
どうも山小屋の人の中には、客を敵視する傾向のある人が多いのだろう。
想像するに、近年の登山客のマナーの悪さや常識のなさが背景にあると思うが、山小屋も変わらなければいけない。
小屋だって客商売なのだから、そういう客も含めて生活が成り立っているはずである。
昔のようにはならないからと言って、不機嫌になっているだけでは何も変わらない。
まあ、苦労はよく分かります。
さて、腹もふくらんだので出発。
これからは外輪山を直登することになる。標高差150m。
途中、朝食を食べている間に先に行ったさっきの団体さんに追いつく。
道が狭く、追い抜ける状況ではない。
観念して、このペースで付いていくしかないかと思ったら、突然ショートカットコースが出現。これを一気に登り、彼らの先に出ることができた。これはラッキー。
外輪山の稜線である大倉乗越(2150m)からは正面に、高さ400mの巨大な中央火口丘たる妙高の山体がそびえる。
しかし、なんとガスがもう漂っている。まだ8時前だぜよ。
暗たんたる気分。火打も妙高も不発に終わるのか・・・
眼下の長助池がガスに巻かれていなかったのが救いか。
こうなったら、とにかく先を急がなければならない。
つづく